見出し画像

過程?成長?そんなもん結果死ぬ気で目指してからだよ

過程だとか、何やるかだとか、結果より成長だとか。
こんなもん正直どうだっていい。

強めな表現だけど、ちょっと聞いてほしい。

間違えてほしくないのは、このどうだっていいという表現が
根性論で貫き通すだとか、結果出すためなら手段を問わないわけではないということ。


それらの言わんとすることはわかる。
これまでの自分も、
結果までの過程で何したかが大事。
フォーカスするのは成長の方だ。
目標に対して、どんな施策でやるか。
だとか考えたことはあった。

そして今も考えていないわけではない。


けど、これらを考えて一周回って、目的はそこではない、と。

「結果より成長に目を向ける」を例にあげて考える。

確かに、結果を出すために、どれだけのことをして、何を得ることができたか、そこにどんな成長があったかはものすごく大事。
けれど、それらの成長は、あくまで死ぬ気で結果を出そうとして挑戦したのちに得られるものである。

最初から「成長、成長」ばっか言っているようでは、本当に達成したい結果はいつまでたっても出せないだろう。

過程とは漢字をみると、「ぎ去った工」と書く。

結果を出そうとして、試行錯誤しながら頑張って、結果が出た。
その時、振り返ってみてこれまで自分がやってきたこと。それが過程。
僕はそう考えるようになった。

過程大事にして、何やるか考えるのも大事、それをやり続けたら、自ずと結果はついてくる、その考えも本当に心の底からわかるんだけど、、、、ね!

その考え方が身についてから、
「過程」「成長」などを聞くと、大事だと思うしわかりはするけど、目的見失ってるよそれ、、、
結果を出すためじゃないの?と思ってしまう。
そんなの後からわかるもんだから、爆速で行動しようぜ、、、の気持ちも抱く。


考えれるようになったからこそ、改めて言葉の意味や、表現の仕方にまでこだわれるようになって、そこに難しさを感じることができた。

言葉の使い方から、自分の考え方まで持てるようになったのを実感しております、、、。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?