見出し画像

将門を祀る?下谷神社(台東区)

 「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」とは江戸にありふれたものを表す。その稲荷神社のなかでも下谷神社は江戸で最古と称している。
 奈良時代の天平二年[730]に峡田の稲置らが上野の忍ヶ岡に創始したという。
 祭神は大年神と日本武尊。

 あれ、稲荷神(倉稲魂命)じゃないんだ?
 大年神は素戔嗚尊の御子。日本武尊は景行天皇の皇子である。

 しかし、江戸時代の地図では下谷稲荷である。下谷神社と名称が変わったのは明治五年[1872]のこと。

 大年神は穀物神。稲荷神も穀物の神である。また、大年神の兄弟神に宇迦之御霊神がいて、これは稲荷神のことである。
 下谷神社では大年神を稲荷神として祀っているのだろう。

JR上野駅
公園口はリニューアルにより「ここはどこ?私の知らない駅だ!」
というくらい変わってしまったが、不忍口は昔のまま。
昭和七年[1932]築。
構内の猪熊弦一郎の壁画も健在。

 JR上野駅から浅草通を進むと赤い巨大な鳥居が見えてくる。

扁額の文字は東郷平八郎

 奥へ進むともう一つ鳥居がある。
 初詣の人でにぎわっていた。私も参拝の列に並んだ。

ちょうど正午の太陽が社殿の真上にまぶしい

 天慶二年[939]藤原秀郷は勅を受けて平将門を討つために相馬に向かう途中、この神社に立ち寄り戦勝祈願をした。乱の平定後、秀郷は社殿を新築したという。

 時は下って江戸時代。忍ヶ岡に寛永寺を造営することになり、寛永四年[1627]に下谷屏風坂下に遷座する。現在の岩倉高校の辺りと言われる。
 しかしここは土地が狭かったので、延宝八年[1680]に、広徳寺の門前(浅草通にあった)に遷座。

 大正十二年[1923]の関東大震災で社殿を焼失し、昭和三年[1928]に現在地に移転した。

  
摂社隆栄稲荷社

 境内に寄席発祥の地の石碑がある。下谷神社は江戸で初めて落語の寄席興行が行われたとか。寛政十年[1798]のことだという。寄席は二百年以上の歴史があるのだね。

それまで落語は客と噺家が一対一で話されていたが、
寄席では複数の客を集めて木戸銭を取って興行された

 寄席発祥之地の石碑の傍に正岡子規の句碑がある。

寄席はねて上野の鐘の夜長哉  子規

 拝殿の天井画は横山大観が描いた龍だ。辰年に縁起が良いではないか。ただ、昇殿しなかったので私は見ていないけど。
 酒好きの大観のところに龍の絵を依頼に行くと、画料はいらないから大勢で両手に酒を持ってこいと言ったとか。

神社の裏手の参道

 それにしても秀郷さん、都内だけで何か所戦勝祈願をしているのだろう。(実はまだまだ他にもある)
 さすが日本一繁栄した佐藤さんの先祖。数で勝ちに来たか。(な訳ない)

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?