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都会が便利になればなるほど人は不自由になっていく | 将来の革命家たちへ

こんにちは@tateshina_lifeです。

今日は便利になればなるほど人は不自由になる、ということについて書いてみます。

昨日、蓼科の山へゲストがいらっしゃって、the switchback TATESHiNA farm and trailsで遅めの夕食をとっている時に、東京と蓼科の山で棲み分けてみての違いについて話題に上がりました。

彼女から見て僕は充足して生き生きとしているように感じられたようです。僕自身もこちらでの生活について、燃料代や車両費・交通費など現実的で細々とした問題はあるものの、それ以外の全てについて満足しています。

開かれた自由を感じていて、ストレスがありません

東京は何もかもが整然と揃っています。公共交通機関は時間通りにやってきます。3分も歩けばコンビニエンスストアがあります。15分程度であらゆる娯楽を提供する場所に出向くことができます。

道は基本的に平坦で綺麗に舗装され、場所によっては歩くという行為すら必要とされません。リードに繋がれて散歩するペットと出会うこともできるでしょう。

機能的で効率的、便利です。

僕が今の東京をつまらないと思った理由です。

蓼科の山のヴィラの窓からは八ヶ岳連峰の稜線が描く都会では見ることができない不規則なラインの下、圧倒的な樹林帯の存在を目にすることができます。四季や天候の変化で色々な顔を見せてくれます。ときには鹿が真下にやってきてこちらを覗き込んでいることもあります。

僕は山で生活するようになって、雨が降ると鳥がさえずりをやめることを知りました。最近はそれで毎朝、寝起きの布団の中で雨が降っているかどうか分かるようになりました。

一番近いコンビニやスーパーまでは7kmの距離があります。東京ではドアをあけて1分以内にセブンイレブンに行って用を足すことができましたが、こちらでは少なくとも1週間くらいの食料や日用品の計画が必要です。

ちょっと散歩しようとなれば、ヴィラの目の前には10%の勾配の坂を登っていく必要があります。自分の身体の重さを感じながら歩いていきます。力をかけて風景を少しつづ自分の背後に流していくような感覚になります。カセットテープのテープを鉛筆で回すように。

僕が今の山での生活を面白いと思った理由です。

機能的、効率的であること、結果として利便性が高まるということは不確実性を減らします。自分で考えずに、実行すらしなくても物事が整然と進んでいきます。

便利であることは人に行動の自由、結果としての自由意志の実感を減らしてしまうということです。不便であることで人は行動の自由、結果としての自由意志の存在を感じられるようになるのです。とても逆説的な話ですが。

自由とは便利さという名の退屈に対する日々の革命の結果なのです。

未来の革命家たちへ。

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