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テレワークゆり物語 (69)本当は先生になりたかった

「今、あなたは生徒たちに囲まれる、いい先生になっていますか?」

中学の頃に書いた未来への自分の手紙。
答えは「NO」。だけど、その思いはずっと続いている。

なぜ先生になりたかったか。

あの時代は「13歳のハローワーク」も無く、多くの子どもが接する職業といえば「教師」だった。しかし今思えば、父が大阪外国語大学(現在は大阪大学外国語学部)でタイ語を教えていた事が大きかったのかもしれない。
父が教鞭とる姿は一度たりとも見たことはないが(笑)、当時ウチに下宿をしていた大学生たちが「先生、先生」と慕い、家はいつも学生さんたちで賑やかだった。そんな幼いころの体験から、自分もいつか先生になると思っていたのだろう。

「教師」という職業は決まっていたが、何の教科かは漠然としたまま、高校生になった。そこで、ある女性の英語の先生に出会い、憧れの存在となった。

高校の英語の先生になろう。

単純。私の高校時代は卓球一色だったので、英語はその次ではあったが、憧れの先生に質問したり、いい点数をとってほめてもらいので頑張ったら、英語の成績が上がった。
このあたり、中学の時のアグネス・チャンと同じバターン。成長してない。

英語の先生になるのは決まった。というか、英語しか成績が良くなかったので、受験する大学・学科は、自ずと絞られた。普通に考えると、「英語学科」「英文科」だ。

しかし、「欲張り」の私は、考えた。
英語だけじゃ面白くない。せっかくだから、もうひとつ、外国語を身に着けよう。

そして、「あまのじゃく」の私は、考えた。
外国語といっても、「フランス語」や「ドイツ語」はカッコよくて人気。その流れに乗るのはイヤだ。

さらに、「効率好き」の私は、考えた。
スペイン語は、世界で20か国で話されている。ひとつ覚えるだけで、世界一周ができるかもしれない。「一石二鳥」ならず「一か国語、二十か国」。これは、おいしい。

そんないい加減だから、大変な事が起こる。大学入学後、

上智大学外国語学部イスパニア語学科(スペイン語)では、高校の英語の教員免許が取れないことが発覚したのだ。

学生課に相談したら、「教職の授業は登録できるので、教員採用試験のための単位は取得できますよ。ただし、卒業単位には認められません。

当時、「鬼のイスパ」と言われるほどイスパニア語学科は厳しく、単位が取れずに4年で卒業できない学生も多かった。

しかも、大学入学と同時に体育会卓球部に入部済。入試の成績が悪かったのか女子学生寮にも落ち、ひとり暮らし。鬼のイスパで、卒業単位外の教職単位(60以上)。こりゃ、大変や。

しかし、「壁があるほど燃える」私は、考えた。
やってやれないことはない。
結果、4年間でスペイン語はもちろん、教職単位も、ほとんど「C」(優良可の可)ではあったが、単位数としてはクリア。(これ、大事)
母校に教育実習にも行き、教員への道をしっかり整えることができた。

とはいえ、人生はそう甘くない。
なんと、奈良県の教員採用試験に不合格となったのだ。ちゃん、ちゃん。

この教員道と並行して起こっていた、コンピュータとの出会いやら、億万長者への道やら、Uターン就職やらで、私は「先生になる」ことをあきらめ、今のテレワークへの道を歩むことになった。

でも、人生は不思議なものである。
なんと齢50歳にして、「北海道教育委員」の声がけがあったのだ。

「教師」ではない。でも、「教育」にかかわることができる。心が躍った。

しかし、すでに2つの会社を経営する身。しかも教育委員としての活動の場は、札幌。北見に住みつつも、大阪と東京など本州を飛び回る私に、そんな重要な仕事をこなすことができるのか?

いまだに、「壁があるほど燃える」私は、考えた。
やってやれないことはない。大学時代は、できたやないか。

かくして、「北海道教育委員会 教育委員 田澤由利」が誕生した。

先生にはなれなかったけど、人生、そんなに捨てたもんじゃない。

#冒頭の写真は、大学生に向けて「テレワークを語る」姿。先生気分で、ついついオーバーアクションになる。




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