国が「いい日」を制定したら
ハッピーデイ!
今日は「いい日」記念日なのでケーキを買いましょう。
いい日最高いい日最高いい日最高
いい日最高いい日最高いい日最高
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という情景が咄嗟に頭の中に思い浮かんだ。
なので、いい日とは何か今日は考えてみることにする。
まず初めにいい日とは自分の気持ちによって左右されるものだ。例えば7月7日はいい日だ!と決まっているだろうか?
日本では七夕というイベントが行われてはいるが、「いい日」とは限らない。
つまり、日程はいつだって良いのだ。
単純に考えると、
その日に起きた楽しかった思い出と悲しかった思い出、両者を比べて前者が多ければいい日、後者が多ければ悪い日なのである。
ただそこに自分の気持ちが干渉する。
言葉では簡単だが、割と複雑である。
さて、もし国で「いい日」が決められたらどうだろう。
その日は国民全員が「いい日」で終わらなければならないとする。
冒頭のような宗教チックな事も起こり得るのではないか?
それはまあ極端な例として、楽しい事をしよう!という人が増える気がする。
仕事はまずしない。仕事を楽しい事と認識出来る人はごく僅かしかいないだろう。仮に仕事大好き人間がその日出勤したとしても周りは全員休んでいるので仕事にならない。「いい日」にはならないのだ。
皆が仕事を休むということは経済がその日停止するということだ。これは大変だ。もう「いい日」ではない。
つまり国民全員が「いい日」で終わることは不可能である。
これは言い換えると一日のうち誰かは必ず苦労や悲しい思いをするということ。
そう考えると悪い事が起きても気休め程度だが楽でいられるのではないだろうか?
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