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感情を描くことの難しさ

先日、ある縁あって「臨床美術」を体験することになった。
臨床美術って聞いたことがあるような気がするけど、何をするのかよくわかんないなーくらいの気軽な気持ちで体験した。

臨床美術とは

臨床美術は、絵やオブジェなどの作品を楽しみながら作ることによって脳を活性化させ、高齢者の介護予防や認知症の予防・症状改善、働く人のストレス緩和、子どもの感性教育などに効果が期待できる芸術療法(アートセラピー)のひとつです。 (特定非営利活動法人 日本臨床美術協会 HPより

感情を描こう

今回の体験で使用した画材は「オイルクレパス」。小学生のころよく使ったなつかしのクレヨンの、もうちょっとさらっとした感じ。直に触れてもクレヨンのようにべったりと指につくこともない。
そのオイルクレパスで細い線を書いたり、横に持って広い面を塗ったりと使い方の練習をしてからが本番。何を描くのかよくわかってなかった私は、緊張していたのをよく覚えている。絵が苦手なので、どうしても人前で描くときに「ちゃんと描けるかな」と気を張ってしまう。

最初のお題は『ワクワクしたこと』。
「いままででワクワクしたこと、その感情を描いてください」
――正直とまどった。”ワクワク”という感情を絵で表現しろという。私はこうやって、noteや小説などで文章を書くことはままある。どちらかといえば描く人間というよりは書く人間だ。文章であれば想像するのはたやすい。ある情景があって、そのここの部分にワクワクしたとか胸が高鳴ったとか言葉を連ねればいいのだから。
しかし、絵となるとどうなんだろう? まず感情に具体的な形はないし、それに”ワクワク”の色ってどんな色だ?――鮮やかな色彩のクレパスが並んでいるのを見つめながら考えた。
ついでに最近ワクワクしたことないなあ、とそんなむなしいことも頭をよぎる。時間も限られているので、題材は「2歳のときの旅行のこと」にとりあえず決めて、そのときの感覚を描くことにした。

以前のnoteで書いたとおり、私は共感覚者ということもあって、自分の感情や精神的状態がビジュアル的に感じている。だから小難しいことはすっとばして、そのときに”みえて”いたものを描けばいいか、とクレパスを取った。

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これが私の『ワクワクしたこと』。我ながらシンプルこの上ないな、と思う。
2歳のときにどこかの海に家族で旅行に行った(旅行=海 なのは埼玉県民の性だ)。そこで乗った遊覧船でカモメのえさやりができると聞いて、意気揚々と甲板に出たものの、2歳の私には甲板の柵にはばまれて、カモメなんて一切見えないし、エサのかっぱえびせんを売ってるおじさんは私のことなんて相手にもしてくれない。そもそも、かっぱえびせんの段ボールがうずたかく積まれていて、中身がなんなのかすらわからなかった。
なんとか父を呼んでエサを手に入れ、父に抱きかかえてもらいながら必死にカモメにかっぱえびせんを持つ手を伸ばしたのが上の絵だ。

今noteを書いていて思ったけど、右下のオレンジ色はそういった大人への憤りだったのかもしれない。カモメにエサをあげられるという初めての体験へのワクワクと、自分を相手にしてくれない大人への憤りが入り混じった心象風景なのかもしれない。

感情の起伏が無くて困っています

私は日頃から「冷静」「落ち着いている」「ドライ」と言われることが多い。そうなるように心がけていたのはあるのだけれど、心がけすぎたのか、感情が薄いことが悩みの一つだ。他人に感情移入できないし、心の機微がわからないのでコミュニケーションが上手くできていないなと感じることも多々ある。
今回の体験でも、上に書いた「ワクワクしたこと」ともう一つ「怒り」がお題として提示されたのだけれど、「怒りってなんだ……?」から始まり、よくよく考えたら”怒り”と言えるほどの感情を持ったことってあんまりないな、と題材選びに困ってしまった。

一般的には、喜怒哀楽それぞれの感情を持ったときの記憶がすぐに出てくるものなのだろうか? いちいち「喜び、とは……?」とか「哀しみって……?」と悩まないものなんだろうか?


とはいえ、幼い頃から「自分って薄情なやつだなあ」と漠然と思っていたので、もはやこれが私なんだ、と割り切るしかないのかもしれない。

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