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テレワークゆり物語 (99)30年前の母の挑戦

「私の応接間みたいなもんやから、無くなったら寂しい」

私が生まれ育った生駒市。
生駒駅の近くに、母が経営する「ブティック&喫茶 パステル」がある。ここに店舗を構えて25年になる。その前も、別の場所でブティックとして5年。合わせて、母の「パステル」経営歴は30年だ。
30年前の母にとって、60歳からの「店舗経営」への挑戦だった。

「ブティック&喫茶 パステル」は、友人、知人が集まって、のんびりおしゃべりできる、昔ながらの喫茶店。儲かる店ではなかったが、母にとっては、大切な店である。

常連さんが集まる、昭和の喫茶店

娘たちが小さい頃は、店員さんやお客さんにかわいがってもらった。

いたる所に子どもたちの思い出がある

しかし長引くコロナ禍で、母が店に立つことは、ほとんど無くなった。

そして、今年、母は90歳になる。

現実問題として、ひとりで店を回すことはできない。
かといって、人を雇えば赤字がかさむ状態だ。

娘として「これからのパステルをどうするか」に向き合うことになる。
私には、仕事があり、喫茶店経営を引き継ぐことはできない。

店舗自体は母がオーナーのため「貸す」というのが、ベストな選択だろう。賃貸収入だと安定する。しかし、母の希望は違う。
「30年も続けてきてんから、人に貸したくない」
そして、冒頭のセリフは何度も聞いた。
「私の応接間みたいなもんやから、無くなったら寂しい」

そうやね。しかたない。

母の気持ちを大切にしつつ、私が考えた答は、
25年続いた喫茶店を、テレワークができるようリニューアルすること。

オシャレな最新のコワーキングスペースには及ばない。
基本的な設備は『昭和』のまま。ゆったりした音楽が流れる。
時間になると、懐かしいサイフォン式のコーヒーを作ってくれる。
でも、デスクやチェア、ネット環境は、快適に仕事ができる。

私の妄想は広がった。

店を「継ぐ」のではなく、店を「借りて」、
自分が得意なビジネスとして、挑戦するのだ。

私が借りるのは、月~金のみ。
土日のどちらかは、母の「応接間」に戻せるようにしたい。
できるかどうかわからないけど、可能性を残したい。

私も今年は、60歳。
30年前の母の「挑戦」を引き継いでみようと思う。

とは言え、25年で、モノがいっぱいになったパステル。
お金は無いのに、本当に『ワークスペース』に、なれるのか⁈
  →つづきはこちら

25年の間にモノが増えて狭くなったパステル

#冒頭の写真は、2年ぶりにサイフォン式の珈琲を入れる母。


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