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将門を祀る?鳥越神社(台東区)

 台東区の鳥越神社へ都営大江戸線の新御徒町駅から行く場合、道順として清州橋通りを通り、鳥越一丁目の交差点で蔵前橋通りを行くのが一番わかりやすいのだが、そんな大通りはつまらないので、ぜひ一本となりの佐竹商店街とおかず横丁を通ってほしい。

 佐竹商店街は新御徒町の駅前からのびるアーケード商店街。商店街の名称は秋田藩の佐竹右京太夫の江戸屋敷の跡地だったことからついた。現在は埋め立てられているが、三味線掘り沿いに商店街はあった。日本で二番目に古いアーケード商店街だそうである。

 伊東四朗さんはこの辺りのご出身で、昭和五十二年[1977]NET系列の「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」の伊東さん扮するベンジャミン伊東の「電線音頭」のロケが行われたこともあるらしい。なつかしいな、キャンディーズ。小松政夫さんの「しらけ鳥」。
 結構、映画、ドラマ、CMのロケも多いそうだ。

 なんというか、すごく昭和感のある懐かしい街並みで、店の造りだけでなく、売っている商品や、においまで昭和が溢れている。(昭和のにおいってどんなダ、と思う人はぜひ佐竹商店街で鼻を広げてもらいたい。ホント、比喩でなく昭和の匂いなのだから。)

 佐竹商店街を抜けたら清州橋通りを渡って蔵前橋通りの裏道のおかず横町に入る。ここは、古い建物がとにかく多い。銅板を壁に貼り付けたいわゆる看板建築など、江戸東京たてもの園にあるような味わいのある木造の商店が立ち並ぶ。やはり、戦災を免れたおかげなのだろうか。佐竹商店街よりもさらにレトロな建物が多いように感じた。やはりここも、テレビのロケに使われることがあるそうだ。

おかず横丁
代表して酒屋さん

 ただ、営業しているのかいないのか分からない店が多いように感じた。以前はもっと寂れていた時もあったらしい。
 このような味のある古い建物を好きな若者は多いはず。実は最近徐々に若い人がここに店を出し始めているそうだ。少しずつ再生していくだろう。


 おかず横町を進むと鳥越神社の裏手に出る。横道から鳥居をくぐった。

 神社の創建は白雉二年[651]。日本武尊やまとたけるのみこと天児屋根命あめのこやねのみこと、徳川家康を祀っている。
 日本武尊が東国平定のためここを訪れ、村人がその威徳をしのんで白鳥明神として祀ったのが神社の始まりという。地名も昔は白鳥村といったそうだ。日本武尊は死後に八尋白智鳥やひろしろちどり(大きな白い鳥)になって飛んで行ったという伝説があるので、それにちなんだのだろう。


 永承年間[1046~52]安倍貞任が乱(前九年の役)をおこし、源頼義、義家親子が奥州に遠征したときに、名も知らぬ白い鳥が大川(隅田川)の上を渡るのを見てそこに浅瀬があるのを知り、無事に渡河することができたので、これを白鳥明神の加護とたたえ、鳥越大明神と名付けたのだという。そして、地名も白鳥村から鳥越の里に変わった。
 なにかと鳥がらみの社なのである。

 天児屋根命は中臣、藤原氏の先祖なので、この神社を奉斎していたのがこの氏族だったのだろうか。

 変わっているのは徳川家康を祀っていることだが、元は蔵前にあった家康を祀る松平神社が関東大震災で焼失したので、ここに合祀されたのだそうだ。 

 ところで、この神社は平将門に関係がある。といっても祭神になっているわけではない。
 将門は討死した後、首を斬られて京に送られた。そして、三日間さらし首になったという。伝説によると、将門の首は東の空に飛び去って、坂東の地に落ちたといわれる。その首を埋めたのが東京大手町にある首塚だが、鳥越神社は将門の首が飛び越えて行ったところだという。「飛び越え」が「とりごえ(鳥越)」に変化したというのである。
 つまり鳥越神社は将門の霊威が顕れた不思議な場所というわけである。

末社福寿神社
倉稲魂命、大黒天神、恵比寿神、菅原道真公
を祀る

 というより、江戸の人間はそれほど将門が好きなのである。我が地元にも将門の遺蹟が何か欲しいという素朴な願いが、「首が飛び越えて行ったからとびこえ→鳥越なんだ」と強引に関係づけてしまったのだろう。信仰がそんなところから始まっていてもよいではないか。



 

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