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放置して離れることで問題が解決する理由

こんにちは@tateshina_lifeです。

人間は慣れる動物です。
当たり前をありがたく思わなくなります。

本当は心の底から大切だと思っているし体感しているにも関わらず、面倒になったり疎ましくなったりするのは人間として自然なことです(ですから宗教や道徳を”教える”のです)。

宗教や道徳は頭で分かっていたとしても実践できない。積み重なった結果として決定的なことが起こり、修復が不可能になってしまう。こういった経験、誰しもあるのではないでしょうか。

一体どうすれば良いのでしょうか。

僕は今蓼科のヴィラに住んでいる時間が長くなりましたが奥さんとの関係が悪くなったり、悪くなりそうだと感じることがあります。

別のトピックで書くと思いますが、僕がどん底だった時救ってくれたのは奥さんです。日常から僕を支えてくれているのも彼女です。それでも僕の環境や都合でどうしても優しくできなかったりキツくあたったりしてしまうことがあります。

彼女はもともと新型感染症の騒動が起こる前は、上野の家に2ヶ月暮らして中国の蘇州の家で2ヶ月暮らすという生活でした。その頃は僕と彼女でイライラがつのって衝突するということはありませんでした

一緒に暮らすことは間違っているとは思いません。しかし、彼女との2ヶ月ごとの同居・別居生活を経て日本の家は一緒に長い時間過ごすには狭すぎるのではないかと思うようになりました

上野の家は55㎡、大きめの1LDKでスライドドアで2LDKに変更できる都会にある典型的な小さなお子さんが1人いる家族まで向けのマンションです。僕らに子どもはいませんが、LDKで仕事をしているとお互いに独りになる時間がないのです。住む時間が長くなった蓼科も同様です。

そこで僕らはお互いに関係が悪くなりそうになったら蓼科と上野で1週間くらい離れて暮らすことにしました。すると見事なくらい上手くいくようになりました

以前この記事でも書きましたが、近づいたり中にいるとその本質を見失うのです。ですから意図して物理的に遠ざかったり外に出てみることで対象の本質を再認識し、感覚や感情を取り戻すのです。

”サードプレイス”という言葉が一般化しましたが、その価値はこういうところにあるのだと思います。

中国やアメリカなどは家が広いのでサードプレイスを家の中に内包化できます。日本の特に都市圏ではそれが難しいでしょう。故に昭和から居酒屋文化が盛んになったり、今になってカフェが見直されているのだと思います。そこに新型感染症の騒動がやってきて逃げ場がなくなったという訳です。

すぐに多拠点を持つというのは難しいかもしれません。

Withの時代になり徐々に外出することについての抵抗もなくなってくるでしょう。あえて近場のホテルに泊まって独りになるのも良いかもしれません。家を建てる際の設計思想も根本から変わってくるような気がします。

大切な対象との間で問題が生じた時には無理やりその場で解決せず、一旦放置して物理的に離れてみる

生きる上での本質的なテクニックとして手元に置いてみてはいかがでしょうか。

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