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テレワークゆり物語 (14)卓球人生

祝!卓球、オリンピック初の金メダル!!  何をかくそう私も卓球してました

卓球の有名選手のほとんどが、幼い頃からラケットを持ち、卓球人生をスタートしている。しかし、私が卓球を始めたのは、奈良高等学校に入学してから。小学校の頃から、『巨人の星』や『侍ジャイアンツ』が好きだった私は、中学でソフトボール部に入部。しかし、先輩の怖さに、3か月で退部、帰宅部となる根性なしだった。

高校になったら、とにかくスポーツ部に入る!

高校入学後、体育館の近くを歩いていると、バスケットボール部やバレー部から、すぐに声がかかる。そう、その頃の私の身長は166cm。当時としては、背が高かったのである。
しかし、私はその声に振り向きもしない。理由は、身長コンプレックス。「デカイ女」と言われて15年。バスケやバレーでこれ以上、背が高くなっては困る。背が高くならない、いや、むしろ小さくなるスポーツは無いのか?

そうだ、卓球なら、背が低くなるかもしれない!?

卓球は身長が低いほうが有利。しかも、構えの基本は「猫背」。うまくいけば、背が低くなるかもしれない。そう考えた私は、卓球部の門を叩いた。
当たり前だが卓球したからといって、背が低くなるわけがない。手が長いということで、先輩から「カットマン」というスタイルを進められ、よくわからないまま、それに決めた。

「カットマン」は、守って、守って、守って、守って、返して、返して、返して、返して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、ひたすら相手のミスを誘う。私の性格とは真逆だった・・・。

4、5回のラリーが続くと、我慢しきれなくなって、前に出て、スマッシュ!が、スマッシュの練習はほとんどしていないので、入らない。先輩に怒られる。の繰り返し。しかも高校から始めたので、試合にも出れない。

そんな私も2年生になって、少し試合に出してもらえるようになり、たまに勝つことができると嬉しくて仕方ない。そしてどんどん、卓球に夢中になっていく。

進学校だったので、2年の秋には引退するの通常だが、面白くなってきたところなので、引退せずに3年の秋まで居座る。(今思えば、後輩に悪いことをした)

それだけでない。大学選びの基準が「卓球」になってしまう。日本で一番女子の卓球が強い大学を調べたら、青山学院大学。即、第一志望にする。ありえへん受験生や。

卓球では無名の高校。しかも高校から卓球を始めたくせに、日本一の大学の卓球部を目指すという、その単純さ、無茶ぶりは、その後、無謀に「テレワーク」に取り組んだ、自分らしいな、とは思う。

結果、第一志望の青山学院大学(卓球女子関東1部リーク1位)に落ち、アグネス・チャンの母校だからと記念受験した上智大学(卓球女子関東6部リーグ)に、入学。卓球で日本一の夢は、見事に破れた。

だからといって、卓球をあきらめることはしない。上智の入学式前に卓球場に訪れ、先輩方をザワつかせた。

3年生のときには女子主将を務め、最後は4部リーグ2位まで上り詰めた。個人では4年間で関東リーグ40勝をギリ達成して盾をもらった。

以上が私の卓球人生。しかし、日本一のチームに入って、試合に出れず日々モップ拭きをするより、素晴らしい卓球人生だったと思う。

なんて、あまりテレワークとは関係がない話だが、東京オリンピック・パラリンピックのミックスダブルスの決勝を応援しながら、徒然に書きとめてみた。
水谷・伊藤ペア、日本初の卓球金メダル、本当におめでとう!!

※写真は、大学時代の試合の様子。先輩とのダブルス、いつも助けていただいた。


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