生酛造りで造られた日本酒の味わいとは その4 山卸の作業はどのように進化したのか 本日の紹介酒 蒼天伝 大吟醸 (宮城県 気仙沼市)
足で酛摺りを行うようになった機会を作った出来事
本格的に足で酛摺りを行うようになったきっかけを考える場合、可能性が一番高いのが、伊達政宗公によって行われた慶長の遣欧使節です。
何故、慶長の遣欧使節が派遣されたのか
この使節に関しては伊達家がスペインと組んで天下を取りに行ったが故に行われたのではないかという説もありますが、(実際に家康公の体調が悪い時に本当に仙台藩と江戸幕府の間で戦争に成りかけたが、伊達政宗が駿府城(静岡市)まで家康公を見舞ったことで回避できました。) 私の調べた限り、伊達政宗公自体は南蛮貿易を中心に考えていて、天下を取ろうとは考えていたようには思えないです。
中身は徳川幕府の遣欧使節
むしろ、スペインの銀のアマルガム精錬法を本気で入手しようとしていたのは、徳川家康公で京や堺の豪商を複数同行させただけでは無く、当時の幕府の船奉行であった向井将監にガレオン船であるサン・ファン・バウティスタ号まで建造させています。
※画像はサン・ファン・バウティスタ号(石巻市 サンファン館 HPより引用)
仙台城内に設けられた酒造り所
また、伊達政宗公は、仙台城内にて酒造り所を設けて、柳生宗矩公を通して大和から酒造り職人の雲野氏を招聘して、榧森氏を名乗らせて1608年より酒造りをさせていました。では、肝心の慶長の遣欧使節が出発したのは、1613年で、帰還したのが1620年であります。
※画像は仙台藩御用酒発祥の碑(発祥の地コレクションHPより引用)
徳川家康公には世界レベルの思考があったと思われます
伊達正宗公から使節の公使となったのが支倉常長公で正宗公の使節団の派遣の目的は当然仙台藩として、直接スペインとの交易、その使節に全面協力した徳川家康公の目的はスペインから最新の銀のアマルガム精錬法を入手し、当時世界の銀の産出量の1/3を占めた日本銀を使って、日本の軍事力を背景に安全を保証した東アジアでの緩やかな貿易体制を築くことを考えていたように思われます。
当時の豪商も使節団に参加していた
また同行した豪商たち(実際に名前が出ているのが伊丹宗味)は当然の事ながら自分たちの商売に一つでも役立つものを持って帰ることを考えていたと思われます。
一般的には失敗だと言われている遣欧使節ではあるが
この慶長の遣欧使節は、結局ローマまで行き実際にローマ教皇と謁見を果たしましたが、スペインとの交易の開設には失敗し、使節の一部の人間はスペインに残留し現在ではハポン性を名乗っています。ただ、この使節により江戸幕府は銀のアマルガム精錬法を入手しました。
本日の紹介酒
蒼天伝 大吟醸 (宮城県 気仙沼市)
主体となる香り 原料香主体、淡いハーブ香と爽やかな果実香有
感じた香りの具体例
白玉粉、生クリーム、マシュマロ、白桃、ライチ、青りんご、炭、ペパーミント、若草、瓜、青梅、スダチ、甘夏
具体的に感じた味わい
スッキリ爽やかな飲み口、繊細でスッキリした旨味が主体、後味はキレ良く爽やか、白桃やスペアミント、スダチを思わせる含み香
このお酒の特徴 繊細でスッキリ爽やかな味わいのお酒
温度設定のポイント
12℃前後にて、爽やかな果実香と繊細でスッキリ爽やかな味わいを引き出す
40℃前後にて、繊細でふわりとした旨味を引き出す
この日本酒に合わせてみたい食べ物
笹かまぼこ、茄子の浅漬け、千切り大根、小芋の煮つけ、アユの塩焼き、キスの天ぷら、桜鯛の天ぷら、サヨリの造り、杏仁豆腐、レモンシャーベット等
お酒の画像は、宮城県 気仙沼市 男山本店様HPより引用しました。
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