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90年代個人的邦楽10選Ⅳ

今回から年代順は年代順ですが90年代全体で思いつく限りのいい曲からやっていきたいと思います。今回は1993年から90年代ラストの1999年まで万遍なく拾っています。本当のことを言うと「小室哲哉プロデュース個人的10選」と題してやりたかったのですが、安室奈美恵の曲の権利関係の問題かどうかは分かりませんが、YouTubeでいい曲がなかったので断念して、小室哲哉プロデュース曲が若干多めの感じくらいにはなっている、そんな回です。安室奈美恵の曲はそんな感じで選べなかったです、すいません。まあでも他の90年代で好きだった懐かしい曲がその代わりにいくつも入れることが出来たので、それはそれでよかったかな、とも思います。ではそんな感じですが早速どうぞ。


TRUE LOVE / 藤井フミヤ (1993年)
前年の1992年で解散したチェッカーズのフロントマン藤井フミヤのソロデビュー曲でいきなり200万枚超えの大ヒットとなった90年代、平成を代表するバラード曲です。フジテレビの月9ドラマ「あすなろ白書」の主題歌でもありましたね。当時中学3年でまだそこまで音楽やドラマといった流行には乗れていなかったのですが、このドラマはかなり大ヒットしていてクラスメイトとか、テレビ、雑誌とかで盛んに取り上げられたりしていたのでさすがの僕も最終回手前から観ていた記憶があります。1年後くらいに関西では夕方に再放送していたのでそこでちゃんと観てドハマりした記憶もあります。当時は恋愛モノが毎回大ヒットしてましたね。このドラマで主役を食っていたのがまだブレイク前のSMAPの木村拓哉で「取手君」としてヒロインの石田ひかりと相手役の筒井道隆の間で三枚目というか報われない役やっていましたね。詳しいストーリーは忘れましたが、やっぱり輝きは半端なかったです。そこからSMAPとしてだんだん売れて平成を代表するスーパーアイドル、俳優となっていきましたよね。藤井フミヤのこの曲もそのドラマの恋愛風景と凄くマッチしていて、そこまでドラマとか恋愛とか興味なかった僕でさえやられてしまいハマってました。カラオケでもカッコつけて良く歌ったりします。歌いやすい曲ですし。上手いかどうかは別にして笑。


神様の宝石でできた島 / MIYA&YAMI (1994年)
THE BOOMのフロントマンでボーカルの宮沢和史がジャマイカのレゲエアーティスト「YAMI」と組んだユニット「MIYA&YAMI」として発売したシングルです。この曲はかなり好きでしたね。宮沢和史のワールドワイドな音楽性がいい感じでジャマイカのレゲエのバイブスに昇華されてひたすらに「神様の宝石で出来た島」を思わせる天国の揺らぎを聴くものに感じさせます。この年から高校に入学して昼休みにこの曲が校内放送から流れてきて、その中でサッカーしたりしていたのを昨日のことのように思い出します。新しい環境で新しいタイプの音楽浴びながら人生の階段を上がっていったあの頃は何だかんだで特別な感受性でたくさんのものを築けた「神様の宝石で出来た」時間だったのかもしれません。今振り返ると。まあいいことだけじゃなくてうつ病というやっかいな問題も抱え始めた時期でもありましたが、天国もその合間合間に垣間見れたからそれはそれでよかったです。


survival dAnce ~no no cry more~ / trf (1994年)
1994年に高校に入学してどこからともなく流れてきた曲がこれ、みたいな。知らない間に「これ何?いいやん」みたいな感じでじわじわと来る新しい時代の息吹みたいな。僕自身もそれまでの中学生という狭い環境から高校生という世界が広がっていくタイミングと重なっていて余計にこの時代の音楽が環境の変化によるストレスでかさぶたに空いた穴から心底に響く旋律となって刻まれているのかもしれません。懐かしいですね、まだ本格的に音楽を聴く一歩手前で。その一か月後にはもうミスチルのイノセントワールドの洗礼を受けて音楽の世界に入って行ってましたが。僕にとっての世界が大きく変わり始めた原初に鳴り響いたまさに「サバイバルダンス」の始まりを告げる曲だったのかもしれません。人生はそこから大きく変わったし、「うつ病」という苦味とともに自立へと強制的に歩まされたとも言えるわけで。思い出深い一曲です。


BOY MEETS GIRL / trf (1994年)
前曲とこの曲の大ヒットでtrfは一気に時代の中心に立った感じがします。「サバイバルダンス」が5月25日に発売されてこの曲が一か月も経っていない6月22日に発売されて、ちょっとこんなに凄い名曲を連発されたらそりゃあ社会現象みたいになりますって。ミスチルもイノセントワールドやアルバム「アトミックハート」で社会現象になりましたし、あの1994年には何かもの凄いバイブスが降りてきていたのでしょうかね?そういや現在の神様「大谷翔平」もこの1994年7月に生まれたそうですし、やっぱり何かあるんでしょうか、見えない世界的にあの1994年は。知らんけど。小室哲哉のプロデューサーとしての評価もここからうなぎ登りで、「まさかこの人まで?」という人も音楽の世界に引っ張り込んで大ヒット飛ばしていましたから。それは次の曲のお楽しみということで。


WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント~ / H Jungle with t (1995年)
まさかのあの人とはこの1995年にそのキャリアの頂点に立ったダウンタウンの浜田雅功でした。僕はこの曲が出来るその瞬間をテレビ越しに目撃していたのをよく覚えています。ダウンタウン司会の伝説的音楽番組「HEY! HEY! HEY! MUSIC CHAMP」が1994年の10月に始まってその第一回のゲストがたぶん「trf」とかで何回か出ていて何回目かにプロデューサーの小室哲哉も一緒に出てその時に浜ちゃんが「小室さん、僕にも曲書いてください」とか冗談でたぶんその場のノリで言ったと思うのですが、小室哲哉は何か凄い真面目な人みたいでそれを本気の仕事依頼みたいに取ったというか、あの時代を作るほどの凄腕プロデューサーの嗅覚で「今ダウンタウンの浜田雅功をプロデュースしたらもの凄いムーヴメントが起こる」と直感したのでしょう、わずか数か月後にはこの曲が生まれそして最初は「たかが芸人」の歌か、と思われていましたが、そこは天才プロデューサー小室哲哉の意地とプライドでもの凄い音楽性も高い僕もよく知らないので偉そうなことは言えないですが、クラブシーンとかで密かに流行り始めていた「ジャングル」というジャンル(?)をふんだんに盛り込んだ名曲に仕立て上げていて、まさかの200万枚売れてその1995年の年間チャートでもドリカムの大名曲「LOVE LOVE LOVE」に次ぐ第2位にランクされた時代を代表するヒット曲となったのでした。丁度相方の今はいろいろあって芸能活動を休止している松本人志も「遺書」というエッセイを出版してこれまた200万部も売れるという本当にダウンタウンがそのキャリアの頂点に立っていた1995年という時代がなんか強烈に懐かしいですね。あの頃のダウンタウンはホンマに無敵状態でした。「ごっつ」とかで腹がよじれる程笑わせてもらったし、ガキの使いの総集編とかめっちゃビデオ擦り切れる程何回も見たし。ダウンタウンは青春でしたね。隔世の感があります。というか四半世紀も経ってまだダウンタウンがトップっていうのもおかしい話やなあ、ととっくにテレビ見なくなった最近は思ったりしていましたが。


ロビンソン / スピッツ (1995年)
去年まで通っていて現在休学中の某大学のフランス語の先生が言うには「この30年で日本で出た曲でぶっちぎりナンバーワンはこの曲」とのことです。まあ個人の見解なのでいろいろな意見はあるのですが、僕自身はその意見はあながち間違っていないとも思えるので、これをその先生から聞いた時に「なかなかやりおるなこのおっさん」と不謹慎ながらも思ってしまいました。それくらい聞く人が聴くとこの曲がちょっとヤバいくらい「ぶっ飛んだ名曲」だと分かってしまうのかな、とか。やっぱり僕もおぼろげながらですが、最初聞いた時から「なんか違う」感はこの曲から漂っていたので四半世紀経って件のフランス語の先生が言ったセリフに膝を打ったというか、そんな感じになったのかなとか思ったりします。この曲も高校2年の昼休みのサッカーやっているグラウンドで鳴り響いてたので懐かしい思い出の曲でもあります。ミスチルと才能が双璧やったなあとか思っていましたね、あの当時。


Can't Stop Fallin' in Love / globe (1996年)
小室哲哉がTMNのようなバンドを組んで本格的にまた音楽を自らやるようになったglobeでは一番好きな曲です。「Feel Like dance」も好きですが、よりメロディが美しいこっちがやっぱり好きですね。小室哲哉のこういう繊細な感性が個人的にはツボでして。


黄金の月 / スガシカオ (1997年)
関西のFMラジオ局FM802でヘビーローテーションになっていてその当時から「802」をよく聞いていたので毎日のように耳に入って来てました。90年代後半から日本全体というか時代は社会はいよいよ厳しさを増してきて甘いだけのラブソングとか、応援歌より洋楽テイストを上手くブレンドさせた進化した邦楽が増えていったような気もします。この曲はその典型かなとか個人的に思ったりします。スガシカオの謎めいたアーティスト性、というか硬派な感じが良かったですね。キレたら怖そうみたいな。30歳でデビューするまで普通にサラリーマンしていたという異色の経歴も「大人の歌」って感じがしてカッコよかったです。世間を知っている大人な感じが色気もあって。歌声もかすれ声でまたセクシーでしたし。


強く儚い者たち / Cocco (1997年)
前曲の「黄金の月」が5月のFM802のヘビーローテーションでこの曲が僕の19歳の誕生月11月のFM802のヘビーローテーションでした。結構生々しい歌詞で聞いていたらややしんどい感じもしましたが、その当時の鬱屈した思いとかと重ねて聴いたりしていたので、印象には残ってます。これが洋楽とかで歌詞が英語ならメロディとかにハマって結構お気に入りの曲になったのかも、とか思ったりします。


Grateful Days featuring Aco, Zeebra / Dragon Ash (1999年)

kj、カッコ良かったですね。今もですけど。初めて同じ年の凄い人が本格的に出てきたなって素直に思えたのがこのドラゴンアッシュの降谷健志で。めちゃくちゃ尖っていて、ひきこもりどん底時代の僕とは全く別人種だと思っていましたが、同じ学年だからなんか気になっていたり。同時代を生きてきてこういう表現してる奴がいるって感じで、見上げてばかりでした。宇多田ヒカルとか椎名林檎とか同世代か少し下の世代から急にそれまでとは違う音楽を作って大ヒットを飛ばしていく「本格的な」アーティストがこの時代辺りから増えてきたなって思ったりしていました。まったく時代の空気は吸えていなかったですが、時代が大きく変わっていくのはそのラジオやテレビから流れて来る音楽でわかったりして。90年代初頭のあの昭和な連続体としての「日本」は完全に消滅していましたね。やっぱりいろいろなところで言われるようにあの1995年の阪神淡路大震災とオウム真理教の一連の事件で日本社会が、そして世界もかもですが。大きく変わっていくそんな分岐点に合ったのかもしれないですね。90年代ほどその前半と後半で時代の在り方が異なって見えるデケイドってなかなかないのではないでしょうか。そんな風に思ったりします。それくらい変化が激しい時代だったと言えるのかな、とか。


こんな感じで一気に90年代を横断してみました。僕個人も1993年の中学3年から1999年の引きこもり全盛期(?)まで凄い変化があった年代なので、まだ正直苦しみとかも付随してきているみたいで、苦味すら感じさせますね、ここら辺の邦楽は。洋楽とか結構気楽に書けたりするのですが、邦楽は何か現実を思い出させる感じがどうしても、何故だか分からないですがしたりするので、「他人事」みたいには書けないです。だから90年代ラストに出てきた「ドラゴンアッシュ」の降谷健志の在り方とか「勇気あるな」って感じでビビりながら見ていました。なぜなら僕らの世代が逃げずに生きるとこうなるっていう典型の生き方をしているように見えたから。不良ってそうじゃないですか。もう逃げ隠れも出来ない、だからケンカしようが戦ってでも自分の失いたくない感性を死なせないために、尖っていくしかない、勇気のない奴は逃げて何回も死んで新しく「生まれ直して」低くなっていくしかないけど、不良は高いまま勇気を出して自分を貫けるから、貫くしかないところで生きるから、憧れるけど。ケンカとか争いとか、いろいろ闇にも染まる面倒くささもあって、かなり大変なんやろうな、とか。でも生き抜いたからこそ、色気もあってモテるし、話してみたらめっちゃ人間っぽくて味があるし。僕の幼なじみもそんな感じだったのでそこら辺は少しは分かったりします。僕は何回か死んで今の低きに落ち着いているわけですが。それでもまだ前を向いてこの時代に生きていけていることには感謝ですね。まあそんな感じで今回は失礼します。ではまた何かの10選で。

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