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集団にうまく馴染むコツ

お久しぶりです。

最近、コロナに感染したりなんだりとバタバタしていまして、すっかり更新の手が止まっていました。

しかし何十日開けたところで、話したいことがあるとついパソコンに向かってしまうのはなぜなんでしょうかね。

自分から社会的に孤立する必要はない

さて、タイトルの「集団に馴染むコツ」なんですがその前に。

人混みが苦手だったり人目を気にしたりといった理由から、自分から進んで孤立しようとする人が世の中には多く存在しています。

「自分がよければいいんじゃないの?」と言われればそれまでなんですが、そもそも人間って集団生活の中で情報交換や共同作業を行うことで進化してきた動物なので、まるっきり一人でいることが心地良いという心理はよほどの発育環境の中でないと身につかない感覚なんですよね。

なので、あえて一人でいたい人間の大半はそれぞれ様々な理由からどこかしら無理をしてそこへ行き着いています。

現に一人でいたいと言って孤立しつつも実際に行動を観察してみると、ゲームの中で架空の誰かと戦っていたり、近年であれば誰かからのコメントを求めてSNSに投稿をしていたりと、真の意味で一人になれる人というのは限られています。

実際のところ僕は、自分からあえて孤独な人生を歩む必要はないんじゃないかと思っています。

なぜかというと、どうせ年老いて行動力がなくなってくると孤独というのは自然と身近になっていくからです。

それなのに若いうちから一人でいようなんて、僕からするとそれは少し早計というかもったいないような気がします。

確かに社会に出て、集団の中で個を主張することは大事だと思っていますが、それは集団ありきの話であって全くの孤独では成り立ちません。

なんせ周りに誰もいない環境だと主張する相手もいませんからね。笑

集団に馴染むのは難しい

さて、先ほどの話でそれぞれ様々な理由から社会的に孤立する人が多く存在すると触れました。

家に籠ってしまったり、個人事業主となって働き始めたりといった例が挙げられるかと思います。

一概には言えませんが、彼らが主にどういった理由でそのような道に進むかというと、集団に馴染む難しさに直面してしまったというのが例として多く挙げられます。

集団に馴染むというのは長い経験を経てコツを掴むまでは難しく、特に幼い頃から孤立することに慣れてしまっていると、いざ社会に出たときに集団に馴染めないという事態にもなり兼ねません。

そして一度失敗すると、その悪印象からなんとかして集団の外、いわゆる孤立した状態で生きようと解決策を考えるようになります。

そこで解決できればいいのですが、なんせ何をするにも最終的には人が相手ですから、できない人も多いのが現状なんですよね。

だとすれば、集団に馴染むということは生きていく上でほぼ必要不可欠なことのようにも見えてきます。

では、どうして集団に馴染むことが難しいのか。

その原因はどこにあるのかを考えていきましょう。

キーワードは「同調」

他に調子を合わせたり、他の意見に賛成したりすることを「同調」といいます。

いつでも周りと同調していればうまくいくはずなのです。

当たり前じゃないですか。

その集団の向いている方向と同じ方向を常に向いてさえいれば、それだけで集団には馴染めるはずなのです。

それなのに、うまくいかないのはどうしてでしょうか。

同調が「できない」というのはどういうことでしょうか。

少し論点をずらしますね。

常日頃思っているのですが、僕は「できる」「できない」という言葉には様々なニュアンスが含まれていると思っています。

「できる」人というのはどうしてできるのか。

①能力もやる気も十分だから率先してやっている。
②能力は不十分だが、必要だから仕方なくやっている。

どっちも「できる」人ですよね?

「できない」人というのはどうしてできないのか。

①やるだけの能力も無いし、やる気もない。
②やるだけの能力が無くて諦めている。
③やるだけの能力はあるが、やる気がない。

どれも「できない」人ですよね?

では、集団で同調が「できる」というのはどういうことでしょうか?

①集団に求められているだけの能力があり、率先して仕事がこなせている。
③嘘でもいいから周りの意見に賛成できる。
④その場の雰囲気に合わせることができる。

逆に、集団で同調が「できない」というのは……。

もう言わなくても分かりますよね?

同調できるかできないか。

それが集団に馴染むための最も基本的で、かつ最上級の要素なのです。

「同調」と「同調圧力」の境界線

ここまで同調できる人とできない人について触れてきました。

ここで話を掻き回すのが「同調圧力」というものです。

大多数の同調できる人と少数の同調できない人に分かれたとき、少数の人たちには「同調圧力」というものがかかります。

これは多数決の話のついでによく出てくるのですが、簡単に言えば

「みんながやってるんだからお前も合わせろよ?」

という圧迫が少数の人たちに生じるんですね。

たとえば同調できない人たちがただ単にやる気がないだけならいいのです。やる気さえ起こさせれば同調できる可能性がある訳ですから。

でも、そもそも同調するだけの能力がなかったとしたら?

「モラル」の皮をかぶった「同調圧力」

ほんの一例ですが、あなたが映画館に映画を見に行ったとしましょう。

映画館では静かに映画を見ないといけないという決まりがあります。

それは暗黙の了解であり、モラルやマナーと呼ばれるものです。

たとえば、あなたがものすごくおしゃべり好きで、見たものをすぐに周りの人に話したくなる性格だったとしましょう。

気をつけて映画を静かに見ているときに、感動のシーンが流れました。

誰かと共有したい。誰かと共有したい。そんな時。

「周りが静かにしてるんだから、お前も静かにしろよ?」

という圧力がその人にかかります。

実はこれも、「映画を見に来たお客さん」という集団の中の「少数の静かにすることが苦手な人」にかかる「同調圧力」と何ら変わらないのです。

そうやって考えていくと世間一般で「マナー」「モラル」と呼ばれるものは、ほとんどのものがどこかの誰かの首を絞める「同調圧力」となっています。

今や世界有数の多文化社会だというのに、マナーやモラルという「同調圧力」を掛けあう社会的風土は日本特有の病理だと個人的には思うんですけどねぇ。

5分でできる集団への馴染み方

さて、今までの話を踏まえたうえで、簡単な集団への馴染み方をご紹介しましょう。

とても簡単です。

「みんなが何のためにそこにいるのか」「ここが何をするところなのか」を忘れずにいることです。

みんながそこにいる時点でそれをするために集まっているんですから、それだけをしていれば誰にも何も文句を言われる筋合いが無いのです。

映画館は映画を見るための場所です。

何も考えずに映画だけ見ていればよいのです。

学校は勉強をする場所です。

何も考えずに勉強をしていればよいのです。

職場は仕事をする場所です。

何も考えずに仕事をしていればよいのです。

本筋を理解していないから、先生に、上司に、赤の他人にすら睨まれることになるのです。

最近の若者はコミュニケーションが苦手だから、と強めにコミュニケ―ションを取れと強要する会社が増えているみたいですね。

でも、それもちゃんちゃら可笑しい話で。

そんな言い方をすれば、人と話してばっかりで仕事をまったくしない連中が現れてしまいます。

優先順位が逆なんです。

正しくは「いざ、仕事で必要になったときにすぐに話せる程度には必要最低限のコミュニケーションスキルを身につけておこうね」なのです。

人間という動物は思ったよりも単純です。

ともすれば、人間の集団なんて実に単純なものです。

もっと単純に考えましょう。

隣の席の「できる」人は、きっとあなたが思っている以上にみんなと同じ方向を向いていますよ。

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