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明るさではなく光を届けたい

" I was thinking about the light.
  I wasn't thinking of beams or studs.
  I was thinking about what there is about
  the structure that will give you light. "

巨匠ルイスカーンの言葉。

建築や環境において、光は丁寧に読み取らなければならない。現代日本において、「リビングが南側にあって窓が南向きであればすべて良し」という安直な風潮が浸透してしまっているのが残念に思います。住宅やマンションの広告にも「南向き」を太字にして大々的にアピールしているのをよく見かけます。もちろんそれで良い場合もあります。しかし、何十年もそうしてきた中で、未だに住人に明るさの不満があるのはなぜでしょうか。それは設計士に、光に対する丁寧な読みと謙虚な姿勢が足りないからだと思います。

南からの光は物理的には明るいが、光に照らされる部分と影になる部分で大きなコントラストが生まれる。また、外の景色の明るさが視界に入るので、屋内の暗さはより一層引き立つ。そうすると、人間の心理的には暗い部分を強調して感じてしまう。それに、目は明るい方になれるから、暗い部分は余計に暗くかすむだろう。

北側の光は拡散光であるから、屋内には滑らかな光が届く。それに、北側隣地の住宅は、南の庭を広く取ろうとして北側に寄っていることが多いから、案外北側は開放的であることが多い。視線を工夫すればこれを使える時がある。

そして、南側をリビングにするということを考えや迷いもなく決定して、お風呂やトイレ、廊下などは死んでしまっていないか。リビング以外の部屋に配慮がなければ、家の暗い部分が永久に残り、「お家が暗い」という不満は無くならない。

全てはバランス。

もちろん、南側にリビングを配置することが良い時もあるし、あえて暗い部分をつくる場合もある。でも、やはり日本の住宅は貧しいと感じる。物は豊かだけど、住まいの豊かさはない。

光はうつろい、空や木々も時間とともに変化していく。


おぼろげな光も神々しい光も全ては生きる光。
雑に産み落とされた空間は、しくしくと泣いている。
時間が経てば、その寂しさを忘れ、空間は何も声を発さない。

明るさではなく、生命の光を届けたい。
愛情がなければ建築家にはなれない。

常にそれを意識して設計に取り組んでいます。

福元2018年撮影
パンテオン

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