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井伏鱒二「山椒魚」から考える孤独(たゆぺぺの読書メモ①)

中学時代はほとんど本を手にすることがなかった。しかし、中3のとき、読書好きな友人の文章に感銘を受け、高校生活から本を読み始めるようになった。
小説やらノンフィクションやらを読んでいるが、メモがてらnoteに読書記録的なものを「書評」と称して書き残しておく。

いやしかし、あの知り合いはすごかったな。日常的なChatから本当に文章が綺麗だった。

ちなみに、僕は全然文学作品を読んだことがない。この領域においてはとても未熟だ。その点を留意して読んでもらいたい。

井伏鱒二「山椒魚」

これは学校の授業で読んだ作品。最初に読んている時は、つまらない作品だなと、思った。読んでいて何の面白みもない、と。文学的才能のないであろう自分には楽しめない作品だと感じた。

でも、一度読み終わり作品について考えた時、ものすごい興味が湧いてきた。当作品はサンショウウオが主人公の寓話であるのだが、その主人公である山椒魚が自分に似ていると感じた。

主人公の山椒魚は棲家(すみか)である岩屋から出られなくなり孤独になる。岩屋の中にはエビやカエルがやって来る。カエルが岩屋の中に入ってきた際には、山椒魚はカエルを閉じ込めた。同じ辛さを感じさせようとしたのではないか、と考えらえる。この点において、孤独な存在がその辛さを他者に分からせようとする様子が、自分に非常に似ていると感じた。

ただ、更に読み進めると、自分ではなく自分の知り合いに似ていると感じ始めた。
どんな知り合いかというと…その知り合いの背景は複雑すぎるので書くのは難しい。ただ少し一般化して書いてみる。
中学校ではある程度の成績があり、そのため実力やプライドもある。進学校の高校を受験するが落ちてしまい、落ちこぼれな高校に入る。そこでは周りとは馬が合わずに孤立する。しかし、やはりそれは寂しく、他者とのつながりを求める。寂しさと優秀さが相まって、鋭い観察能力を持ち、他者について色々と言葉する。
(全然一般化できていない…笑)

そしてそんな人格から何を感じたか。
社会から疎外され孤独になれば自由を手に入れるみたいな幻想を抱きがちだけど、結局「孤独」というのは非常に不自由な状況で、明るい社会を羨ましく見ることしか出来ないのかな、と痛感した。

このnoteでは先ほど、山椒魚はカエルを閉じ込めたのは、相手に同じ辛さを感じさせたいからだと、考えた。これは友情を求めている兆候なのかもしれない。社会から疎外され孤独になり、人とつながりを求める際、相手に同じを辛さを感じさせることでつながりを持とうとする。

僕も、自分自身に関して、心当たりがある。でも僕はいつも、友情なんてものが信じられなくて自分には無縁の存在と考えていたから、恋愛感情というものに頼っていたのかもしれない。簡単に"一番の相手"ができる。

ありきたりな解釈かもしれないが、つまらないと思った話がここまで自分に刺さると、それは非常に衝撃的であった。

最後に

気になる方は下記リンクで無償で読めるので、読んでみてはどうだろうか。
面白いと感じる人は限られるのかもしれないが、短いので早く読み終えられる。
https://cis.fish-u.ac.jp/MasisData/appendFiles/INF00116841.pdf

一応Amazonでも売られている。↓
(Amazonアフィリエイトリンクを使用)

また読書メモ、書いていこうと思う。

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