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テレワークゆり物語(122) 声が出なくて「伝わらない」もどかしさ

約2ヵ月間、声が出なくなった。

6月の猛暑。エアコンをかけすぎて風邪を引き、喉を傷めてしまった。
ささやき声であればなんとか出るが、このご時世、マスクをしているので、近くにいる人にも、声が届かない。

生活にも支障が出てきた。
コンビニで「レジ袋ください」が伝わらない。
電話でお店の予約のキャンセルもできない。
高齢の親には耳元でささやいても聞こえない。
挙句の果てに、自分の携帯に出たのに、切られてしまう始末。

「一週間もすれば治るだろう。もう少しの我慢だ。」
最初は、そう思っていた。

しかし、一週間経っても、二週間経っても、風邪が治っても、声は出ないまま。お医者さまは「声帯がひどい炎症を起こしています。『日にち薬』ですね。」と、トローチとうがい薬を処方してくれたのみ。

「声が出ないこと」は、当然、仕事にも影響する。

社内の「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」は、Facebookのビジネス版である『Workplace』で、やりとりをしている。おかげで、ほとんど支障は無い。これは助かった。

が、3か月に1度実施している社員ひとりひとりとの「面談 (1 on 1)」は、難しい。社員にお詫びし、延期する。

外部とのやりとりは、どうするのか。
恥ずかしながら、このときはじめて、自分の仕事が「伝えること」こと、そして、その最も重要な手段が「声」であることを認識。

「声が出ない」と、「伝わらない」もどかしさを痛感する。

私が伝えるべき内容は、もちろん「テレワーク」。コロナ前は「テレワークの必要性」だったが、コロナ禍を経て、求められるのは「テレワークの課題解決方法」に変化した。

行動制限が無くなり、感染防止を目的にテレワークを実施していた企業が「出社」に戻り始めている。そんな大切な時期に、黙っていていいのか? 
(しゃれにならんな)

目前の講演は、AI自動音声を使って、乗り越えることはできた。しかし、仕事はそれだけではない。まだまだ続く。講演の日程を延期し、国の会議を欠席し、やりたかったことをあきらめ、各所にお詫びし、ただただ「治るのを待つ」しかないのか。

そして数週間が過ぎ、さすがの私も「このまま声が出なくなるのではないか」という不安に襲われた。

落ち込みかけたとき、尊敬する脚本家 大石静さんの「自分の中の別の自分に相談するように」という言葉を思い出す。

別の私は、私にこう言った。
世の中には、病気や障がいで、ずっと声が出ない人がたくさんいるのに、何を不安がっているのだ? 

たとえ一生声が出なくても、「伝える」にはどうすればいいか考えろ。
「声が出なくなった」というマイナスを、プラスにできるよう行動しろ。

三女に「前向きすぎて、気持ち悪い」と称される(?)私は、窮地に立ったほうが強いらしい。  

かくして、声が出ない田澤由利の、この夏の熱い挑戦が始まった。 (つづく)


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