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中学野球部時代に、なんとなくスコアラーをやってみたら、将来の夢が決まった件。

 こんにちはー。なんか一気に夏がやってきたと思ったら明日6月21日は夏至という事実に驚きです。宮城県の大学に通う、徳島県在住のたくまです。プロフィールは1本目の記事をぜひ見ていただければ嬉しいです!

 私は、小学4年の頃に野球を始めました。実は、なんで野球を始めたのかはいまいち覚えていないんです。でも、あえて理由を作るなら、1.友達が小学校のチームに入っていて誘われた 2.2009年のWBCを見て感動した(実際、初めて買ったグローブはイチローモデルだった)と言ったところでしょうか。小学生のころ、自分たちの代は市で優勝するくらい強いチームでした。私はスタメンの選手ではあるものの、主力という訳ではありませんでした。その後中学3年までの6年間選手としてプレーしたのですが、中学2年の頃にとある出来事がありました。そして、それは私が将来野球に関わる仕事をしたいと思う、きっかけになるものだったと今振り返って思います。


野球を「する」ってなんだ?

 中学2年当時の私はレギュラーメンバーでも、ベンチ入り選手でもなく、ただの補欠でした。数名の同級生が先輩たちに混じって練習している様子を羨ましそうにただ眺めているだけでした。「先輩が抜けたら試合出れるっしょ」と腑抜けたことを考えていたとある日の練習試合、顧問の先生が「誰かスコアラーを出せ」と言ってきました。スコアラーというのは、試合の記録をつける係で、試合中はベンチに入って椅子に座り、スコアブックに試合の内容を記入していくというものです。ちなみに、ずっと監督の横に座って「今のカウントは?」「このバッター前の打席内容は?」と聞かれるので、軽いプレッシャーがあります。そもそもスコアをつけるのには特殊な記号などを覚える必要があるので、ただでさえ面倒臭く、誰もやりたがるはずがありません。先生からの声がけに誰も反応しない、張り詰めた空気に耐えきれず、私はこの仕事を嫌々引き受けました(ここへんに自分らしさ出てるなあと感じる)。

 もちろん、こんなことをしなければ、試合中はベンチ外でぼうっと試合を見ながら応援していれば良いのです(もちろんそんなことをしていれば、いずれ顧問からの喝が飛んできますが)。ですが、スコアラーをやるということは、実質ベンチ入りしているというようなもので、謎の緊張感があります。私は談笑しながら試合を眺める同級生を、羨望の眼差しで見ていました。「何でわざわざこんなことをしたのだろう」と最初は後悔していました。

 でも、やっていると、だんだんと自分の性に合っていると気づいてきます。周りを見ながら選手をサポートするという、この役割が楽しくなっていったのです。先輩に「このバッターはさっきレフトにヒット打っているから気をつけてください!」と言ったり、監督と密にコミュニケーションを取ったりすることにやりがいを感じていたのです。こういうのってやってみるもんなんだなあと思います。ま、だるいと感じていたら相当に後悔していたでしょうが。私はこのスコアラーという役割を2年生の時に1年弱担当しましたが、最後に記録をつけたのは一つ上の先輩たち最後の大会の試合でした。

 スコアラーは制服でベンチ入りします。試合当日、ベンチ入りメンバーはもちろんのこと、背番号をもらえなかった選手たちも皆ユニフォームを着て戦います。ですので、少しの戸惑いと恥ずかしさを感じながら、家を出たのを今でも覚えています。試合直前、先輩たちと共にベンチに入り、最後の円陣を間近で見届け、自分なりに声援を送っていたことでしょう(もう記憶が...)。しかし、あえなくチームは初戦負け。先輩たちの最後をベンチから見届けた私には、悔しさと共に、この仕事を経験できたことへの喜びと、少しの優越感がありました。確実に、スコアラーをやろうと決めた時の後悔はどこにもありませんでした。

 その後の3年生になり、なんとかして私はレギュラーを勝ち取ることができました。この経験が確実に生きたわけではないと思います。ただ、あの経験があって、野球に対する向き合い方が変わりました。野球だけではありません。自分で言うのもなんですが、私は人当たりが柔らかいらしいです。それは、この経験があってこそ、視野を広く、客観的に、相手の気持ちやされて嬉しいことを汲み取れるようになれたからこそ、行動に移せている気がします。

些細な選択が、いつの間にか夢になってた。

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 今、私が選手としてではなく、裏方として野球の力で社会を盛り上げたいと思っているのも、この経験が種となっている気がします。というか、そうです(今振り返ってみて辻褄合わせのように感じるけど、実際合っているんんだからよし)。実はきっかけはもう一つあって、というか、スコアラーを経験した時期とも近しい時期、2013年に楽天イーグルスが日本一になりました。私はそのときの東北の熱狂が今でも忘れられません。東日本大震災があって、東北から元気が失われた時期、当時の故星野仙一監督をはじめ、チームがわたしたちに勇気と感動を届けてくれた。綺麗事でしかないかもしれませんが、私はあのときの熱気を再び東北に届けたい、野球の力で東北をもっといい方向に変えていきたいと、結構本気で思っちゃてます。野球の力で社会が、地域が、人が変わるってかなり本気で信じています。だから、その夢に少しでも近づければと、今、徳島で野球の勉強をさせてもらっています。

 まさか、このスコアラーをやってみたという経験が、大学四年生になった今、この道に進むというきっかけになるなんて思いもしませんでした。もしかしたら、あのときスコアラーをやっていなくても、この道に進んでいたかもしれません。でも、この経験があってこそ、野球をもっと好きになれました。将来の夢のきっかけなんてどこにあるかもちろん分からないし、大体そうです。「将来の夢、やりたいことがあって羨ましい!」とよく言われますが、普通ここまでやりたいことが決まっている人なんていないと思います。だから、将来やりたいことを探すよりも、今やってみたいなー、面白そう!と思うことを小さくてもやってみれば、進みたいと思う道が見つかるのかもしれないですよね(上から目線じゃないよ!)。でも、めちゃくちゃ小さいことでも、この選択がもしかしたら将来の何かに...とか考えたら少し面白くないですか?大袈裟かな(例えば、今日の夜飯はラーメンか寿司かどっちだ!みたいな。多分それは違うけど)。引くぐらいネガティブなはずなのに、そう思えるようになった自分は成長したんだな、とたまに感じます。

 ちなみに、中学の卒業文集のタイトルは「支えること」で、スコアラー時代のことを書いた気がします。内容はいまいち覚えていませんが、当時中学生の自分にとっては、既にこれが大きな経験になっていたのでしょう。実家にいるお父さんお母さん、勝手に読まないでね。ま、もう読んでいるだろうけど。

 最後まで読んでいただきありがとうございました!

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