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テレワークゆり物語 (149)泣く暇があったら、動こう

「お母さ~ん、今日、社会見学でお弁当がいる日だった~」

20年以上も前のエピソード。
さっき学校へと見送ったはずの長女(小学生)が、泣きべそをかきながら戻ってきた。友達がリュックを背負っているのを見て、思い出したらしい。(ちゃんと行事を把握していなかったダメ母の責任)

今からお弁当を作る時間は無いし、学校に行けないと、泣き崩れる。

「泣く暇があったら、リュックとってきて準備しなさい!」

そう叫びながら、私は車のキーを握って外に出た。いつもは歩く距離のコンビニに行き、ダッシュで幕の内弁当を買って戻り、お弁当箱にそれらしく詰め込む。それを見る長女の顔から、涙が消えていた。

長女が用意したリュックにお弁当をいれて、長女を車に乗せて、小学校の近くで降ろす。・・・間に合った・・・。

「泣く暇があったら、動こう」

それを教えてくれたのは、私の母である。
でも、母はこの言葉を口にしたことはない。
「口ぐせ」ではなく「行動ぐせ」だった。

とにかく弱音は吐かない。無茶と思えることも、平気で行動する。

話は、私が小学生だった、50年前にさかのぼる。

「お母さ~ん、猫の赤ちゃんがミルクを飲まない。死んじゃうよ~」

拾ってきた赤ちゃん猫にミルクを飲ませようとするのだが、飲んでくれない。赤ちゃん猫用の哺乳瓶などなく、ストローでは大きすぎるのだ。
このままだと子猫が死んでしまう・・・そう思った私は、母に泣いてすがりついた。

母は、泣きじゃくる私を抱きしめながら、赤ちゃんの口元を見つめて少し考え、とんでも行動に出た。
薬箱から、なんと「いちじく浣腸」を取り出したのだ。
中の液体を捨て、きれいに洗って、ミルク(赤ちゃん用)を吸い込み、赤ちゃん猫の口に持っていった。

飲んだ!

その赤ちゃん猫の命を救えたのかどうかは、残念ながら私の記憶にはない。ただ、このときの母の行動は、私に刷り込まれた。

私の母は、決して、世間でいう「理想の母」ではなかった。
自分中心で無茶苦茶を言うし、ケンカをするし、家事もそこそこで、毎日大阪の百貨店に遊びにいって、買い物をする。
でも、私には、最大の愛情を注いでくれた。
今の私が、私であるのは、母のおかげである。

そんな母が、昨年11月に、天国に行ってしまった。
ひとり娘の私は、悲しかった。つらかった。さびしかった。
でも、その時、こう思った。

「泣く暇があったら、動こう」

母が亡くなったあと、葬儀から各種手続き、相続のための膨大な作業、残された父の世話。そして、自分の仕事。泣く暇を作らず、動きまくってきた。


母とのサヨナラから3か月半。母の納骨の朝、ふと冒頭の長女のエピソードを思い出した。

ばあさん、あんたの行動は、しっかり子供らにも刷り込んでるからな。
ありがとう。

※冒頭の写真は、実家に続く道の桜。


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