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ホモ・サイエンス


序.

ここ数日ハマっていた哲学本をようやく読み終わった。
この手の本を読むと社会人になって抑圧した「セカイ系」を次々思いだす。それを脈絡無く一気に吐き出した。読み返してみるとかなり危ういけどすっきりした。正直、会社や退職の記事を書くよりよっぽど楽しい。

1.

その本に「生命はエントロピーに抗う」という一節があり違和感を感じた。「抗て」はいないと思う。生命自体は低エントロピーでも周囲を高エントロピーに変換するから系全体のエントロピーは増加する。エントロピー第二法則は守られてる。むしろ生命の存在しない系より変換が活性化するので「生命はエントロピーを促す」と言う方が適切だと思う。

2.

エントロピー=エネルギー/温度だからエネルギーが大きくなるか温度が低くなればエントロピーは増加する。宇宙だとエネルギーは不変でエントロピーは増大するから温度が下がる。「宇宙の熱的死」と呼ばれるもの。
地球だと、例えばヒト種がエネルギーを大量消費するか温暖化対策で気温を下げるとエントロピーが増大する。実は両者は同じことなのかもしれない。

3.

「生命がエントロピーを変換する」ではなく「エントロピー変換の自然現象の一つが生命」と言った方が正確。燃焼や拡散と同じ。なので本来「生命」はモノではなくコトつまり現象や事象として捉えた方が良いのだと思う。有機体とモノと情報で構成される自然現象、それが「生命」とか「生物」と呼ばれる現象。
例えば「人間」は「人体」だけでなく家やPCなどの「人工物」と言葉や記号による「情報」とが織り成す現象。そう捉えた方が現実の説明能力もあるように思える。

4.

「人間」を現象と捉えると理屈的には体が変わらなくても人工物や文化が変われば「進化」することがありえる。
そして実際「進化」したと自分は考えている。産業革命以後の人間はそれ以前の人間と「違う生物」に。正確に言うなら「違う現象に」。
理由は「変換エントロピー量」つまり「消費エネルギー量」が桁違いに増加したから。産業革命前がホモ・サピエンスなら、産業革命後はホモ・サイエンス。ホモ・サイエンスから見るとホモ・サピエンスのエネルギー消費量は猿と変わらない。

5.

またホモ・サイエンスにはそれまでのあらゆる生物と異なる特徴がある。
生物は無限に巨大化することは不可能なので増殖や生殖で数を増やし種のエントロピー変換量を増やす。つまり1個体あたりのエネルギー消費量には種固有の限度があり固定。アメーバだろうと恐竜だろうとチンパンジーだろうと。
ホモ・サピエンスだって狩猟採取時代の方が農業開始後より食料事情は良かったという説がある。つい最近まで一人あたりのエネルギー消費量は人類誕生時とさして変わらなかったということ。農業開始後1万年は単に人口増加に比例してエネルギー消費量が増加しただけ。

6.

ホモ・サイエンスだけが唯一「1個体あたりのエネルギー消費量」を増やす生物。勿論、体が巨大化するわけじゃないし、沢山食う臓器に変態するわけでもない。生物的にはなにも変化してないのに1個体のエントロピー変換量が増える。しかも毎年毎日刻一刻とかなりのスピードで。その内訳は、商品製造のエネルギー消費、本やネットによる情報化、医療による長寿命化、交通による運動エネルギー変換、等々。要はエントロピー視点だと「人間」は人体だけでなく人工物と情報を含めた現象として捉えないと秤が釣り合わない。
同時にエントロピー変換と経済活動は表裏一体の関係と推定される。多分、貨幣が自然現象と社会現象の接点。

7.

産業革命後のサルは新種。生物としては進化してないが現象としては進化した。エネルギーとエントロピーという客観的な物理量を基準にするとそう思える。
一方、愛とか幸福とかの主観基準ならホモ・サイエンスだからといって特に何も変わらないだろう。というか主観基準なら猿の方が幸せかもしれない。

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