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甲子園に詰まった青春

同級生と弟

私にとって高校野球といえば、小中学生時代の同級生が2014年に甲子園優勝したことが印象的。それ以来、年下の世代の活躍の場を見守るおばさんの気持ちになって、こうやって年を取っていくんやな〜と思ったことがある。

そして、8年後。それに憧れた弟が甲子園でプレーする時がついにやってきた。

2015年、7年前、11歳。甲子園に連れて行った時。

弟を昔から知る私の友達は、
このときから止まっている人も多いのではないか…?!笑

我が家の青春

そんな高校球児を支えた私の家族の物語をちょこっと。

まず母。長女の私が小学生時代子ども会のソフトボールをしてた時もお茶当番とかサポートしてくれた。そして今回の次男の甲子園も「父母会の長やから連絡とかやること多いねん」とバタバタと忙しそうにしながらも、弟の話をする表情はいつも楽しそうだった。「夏は忙しいから仕事(パート)やめてきた」と引くくらいの意気込み。敗北が決まった後、一番抜け殻だったのは母である。

次に長男。自称スポーツ一家のうちの中では、スポーツをしない人。だけどサポート面ではピカイチ。自分がプレーしない分、俯瞰で見てる所がある気がする。次男の進路の話をするが、「まずあんたはどうなん?」と聞くと「甲子園終わってからちゃんと就活する」とこちらも引くほどの回答。次男の練習に付き合ってたこの頃が懐かしい。

そして父。母と長男がしていたのが小さな応援だとすると、父は大きな応援。ここぞという時に導いてくれる。高校生になってから家族でよく応援に行くようになった。大阪から高知までは5時間。練習試合でも行っちゃう。1試合目からだったらありえんぐらい早い時間に出発したり、1泊したりする。もはや家族旅行。いや、生活の中心になっていた。

さらに祖母。一番祖母っ子だった次男は、認知症が進み変わりゆく姿を見たくないと、帰省時電話をしなかった。「もし甲子園までに万が一のことがあったら帰ってくる?」と聞いた時には「帰らない」と言った。メンバーが決まったら集中するという覚悟には衝撃だった。
祖母は「甲子園見に行くまで死なれへん」と生きがいの一つになっていただろう。当日はユニホームを着て施設から応援。前のめりになって目をキュルンキュルンで見てる動画が送られてくる。次男のことはよく分かっているようだ。「活躍することが最大の恩返し」とはこういうことだろう。抜け殻にならず長生きしてほしい。

かくいう私は。特に何もしてあげれてなくてごめんねという気持ち。
3年前実家を出たタイミングが同じで、高知と島根それぞれで頑張って、年末の帰省でしか会うことがなくなって。スポーツ”だけ”に熱中する姿には何か危機感を覚えることもあった。「自分からスポーツがなくなったら何もなくなる」ということを味わったことがあるからこそ。いつかは引退するのだから本当にそれ"だけ"に熱中してていいのか!?と言いたくなるが、「やれるとこまで頑張れ」と言う。姉弟というのは、他人のようで家族なのが不思議な感覚である。

甲子園当日は、親戚が大集合。お葬式でしか会わない人たちがそれ以外で集まった。応援の力ってすごい。疎遠だった人たちを密にしてくれた。

一人一人が誰かを応援していると思うと大きい力だなぁ。

好きな言葉はFor you。誰かのために野球をすると自分が持ってる本来以上の力が出る。

近江・山田陽翔主将

チームの青春

選手、仲間、監督、コーチ、親、兄弟、家族とのドラマ。プレーには表現されないストーリーに焦点を当てられたドラマがある。いや、ドラマがあるからこそのプレーなのかもしれない。
そんな裏側に焦点を当てた高校球児のラストミーティングには感動する。それが地方予選でも。印象的だったのをいくつか紹介。

これから先勝負どころで決めにいかなあかん。勝負は一瞬しかない。これは忘れないで欲しい。君らはこれから人生で勝負していく。

門真なみはや・小田悟監督

高校野球は今日で終わりじゃん。だけど人生のゲームは、何回でもバッターボックスに立てる。秘訣(ひけつ)は勝つまで挑戦し続けること。

八丈・前川達郎責任教師

将来、外角のスライダーを上手に打つ技術は役に立たんかもしれん。でも頑張った経験はここから使うやん。何でも一緒や、勉強も。働いてからも。高校生活は人生の予行演習みたいなもんや。ここからが君たちのスタートや。この記憶は忘れんといてな。

高槻北・楠一央責任教諭

人って人生終わる時に一番自分と向き合える。

かわち野・木戸裕生監督

だから、おまえらの人生の中のどっかで勝とう。格上の相手にどっかで勝とう。

上宮・村田侑右監督

______勝負、期待、悔い、仲間、応援、熱中、伝統、一生懸命、感謝、絆、自信

自分が教育者として部活の顧問を持った時、どんな言葉を送るだろうか?と考えちゃったりして。

勝敗がもたらすドラマの向こうに
それぞれを待っている栄光の扉が必ずあるんだ

2022 夏の高校野球応援ソング 栄光の扉/平井大

地域の青春

「宮城の皆さん、東北の皆さん、おめでとうございます!」 
「ん?おめでとうはあなたですよ?」となった人は多いであろう、仙台育英高校 須江監督のインタビューには胸アツだった。

真っ先に地域を祝った、この発言に隠れている想いとは。
仙台育英高校は東北を背負って、地域のために優勝を喜んだのか?
これはなぜ高校野球をするのかという問いに変えられる。
選手にとっては、今の自分のため?チームのため?仲間のため?家族のため?将来の自分のため?地域のため?
監督にとっては、選手(生徒)のため?学校のため?仕事だから?地域のため?
この場合の”地域”とは何を示すのだろうか。
東北という地域の団結がゆえの、白河の関越えなのか。

もし県外出身選手が多い下関国際高校が優勝していたら…どう地域に貢献できるのか。
「このチームで野球をしたい」という想いで親元を離れ、野球留学をする高校生を地元地域は応援しないのだろうか。そんな悲しいことはない。

「僕たち大人が過ごしてきた高校生活とは全く違うんですね。
青春って、すごく密なので
でもそう言うことは全部ダメだ、ダメだと言われて、
活動しててもどこかでストップがかかって、
どこかでいつも止まってしまうような苦しい中で、
でも本当に、諦めないでやってくれたこと、
でもそれをさせてくれたのは僕たちだけじゃなくて、
やっぱり全国の高校生のみんなが、本当によくやってくれて、
例えば今日の下関国際さんもそうですけど、
大阪桐蔭さんとか、そういう目標になるチームがあったから
どんな時でも諦めないで、暗い中でも走っていけたので、
本当に、全ての高校生の努力の賜物が、
ただただ僕たちが最後ここに立ったというだけなので、
ぜひ全国の高校生に拍手してもらえたらなと思います」

仙台育英・須江航監督

そう、そうですよね。全高校野球関係者、さらにコロナ渦を生きる全国民を代弁してくれた。

2020年は中止。2021年は無観客。そしてやっと戻ってきた有観客での甲子園。開会宣言でもこう言ってる。

これらの苦しい時期を乗り越えることができたのは、ほかでもないここに甲子園があったからです。

開会宣言 横浜高校・玉城陽希主将
去年は家族枠チケットで。(上)
3年ぶりの有観客に、晴れ舞台でプレーできてよかったねと心から思う。(下)

甲子園という地があるからこそ、青春が詰まっている。

大学時代を(甲子園駅の隣の)武庫川女子大学で過ごした私にとって、甲子園は懐かしい場所である。ららぽーとでご飯を食べて、「この辺でUber Eats配達したなぁ。」とか「今年は売り子さん少ないなぁ。1杯○0円だったけど今はいくらになったんかなぁ。(2週間だけアサヒビールの売り子した)」とか「看板での広告料は○000万円って授業でやったなぁ。」とか思い出す。(いくらか気になる人は聞いてね。笑)

青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気にみちて、日に新たな活動を続けるかぎり、青春は永遠にその人のものである。

松下幸之助

こんなに“高校野球”に熱中して応援するのは、弟の活躍もあったが、高校球児の青春を浴びてるんだと思う。甲子園を見るとなんか若返った気がする。

あなたが青春したのはいつですか?

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