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【毒親日記】感情を殺して生きた「素直で良い子」

はじめに

※この記事はシリーズ形式にしていましたが、文章が長くなってしまったので大幅に更新しました。マガジンにて更新していますので、ご覧くださると励みになります。


無意識に心を殺してた小学生時代

「従順」だから「良い子」

父親は嫌いだったけど母親は好きでした。
母親の言うことは素直に、従順に聞いてました。
言うことを聞いてその通りに動くと非常に喜んでくれるので、「認められてる」「生きててもいいんだ」と思えたんですね。

いわゆる「良い子」にしてさえいれば存在を認めてくれると悟りました。
私の学生時代は、母親の言いなりでほぼ生きてきたようなものでした。



私の気持ちが私にも分からない

母親の悲しい顔はもう見たくなかったんです。
だから、私がどんな顔をして学生時代を生きてきたのかは私にも分かりません。私のことなのに。

私が何を思い、何を感じて、生きてきたのか私にも分からなかったし考えようとも思いませんでした。
母親の気持ちが何よりも大事で、私自身の気持ちはこの家で、私の人生において、必要なかったんですね。そう思い込んでました。


孤立して不登校になった中学時代

身なりを気にする余裕がない

弟は友達を作って運動部にも入って、元気にやってました。
言うことを聞かなくても叩いてはいけないと、母親の教えにより叩くことも頬をつねることもしなくなりました。

弟は私と違って頭も良くて、友達と仲良く学校に行けていました。
私は中学生に上がると、途端に友達がいなくなりました。
髪もぼさぼさ、整えるケアもせず、寝不足で仏頂面だったからでしょう。
卒業アルバムはあまりにもひどい写り様だったので捨てました。


家では父からの暴力に耐え、母の金切り声に耳をふさぎ、恐怖に耐え忍ぶ日々を過ごしていたので、身だしなみを気にする余裕もありません。


いじめの横行

入学してすぐにクラスで孤立してしまったので学校が楽しくなくなりました。
他の小学校から来たボスのような女の子が主体となり、教室に入るなり「馬鹿」だの「ブスが学校に来るな」だのと悪口を大声で言われている子もいました。筆箱を隠されたり、体操服が無くなったりしてました。
いつ、その子たちのグループに標的にされるかと毎日恐怖でした。



成績も悪くて勉強についていけなくなる

頭も良くなくて、成績も下から数えたほうが早かったです。
早い段階で勉強もつまづいて、友達作りもできなくて、家でも居場所がない私は、心を殺すことにしました。
「悲しい」「寂しい」そんな感情は感じなければ、そんな感情は存在しないことと同じだから。
このとき私は、私という存在を、この世に生かすことを禁じました。


玄関で足がすくみ、外に出られなくなる

不登校になる

学校に行く支度をして、あとは玄関から出るだけなのに、取っ手に手をかけられないんですよ。
鼓動が激しくなり、お腹が搾り上げられるように痛くなりました。
そして立っていられなくて、しゃがむんですけど、汗も止まらなくなってくるんです。
目がぎょろぎょろと動く感じもしました。


外に一切出られなくなる

誰も見てないのに、誰かに見られていると感じて赤面してしまうようになりました。
人前で話すこともできなくなり、文字を書くことさえも震えて出来なくなった。人の視線がとてつもなく怖い。
醜悪な私の顔を誰にも見せたくない。迷惑かけたくない。
今思うと社交不安症になっていたんだと思います。

お金もなくて病院には行けなかったので、診断はできませんが、おそらく。
母親は心配してくれるどころか、ゲテモノでも見るように私を厄介者として扱うようになりました。



今回はここまで。
見てくれてありがとうございます。
つづきます。


つづく


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