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エコ社会主義者にご用心

※お知らせ※
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こんにちわこんばんわ。
全ての増税に反対し、全ての減税に賛成する自由人、七篠ひとり(@w4rZ1NTzltBKRwQ)です。

今日はこちらのポストから。

先日、見た目は「環境」というグリーンなイメージを装い、しかし中身は真っ赤な社会主義者のことを「スイカ」と呼ぶという記事を書きましたが

このポストこそまさしく「スイカ」であり、こんなことを人の税金で調査している

環境省は「エコ社会主義省」

でしかないでしょう。

ということで今日は

エコ社会主義

について書いていきましょう。

まずはじめに「社会主義」について説明しておきますと

「農地や工場などの生産手段を国有化して需要や供給、生産、流通などの経済全体を国家が計画、統制し、生産物を平等に分配することで貧富の差の無いユートピアを作ろう」

という思想がそれにあたります。

簡単に言えば

資本家が儲けるだけの資本主義とそれによって起こる経済格差は悪だ!

労働者の平等こそ正義だ!

そのためには富の再分配が必要だ!

だからその再分配役となる政府に権限を与え、経済を管理計画してもらおう!

という考えで、だからこそ社会主義では大きな統制力を持った中央集権国家的な体制になり、その巨大な政府による市場介入を良しとします。

ちなみに共産主義も社会主義もその違いについてなんだかんだ説明はありますが、ざっくり言えば赤と朱色の違い程度の同じものです。

出世魚の呼び方のようなもので、社会主義の究極の形が共産主義であり、究極の形だからこそ共産主義は無税国家並みに非現実的な社会となります。

ですのでそこに細かく拘る意味はあまりありません。

要は「反資本主義」なのですが、実はこうした思想の根底にあるものは平等の実現が主題ではなく、政府に大きな権力を与えることを実現するために「平等」という理屈を持ち出しているにすぎません。

つまり彼らは「国民を統制する大きな政府」を求めているのであり、それに国民を誘導できるならその理由は平等でも格差是正でも、もちろん「環境保護」でもなんでもいいのです。

では話を「エコ社会主義」に戻しましょう。

エコ社会主義については、海外のWikipediaでは小難しいことがたくさん書いてありますが(ちなみに日本語ページは存在しません。存在しない言葉は批判も議論も出来ないのですからこれはこれで恐ろしいことです)

最近の流行りは

環境破壊や地球温暖化、気候変動危機は資本主義が引き起こしているとして「脱成長」を掲げ、交換価値よりも「使用価値」を優先する社会に変えていこう

という内容です。

「使用価値を優先する」を簡単に言えば「必要な物を必要な分だけ生産して消費しよう」ということですから、前述したように資本主義を否定する理屈が

「平等な分配」から「環境保護」に変わっただけ

にすぎません。

冒頭のポストもまさしく「政府側で衣服の必要数を計画し無駄を無くそう」と言っているわけであって、それは「外は緑だけど中身は真っ赤なスイカ社会主義」でしかないのです。

これはフードロスも同じことが言えるでしょう。

「必要な物を必要な分だけ生産しよう」という考えは一見効率の良い素晴らしい仕組みに思えるかもしれません。

しかし様々な価値観を持った人々が暮らす社会においては、それぞれの「必要な物」や「必要な数」を把握できる人や組織が存在しうるはずがありません。

そんなことが把握できるなら、言われなくてもどの企業も需要分ピッタリの生産を行い販売をすることでしょう。

でもそれが不可能であることは社会経験のある大人なら理解できるはずです。

ところが残念ながら「一生で必要な服は149着」という衣服の着用を人体と体温を守るための事務的作業としか考えていない「いかにも社会主義者らしいこの算定」を受け入れる人も正直少なくありません。

批判をしている多くの人も「その数は適正ではない」と怒っているのであって、仮にその数が10倍になれば怒る人の数は半減することでしょう。

なぜなら「数が少ない」という批判は「政府が着る服の数を決めること」自体には反対していないからです。

でも問題はそこではありません。

問題は「政府が決めた服の数を全国民に押し付けること」です。

これまでの説明通り、社会主義は「政府が需要を計画して統制することを良しとする思想」なのですから、そこに気付かない彼らの主張も「エコ社会主義」でしかないということです。

とはいえそうした人達は、社会主義に陶酔しているわけではありません。

それどころか彼らは「資源を大切にしよう」と純粋に思っているだけであって、決して自分が社会主義者だとは思ってはいないでしょう。

これについては海外も同じで、イギリスで「国民皆保険の予算をもっと増やし制度を充実することに賛成か?」という質問に「YES」と回答した人に対し、定義と理由を説明しながら「それは社会主義思想だけどそれでもそう思うか」「それは共産主義思想だがそれでもそう思うか」と聞いていくと、どんどん賛成が減っていったという調査結果も存在します。

日本においても「水は大切にすべき」と思う大多数の人に

「長い髪はシャンプーや水を多量に消費して環境に負荷を掛けるから北朝鮮のように十数種類の中から髪型を選ぶようにするべきか?」

と質問したら、それに賛同する人はごくわずかになることでしょう。

そこからもわかるように、彼らは決して社会主義政府を求めているのではありません。

だからこそ社会主義者は「社会主義は素晴らしい」と喧伝するのではなく、逆にそれを隠して「エコ」や「温暖化」「気候変動危機」といった良心への訴えや不安を利用してそれを刷りこもうとします。

私自身は、人の思想は無限にあるからこそ〇〇主義というラベリングにはあまり興味がないのですが、政府の肥大化や国民生活の統制を望む人をあえて社会主義者や全体主義者と呼ぶのは、それが無自覚な社会主義思想であることに気付いてほしいからという点があります。

もう少し言えば、私は社会主義思想を持つ人が存在するのは悪いことではなく、私とは1ミリも考え方は合いませんが、それを支持するのも自由だというスタンスです。

だからこそ無自覚だった人がそれに気づき、「私は社会主義者だ」「増税賛成」「大きな政府賛成」と堂々と主張することには何の疑問も感じません。

問題は、わからない人を「格差是正」や「環境保護」を餌に思想を染めようとする社会主義者であり、したがって「この人は社会主義者だよ」と教えて回っているというわけです。

繰り返しますがエコ社会主義は、資本主義を否定し、政府による統制を推奨する理屈が

「平等な分配」から「環境保護」に変わっただけ

にすぎません。

「脱成長」や「過剰消費」「資本主義の矛盾」「行き過ぎた資本主義」などのワードと共に環境問題や気候危機を煽り、国民生活への介入を推進する主張が出てきたら要注意です。

そういう人には「社会主義さん、こんにちは」と挨拶をしてあげましょう。

ということで、今日はここまで。

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