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世界平和と悪【vol.273】

世界平和

これはどのような世界なのだろうか。

僕が思うに、
世界平和は、何も全ての願いが叶うことではない。


”悪”の登場

人間の心の中には、少なからず"悪"が存在すると思う。

その悪はいつ登場するのだろう。


人は他人と比べたがる。

「みんなちがってみんないい」
一度は耳にしたことがあるこの言葉も、現実的にどうかと問えば、
実際そんな簡単に誰もが受け入れられる世の中ではないことを知っている。

正解を出す、平均値、出る杭は打つ、1つの円の中に収まるように教育される。
何故周りと同じことができないのか、規則を守れないのかと、その本来の目的や本質を理解しているようには思えない大人たちに育てられる。

洗脳といっても過言ではないが、良くも悪くもきっとそれが日本のシステムなのであろう。

話が脱線しすぎた。ここで戻そう。
で、他人と比べた後に生まれる感情は妬みや嫉み、僻み。
見下すターゲットを探す人もいる。そういう人は傲慢さ満載だ。

勿論、尊敬の感情を抱くこともあるが、
どこかで「自分なんか…」と思ったり、「どうして自分だけ…」と思う人は少なくない。

そんな感情が”悪”を生み出す。

願い

その悪の心を100%消した方がいいとは思わない。

そんな神みたいな感じは人間味がないように思える。
人生、何事もバランスが大事って言うしね。

それで、悪の心をもう少し深掘りすると、それは願いとも言えるだろう。

「畜生…あいつめ。どっかでこけちまえ。」
何とも残念な感情ではあるが、これもまた願いの1つだろう。

だとするなら、
自分の悪魔の願いが叶ったとき、本当に平和だというのだろうか。

自分でもわかる。
どんなに悪の心が芽生えても、そこを口に出さない、行動にしない、その制御をしているように、自分の心も良しとされるもの、そうでないものを識別はできるはずだ。

僕らはエネルギーの使いどころを間違えている

「どうして」
こう思うことが誰しもあるだろう。
この世には不条理で理不尽で、納得のいかないことが溢れている。

本当に反発しなければならない時もある。
どんなに敵を作っても戦わなければならない場面もある。

だが、自分の身の周りで感じる”どうして”。
他人と比べる必要もないのに比較して抱いてしまった”悪”の心。

不必要なものが多い気がする。
それでいて、不必要なものこそ変なプライドをもって反発しようとしすぎている。

僕も、僕の周りも、エネルギーの使いどころを間違えている。
そう感じる時がある。

まずは自分を見つめなおす。
うまくいかないことも、理不尽だと
愚痴っていたことも受け入れることから始めよう。


fin.


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