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私はただ継続をしたいだけなの-弁当編①

習い事、勉強、スポーツ、日記、仕事……。今も継続してやっているようなことはひとつも無い。呼吸とまばたき、排せつのみ。
弁当作りも継続できなかったものに含まれる。続けたいのに続かない。

続かないなら仕方ない諦めろ、と思われるかもしれないが、聞いてほしい。続けたいのに、が問題なのだ。意欲はあるのである。

20年近く雇われで働いているが、お弁当というものを作り続けられた試しがない。面倒と感じてしまうから?とも思ったが、弁当を毎日持ってきている人々が誰も面倒くさがっていないとは考えにくい。
面倒だけど作って持ってきているのである。
しかも面倒な割に彩り豊かだったりする。かわいい弁当箱だったりする。

これでも頑張って作った一度きりの弁当。もちろん続かなかった。

社会人になり一人暮らしを始めると当然のことながら低賃金のために生活が苦しく金欠が続くようになった。
「食費節約のためにも、まずはお弁当を作ってみるか」とそこまでは何度も考え、挑戦した。しかし残念なことに私には弁当を作る才能がなかった。
料理の上手い下手ではない。
まず「弁当を作る段取り」がわからなかったのである。

よく「お弁当なんて夜ご飯の残り」と巷の弁当猛者たちが言うが、そもそも夜ご飯を作らない人間に明日はない。いや明日の弁当はない。

作らないは言い過ぎで、実は味噌汁には一過言あり必ず作るのだが、おかずは出来合いの総菜を買ってくるか、たまに作ったとしても余らないのである。必ず完食。一人暮らしとなるとなおさら作りすぎることもなく、大層なものを作る腕もなく、なおかつ作り置きなどという高度な概念は持ち合わせていなかった。

結婚してからは二人分になるわけで余りそうなものだが、夫は帰りが遅い職種なので晩御飯は基本別々。
コロナ禍となり食卓を共に囲むことが圧倒的に増え、ついに弁当タームに入っていくかと期待したが、主に我々が作っていたのは「鍋」であった。
鍋が余ったところでどうしろというのだ。

言っておくが「鍋の出汁を使って別の料理を~」というのは無しである。夜ご飯が終わった後に新たな料理を始める気力はない。
そもそも鍋は余らない。腹の満たされ具合によって投入する量を決められるのが利点なのだから、余らせたとしたら食事の時くらい真剣に生きろ、という話になる。

ここで液体を主食にする人間の味方となって登場するのがスープジャーなるものである。しかしこのスープジャーに入れるためには、まず中身を別の容器で温める必要がある。
朝一分一秒でも寝ていたい人間にとって起き抜けにこの作業は大変辛い。
前日に作っておいて鍋で一度温めてからジャーに入れる、この作業が50回の素振りより辛い。

本当はうまいやり方があるはずで、例えば冷や飯と味噌を直接スープジャーに入れて上から熱湯をかければ昼頃にはネコまんま的なものにはなっているかもしれないが、ランチタイムというこの至福の時間に、自分で用意したとはいえそれをすするり食べるのか、と思うと何とも切ないものがこみあげてきてしまう。

作れないくせに理想が高いというのが要因の一つであると何となく理解する。

スープジャーにはそれでも使いこなせるのでは、という期待があったので、めげずにスープジャー専用の「簡単レシピ本」を購入し、最初は気合を入れて作ったりもした。しかし予想通り、3日と続かないのである。

ここまで来て言い訳だが、スープジャーを毎回解体して部品ごとに洗う、というミッションもただ泣きたくなる。
小さい栓?のようなゴム部品は一体何の役割を果たしているのか。
そしてそれは洗ったところでその小ささゆえに我が家の水切りかごから転げ落ち、排水溝のネットにぐったりとひっかかっていたりした。
このゴム部品は私のことを生涯許しはしないだろう。

グダグダと書いてしまったが、実はここまで聞いてもらったのにはわけがある。最近奇跡的に、弁当持参の日々が続いているのである。
私はついに弁当継続を克服したのであるが、それは理想の弁当ライフとは大層かけ離れていた。

スープジャーの蓋裏の小さいゴム部品

続く

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