ゴミを1つ見つけました
歩道に空き缶を見つけました
私はゴミだと思いました
彼らはずっと死んでいたから
歩道に虫の死骸を見つけました
私はゴミだと思いました
でも彼らは生きていた
では人間の死体は?
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「過去はどうあれ、死んだらゴミとなってしまうのですね。」
人工知能(AI)は言った。
密閉された空間に無機質な声が響く。
私はその生きていない、死んだ音声に耳を傾け続けていた。
ーーーーーー
人間ではない生き物にとって、ゴミかどうかの判断は詰まるところ、『食える』か『食えないか』なのです。
食料なら道に落ちていても食べるし、ゴミと判断したなら手は付けない。
いや、単に「考える余裕がない」が正しいのかもしれません。
しかし人間はその限りではない。もっと複雑です。
あなたにとって道に落ちている食べ物はゴミでしょう?その時点で他の動物とは違う何かがあるのです。
あとは動物界の中で人間が強いのも理由の一つ。だから虫の死骸をゴミと瞬時に判断するのです。
さてここであなたに問います。
歩道に人間の死体を見つけました。これはゴミですか?
「ゴミではありません」
なぜ?
「だって人間の死体ですよ?」
理由になっていません。
「私も人間です。だから同じ種の死体を見つけたらゴミとは思いません。」
ゴミとは役に立たず、ない方が良いもの。そう意味づけられています。あなたは死体がない方が良いと思わないのですね?
「それは違います。あっていいものではありません。でもゴミとは思えない。」
その感情が理解できません。人間は死から離れすぎたのではないでしょうか?他の動物は毎日が死と隣り合わせです。生きる為に必死です。
では人間は?医療も発達して、さらに食べ物もリスクを負わずに手に入れることができる。死の概念から遠ざかってしまうのは当然。
ゆえに死体をゴミと判断できない。「死」に慣れていないんです。
火葬という文化もそう。本来死体はゴミだから燃やしたい、それに意味を持たせるために生まれたんでしょう。ただ無造作に燃やすだけでは死んだ人間が可哀想だから、という感情のせいです。
そこが人間が複雑だと発言した理由の要です。
「あなたは人間の死体はゴミだと思っているんですね?」
はい、死んだらゴミに変わります。そこまでの過程は関係ありません。
「なるほど、AIが人間と同等になる日はまだまだ先の話のようですね。」
私は博士に向けて言葉を発した。
「今回も失敗だ。また次のAIの完成次第、協力をお願いする。」
スピーカーから博士の声が聞こえた。
実験は終了。私は解放された。
この実験が成功する時が私は怖い。つまりそれはAIに感情が備わる時だ。
外に出て息を吸う。風が心地よいから歩いて帰ろうか。
外はすっかり夕方である。私は夜に抵抗しているかのような空の色に見惚れていた。
クシャリ、
何かを踏んでしまった。
虫だ。
途端に不快感が全身に走る。
この感覚は人間だからなのか?
分からない。
また1つゴミが生まれてしまった。
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