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Kei
2024年5月30日 07:14
(父母生前の日記:覚え書き) いつものように朗らかに明るくわたしの名を忘れようと、迎えてくれる喜ぶ母の姿があるものと思って疑わず・・その日も少々わたし自身が辛かったが、顔を観たくて立ち寄った。骨折後、かなり回数減、申し訳なさが常に心にあり、自己満足かも知れない、がー母の笑顔を見れるものと信じていた。しかし三日前の母は・・ただベッドで呻き声をあげるばかり。苦しそう
2024年5月28日 06:48
(父母生前の日記より)「何をどう言ってもつまらんのぅ。」と、父がふっと笑う。その顔があまりに寂しくて帰宅後も脳裏から離れない。豪胆でまさに九州男児そのものだった父、やんちゃを重ねた十代そして、企業を興した二十代転身して、経済より誇りを望んだ三十代父の人生は(父が手記をとうの昔、現役の頃、わたしに預けたのだ)まさに波乱万丈、そして、輝かしい業績を残した人生で
2024年5月23日 06:05
主治医と面談後、初の外出訓練。痴呆は回復することは、現在は不可能。が、薬によって進行を遅らせることは可能。薬及び家族の声かけ、刺激、そうした力が、大きな作用を果たすであろうと医師は言う。外科的治療と内科的治療は、ほぼ終了。持病に対しての常備薬は必須だが、手術後の状態良し。父は脳、母は心臓。二人とも、いつ果てても可笑しくない大病を持っている。今年のお盆は何とか共に迎えることが
2024年5月6日 07:51
真夜中の電話はいつだってドキっとします。日付変わり二時過ぎー鳴り響いたその電話の内容は、父の入所施設からのものであり「お父さん、ま~た一人でベッドから車椅子に乗ろうとしたんでしょうね!転んでいましたよ!今度はどうも骨折しているようなので、総合病院に搬送されたところです!ご家族の方、至急、付き添いを!!」でした。いや・・叱責されてもねぇ。。と思う心は置いといて。明日、手術
2024年5月2日 12:58
今日、父に問うた。「お父さん、七夕の短冊、書きたい事ありますか?」思いがけない答が戻って来た。忘れぬよう、覚書。「馬で荒野を駆け巡りたい」涙がこぼれそうになる。父は、裸馬に乗り、高校(当事、中学校か)に通学していたという、地域で悪名高き暴れん坊。馬を校舎近所の畑に繋ぎ、知らぬ顔で授業に出ていたそうな。「こら、○○!ま~た、馬に乗って来たな!ご近所から苦情が来てお