「なんてことのない物語だ」第1話

茨城の水戸と勝田を経由したこの場所にいる。なんてことのない毎日を刻みながら疲れ果てた心をか抱えてなんてことのない毎日を。

ありとあらゆる事業所を練り歩き、なんだかんだ診断された自分の病状を参考にしながら生活するための訓練をしている。

何気ない少ないお金をやりくりしながら、多くの人を知りたいと願い、なんてことのない物語を、障がい者としての自分を消費しながらありがたい友人や知人達の出会いを感謝している。

昔ほど元気でない体と引きずりながらそれなりに年齢を重ねた体と年相応でない幼年性を抱えながら何かを頼り何かに縋りそしてできる限りの幸福をだれかに祈りながら生きている。

過去にした痛みは今でもおぼえている、それでも何度もしてしまう自分に諦念感もあろうが、今どうしたいかでないと僕は生きていけないし、きっと向上心というものを捨ててしまったならそれこそ僕自身が積み重ねてきたことや感謝して付き合っていた仲間や友人や知人へに対して無意味になってしまうとも感じてしまう。

友人はいるし、長い人も短い付き合いの人も等しく大事で、うまくいかない事もあって別れたこともある。

何故その怒りになったのかわからない状況もやまほどあった。
ひとりぼっちは嫌だけどそのことを回避するために何かを言わないというのは嫌だったし、大人になるにつれて言える事が減っていった。

僕はいつだってどんな人だって自分が好きであれば問題はないし、好き勝手言われたって耐えれたりもしたし、それでも人を好きでいるのはきっと僕個人もあきらめていないし、僕も好きになれた誰かをあきらめていないからだろう。
勿論自分の生活に影響があるならば離れるけれど。

誰もがそれぞれの価値観や正義や悪の観念をもっている。
僕はそれが曖昧なままの心を持っているだけなんだろう。
それでも最近少しずつこの人たちならば幸せになってほしいなと願う時もある。
そこに年齢差は関係ないし男女の性差もない。

それでも関わるということはなんらかの言わない事や言う事の線引きと。
建て前と本音を含めてもかかわることの大切さが大事になっていくんだろうなあ。

僕個人は基本的に本音ばかり話しているつもりだけどそればかりじゃ人間関係が成り立たない人もいるし、心配しすぎて強い言葉をいってしまう事もあるのでそこは考えないといけないかもしれないね。

病気や障害があってもわかられることは基本ないし、その経験があるなら人にどう優しくできるか自分をどう大切にできるかと考えたほうがいいよ。

今が療養しかできないならその事だけをして自分の目的を果たせばいい。世間が冷たいと考えても世の中はそんなもんだし、それでもちゃんと対話してくれる人はいるわけだから。

自分はメリットやデメリットを感じながら付き合うということはなかなかしないけど、それでも僕とかかわってよかったなあと思ってほしいし、僕も思いたい。

過去の出来事がよりよい自分に変えてくれるという事を信じてね。
少なくとも生きる事にはいま誰かのサポートがいることは事実だから。
立ち上がるための準備はつづけていくよ。

茨城の片隅でなんだかんだ生きている。


発達障害当事者の詩人が色々と経験しながら生きていくかんじです。興味あれば支援してくださるとありがたいです