見出し画像

テレワークゆり物語 (33) 億万長者になり損ねた件

「冗談抜きで、億万長者になり損ねましたね。笑」

2009年、アメリカ国務省のIVLPで、アメリカのテレワークの勉強に、マイクロソフト本社を訪問したときのこと。大学生の頃、アスキーのマイクロソフトFE本部でアルバイトをしていた話をしたら、対応してくれた日本人の男性社員が、そう言った。

1984年、アスキーでのアルバイトは楽しかったが、私は大学4年生になり就職活動が始めなくてはいけなかった。アルバイトを辞めることを、お世話になったA女史に相談したところ、次の日、6畳一間のアパートの電話が鳴った。

アスキーの社長、西和彦氏だった。
「うちに就職しないか」

雲の上の人からの電話。とにかく驚いた。A女史が推薦してくれたのだろう。この会社なら、念願のコンピューターに関わる仕事ができる。1時間近く話をした思う。悩んで悩んで悩んで、最終的には、丁寧にお断りをした。

なぜ断ったのか。自分の中で、「ものづくり」へのこだわりがあったからだった。パーソナルコンピューターを作る会社に行きたい。アスキーは、出版社だし、当時は、マイクロソフトFE本部が、何をしているのかよくわからなかった。笑

翌年の1986年、アスキーマイクロソフトFE本部のメンバーを中心に、マイクロソフト株式会社設立。

「受付の女性も、ストックオプションで億の利益を得てましたよ。」

マイクロソフト本社のその男性は、そう言って微笑んだ。
その時代の人をご存じの様子だったので、A女史のその後について聞いたがわからなかった。しかし、当時FE本部にいた、男性社員の大浦さんのことを教えてもらった。大浦さんは、いつも明るく元気で英語が上手。机の上に素敵な女性の写真(奥さん?彼女?)を飾っていた。
日本マイクロソフトの設立とともに重要な職に就いた大浦博久氏は、その後Xboxの総責任者として活躍され、退任後はハワイで暮らしているとのこと。

人生、どこで大きな分かれ道があるかは、わからない。
でも、ひとつ言えることは、あんなパッパラ女子大生が、就職してすぐに億万長者になっていたら、それはそれで人生、ヤバかっただろう。

やっぱり、これでよかったんだ。

(後日談)
メールで大浦氏とつながったとき、「FE本部でアルバイトをしていた者です」と話をしたら、
「ああ、覚えてますよ。目がパッチリした女の子でしょ?」 
それは間違いなく人違い・・・残念。

※冒頭の写真は、シアトルのマイクロソフト本社のExecutive Briefing Center

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?