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【小説】ゆれるかご・2

商社に勤める中村亜希子は、恋人の田畑聡とその娘小梅と、シェアハウスに暮らす同居人のような気負わない暮らしをしていた。
 ある日、亜希子は会社の人事部から突然呼び出されあらぬ疑いをかけられる。

*全5話です。毎週火曜日の夜に更新予定*

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「あっこさん!お久しぶり〜」

 電話口の向こうからテンションの高い陽気な声が聞こえてきた。亜希子が唯一知っている聡の同僚カズキだ。

 突然姿を消した聡と小梅は、一晩中待っても帰ってこなかった。何度か入れたSNSもすべて既読にはならず、電話も繋がらなかった。
 それでもどこかで「あっこちゃん、ゴメン。携帯なくしちゃってさ……」とか言いながらいつもの飄々とした感じで聡は帰ってくる気がして、寝ずに待っていたら朝になってしまった。

 とても出社する気持ちになれない。出張先の小松課長に体調不良で休みをもらいたい旨メールを入れたところ、あっさりと「了解しました」と返信があった。
 昨日の出来事が思い起こされ亜希子は複雑な気持ちになった。社用携帯に反射して映し出される自分の表情は何歳か老けたように見える。

 朝9時を過ぎ、聡を知る人に連絡をとってみようかと考えた。
 が、思い当たる知人がほとんどいない。
 聡と亜希子は同郷で家も近所で子供の頃から顔見知りだったが、小学生の最後の頃に聡の両親は離婚しており、父親はその時家を出ている。
 母親は聡が高校生の頃から家を空けがちになり、聡が上京してからはほとんど連絡も取れないと言っていた。

 1年前一緒に暮らそうかという話になった際、亜希子はご両親へ挨拶したいと話した。しかし聡は

「俺は親がいないようなもんだからいいよ。あっこちゃんのとこだけ行こう!
 でもおじさんおばさんになんて言われるかな。なんか緊張するなぁ……」

 と言い、照れくさそうにこめかみの辺りをかいた。
 聡がそう言うなら……亜希子はご両親のことをそれ以上訊ねなかった。

 地元に戻れば中高時代の友人に会えるもしれないが……。
 そこまで考えて思い出したのが、一度一緒に飲んだことのある聡の同僚カズキだった。

 亜希子は聡からほとんど友人や知人を紹介されたことがない。だが、このカズキだけは例外だった。
 あとから聞くと、どうやら天性の社交性をもつ彼に押されて半ば強引に亜希子は連れてこられたらしい。

「いやー聡にこんな綺麗なワイフが出来るなんてボク嬉しい!!」
「いや……ワイフではないです……同居人……?」
「小梅ちゃんも良かったね?!」
「別に私は二人のことだし……?」
「で、聡はどんなとこ好きになったの?」
「別に……」

 万事がこんな調子でマシンガントークが繰り広げられた。通常なら不愉快に感じそうだが、何故か悪い気がしない。思春期の小梅も何故か打ちとけている。

 亜希子も話をしていて次第に面白くなってきた。その食事の最後にお近づきの印にお互いのSNSを教えあっていたのだ。亜希子にとって、聡に繋がる唯一の手がかりに思えた。

『聡のことで確認したいことがあるのですが大丈夫ですか?』

 失踪したといきなり送ってはまずいかとさすがの亜希子も思い、慎重にメッセージした。数分後、返事より先に電話がかかってきた。亜希子が出ると冒頭の陽気な声が返ってきたのだった。


「エエ?! 聡、昨日帰らなかった? なんかあったのかな?! 心当たり? ないない。あ、でも昨日、会社を早退したよ!」

 まずは聡が今日出社しているの見たか、と確かめた。来ていないことを確認し、自宅に戻らなかったのでなにか知らないか訊ねると、カズキは驚いて独り言のように声を上げた。昨日も早退した? 亜希子はその先を詳しく確認した。

「部署違うから詳しくはわからないけど、喫煙所でよく会うのね。
 午前中の一服のときに携帯でなんか連絡受けて、早退するって。慌てた様子だったよ。でもさ、小梅ちゃんいるじゃない? 子供いる人ってたまにそういうことあるからさ。てっきりあっこさんも知ってることかと思ってたけど。
 エーーーー? 失踪ってこと?!」

 カズキはその先のことは何も知らなそうだった。

「ねぇねぇ、あれだした? 捜索願?」

 カズキはそう聞いてきた。もちろん亜希子も一晩中待っている間に事故に巻き込まれた可能性も考えた。捜索願についてネットで調べてみたところ籍をいれていなくても同居し密接な関係である自分は提出することが可能のようだった。だが

『自らの意思で出ていったと思われる人は積極的な捜索をされない』

 という情報を見て、振り出しに戻る気持ちになった。

 戸籍上妻でない自分は、警察で二人との関係をイチから説明しなければならないだろう。そこまでする結果が『積極的には捜索されない』としたら……。昨日から気力を奪われる出来事が立て続けに起きていた亜希子には警察へ向かう気持ちが湧いてこなかった。

「自分でいなくなった人のことは、警察はあまり調べてくれないみたいなんです。まずはもう少し自力で調べてみようかと」

 自分で言いながら、自ずと声が小さくなった。カズキは「そっかぁ……」と亜希子のテンションに合わせて声を落とした。

「ありがとうございます。あの、何かわかったら教えてください。あと、まだ会社にはこの話は伏せておいてくれますか?」
「わかってるって! リョウカイ! なんか分かったら連絡するね! 気を落とさないでよ!」

 小梅の通う中学校は比較的家から近かった。家にいても埒があかないので、悩みながらもひとまず近くまで行ってみることにした。

 昼前の住宅街は静かでほとんど人もおらず、これが平日の昼間だということを忘れかけた。通常なら時間に追われバタバタしている頃だ。
 会社での出来事に思考を巡らせた。謎の写真、そしてそれを流出させた何者かの目的……。『バル・ドゥエロ』のマスターに聞けば何か覚えてるだろうか……。

 そこまで考えたところで、中学校についた。
 が、校門の近くまで行って亜希子はやはり躊躇した。今どき公立とはいえ防犯カメラもあった。いつまでも付近でウロウロしていたらさすがに不審者扱いされかねない。心なしか先生がこっちを見ているように思える。

 亜希子はあえて学校から視線を外した。自分はただ散歩しているだけのような表情で少し離れた場所までいき、再び校舎を見た。
 校庭ではちょうど体育の授業が行われていたが、あの中に小梅はいない。亜希子は何度か頭をかすめた思いが心のうちから湧き上がるのを認めざるを得なった。

(入籍していれば。堂々と確認できたかもしれない……)


 亜希子は24歳のときに学生時代の恋人と一度結婚していた。友井物産に入社して2年目の結婚に周囲は反対する人もいたが、家族は祝福してくれた。

 しかし、結婚して2年目くらいから亜希子は元夫との関係に違和感を覚え、一方で元夫もほとんど帰宅しなくなった。たまに帰宅したと思えばお互いのかみ合わない理想の押しつけとなり、どちらともなく離婚を意識しだし、最終的に協議離婚した。
 姉は「子供がいなくてよかったじゃん。まぁいまどき離婚は3組に1組するっていうしね!」と励ましてくれたが、両親はただ哀しそうな顔をした。

 その後、お互いの職場の飲み会でたまたま同じ店にいた聡と再会した。思いもよらない場所で出会った同郷の人と、なつかしさもあり一通りお互いの近況を話しているうちに、連絡先を交換した。

 お互いに実はバツイチであることを知り、気負わないでいい安心感があった。子供のいる聡はなかなか外食も出来なかったが、ポツポツとした穏やかなSNSや電話をしているうちに、亜希子は徐々に聡の雰囲気に惹かれていった。
 聡は飄々として掴みどころがないが、会話のペースや好きな食べ物などが似ていて、なにより距離感が心地よかった。

 付き合っているのかそうではないのか分からない不思議な関係がしばらく続いたある日、突然「うちにくる?」と言われた。気持ちは嬉しかったが「年ごろの小梅ちゃんは大丈夫?」と亜希子は自ら言った。
 ところが、当の聡は「無理にとはいわなけど」とあっさり引いていきそうな気配で、亜希子は難しく考えるのをやめた。

 年末に向けて世の中がバタバタとしはじめ、一方で街中がクリスマスモードになる頃、亜希子は聡の家に遊びに行くことになった。
 思春期の中学生が何を喜ぶのか分からず無難にケーキを持参することにしたが、購入した洋菓子店で『クリスマス特典で~す』といって被らされたサンタ帽のまま登場してみたら、小梅に実に冷めた眼差しで見つめられた。
 一気に回れ右をして家から出て行きたくなったが、小梅は一言こう言った。

 「いつもそんなテンションじゃ疲れるから普通にしていいよ」

 冷めてるのかこれが今どきなのか、昭和生まれの亜希子には判断がつかなかったが、聡は実に面白そうに笑った。
 亜希子は少し動揺した。二人の中にどう入っていけばいいのかよく分からなくなったのだ。

 だがそんな亜希子の心配をよそに、小梅は思いの外自分に打ち解けてくれた。

「亜希子さん、うちで一緒に暮らせばいいのに。部屋もうひとつあるし」

 まるでシェアハウスに招かれるような形で亜希子は引っ越しをした。だが近しい友人に引っ越し連絡ついでに近況を話すと決まって心配された。

 そんな中途半端な形で同居して大丈夫なのか?
 相手は何を考えているのか?
 子供がいる人と再婚は苦労するよ?

 亜希子は次第に人に話すことが億劫になっていった。3人の暮らしは思いのほか居心地がよかった。別に入籍などしなくても、これはこれで楽しい人生なのではないか……。

 そんな感慨がいつしか自分の中に生まれていた。が、こうして中学校の前に来て改めて「自分は田畑聡・小梅とは他人なのだ」という事実を痛感した。

 とりあえず一旦家に帰ろう、と亜希子が踵を返したその時、スマートフォンの着信音が鳴った。カズキからかもしれない、と慌てて画面をみた亜希子は3秒くらい固まった。画面には『公衆電話』と表示されていた。

「も、もしもし……?」

 とにかく電話に出てみることにした。しばらくの沈黙。

「中村です。どなたですか?」
「あっこちゃん?」
「聡……?!」
「ごめん、あっこちゃん。あんまり長くは話せないんだ。でもとりあえず、俺と小梅は元気。それだけが伝えたくて」

 周囲がざわざわとしており、聡の声は途切れ途切れにしか聞こえない。

「ちょ、ちょっと待って!いまどこ?」
「……心配しないで。すぐ、帰るから」
「なんかあったの?」
「ごめん、今残り10円玉しかなくて。もう切れそう。それじゃ……」

 そう慌てて聡が言うとほぼ同時にツーツーと機械的な音が聞こえた。
 亜希子はしばらく呆然とその場に佇んでいたが、中学校の校庭で先生が吹くホイッスルの音で我に返った。校庭では先生のホイッスルにあわせて、数人の生徒が短距離走のタイムを競っていた。顔つきが少しあどけない子もいるので中学一年生だろうか。

 亜希子は今聡からかかってきた電話の意味を必死で考えた。
 「俺と小梅は元気」「すぐに帰る」その言葉をそのまま受け取れば自分はおとなしく家で待っているべきなのだろう。
 帰宅する二人を迎えて「本当に心配したんだけど?!」くらいは言ってもいいかもしれない。

 けれど、なぜ?

 携帯電話にはなんの応答もせず、突然公衆電話から電話をしてきた。今10円しかないという。この状況で、はいそうですか、と家で待てる人間がどこにいるだろう。
 なにかに巻き込まれている、そう考えるのが自然だった。


 亜希子はそのままの足で『バル・ドゥエロ』へ向かった。ランチは11時オープンだがすでにマスターが仕込みで店内にいるのが見えた。
 テラス席からガラス越しに店内を覗いて、向こうが反応するのをみて入り口のガラス戸を押した。カランとドアベルが鳴ると同時にマスターが神妙な顔つきでこう言った。

「お客様、当店は11時開店なんですよねぇ……。なに、今日サボり?もうお酒飲みたくなったの?」

 マスターの冗談に亜希子は少し気持ちが和らいだ。あえてなんでもない事のようにさらっとこう返した。

「うん、そう。飲んでなきゃやってられないの。会社から身に覚えないことで飛ばされそうになった晩に、サトウメまでいなくなってさ。トリオ解散の危機」

 サトウメはもちろん聡と小梅のことだ。コンビみたいな二人なのでここではそう言ってた。

「それは大問題だね。まあ座れば?」

 むろんマスターは亜希子に合わせているだけで2人のことをほとんど知らない。
 マスターは仕込みの手を止めるとグラスに白ワインを注ぎ始めた。

「ちょっと、冗談だよ!仕込み中でしょ?聞きたいことがあって来たの。忙しいところごめん」
「べつに、貴女にとっては水でしょ?これ」
「……。あとでランチ注文するからつけといて……」

 亜希子はマスターにかいつまんでこれまでの出来事を伝えた。

「で、その人事に見せられた写真、いまあるの?」
「残念ながら、ない。人事も紙ベースでしか持ってないみたいで。でも、その場でスマホに写真とっとけばよかった!」
「そっか。写真みないとさすがに来たことある人か分からんなあ」
「でも、あんな人、この店くる?」

 亜希子は、写真に写っていた男性の風貌を伝えた。マスターは腕を組んでしばらく考えた後「なんとも言えないな」と言った。

「え?」
「いや、店内でなにか揉め事でも起こしてるとか、それこそいかがわしい会合してる、とかならまだしも、その風貌ってだけでお引き取りいただくってのは出来ないよね。単にそういうファッションが好きな人かもしれないでしょ。
 この仕事柄お客さんの顔は覚えるほうだと思うけど、それでも1人客ならまだしも、例えば隣にお連れさんがいて、普通に飲んで帰ったら、この店内夜は暗いし割と記憶にも残らず溶け込むかも?」
「な、なるほど……」

 亜希子はそう返して、ある疑問が湧いてきた。亜希子が思った疑問とまったく同じことをマスターは言った。

「そもそもだけど、人事の人は『その筋の人だと分かっている』みたいなこと言ったんでしょ?なんで分かったわけ?紙ベースの写真だけで」
「そう……だよね?」

 亜希子は、翌日データが同僚にばらまかれたことと、その夜の同期の森本との会話をマスターに伝えた。

「ふーん。不確定要素だらけだけど、ざっくりいうと仕組まれてる臭がプンプンするね、亜希子ちゃん。サトウメの失踪はなんか関係ありそうなの?」
「それは、まだ……なんとも言えないけど、たまたまのような気もするし……」

 亜希子はさきほど聡が何故か公衆電話から電話してきたことを告げた。

「僕が亜希子ちゃんだったら、とりあえず実家に行ってみるけどなあ」

 マスターにそう言われ、亜希子は沈黙した。そうだ〝普通は〟そうするのかもしれない。ただ聡に限って無い気がした。

「実家の方にはいないと思うんだよね」
「でも、どこかにはいるんでしょ?なんらかの理由で。僕なら、土地勘あるとこにいくけど。それともなに、犯罪組織に命でも狙われているの?」
「いやさすがにそれはないかと……。電話してきたとき助けを求める気がするし『帰るから』とは言わないよね」
「まぁわかんないよね。言わされてるのかもしれないし」
「もーーーマスター!どっちにしたいの?」

 亜希子は頭を抱えた。

「ごめんごめん。だって何にもわからないからさ」

 何も言い返すことが出来ない亜希子に、マスターはひと呼吸おいてこう呟いた。

「一つ確かなことは、サトは何か重大なことを亜希子ちゃんに隠している、ってことだよね」

 重大なこと。あの飄々とした聡が抱えるものがあるとすれば、それはやはり実家にまつわることのように亜希子は思えてきた。

「ありがとう、マスター。少し頭が整理できた」

 『バル・ドゥエロ』でランチをとった後、亜希子は上野へ向かった。そして、14時00分発の特急に乗車した。自宅に帰って悶々とするより、足を動かしていたほうがいくらかマシに思えたのだ。

つづく

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