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【美術さんぽ。】印刷/版画/グラフィックデザインの断層1957-1979

印刷/版画/グラフィックデザインの断層 1957-1979
2024.5.30- 8.25
京都国立近代美術館

マス・コミュニケーション時代が到来した戦後の日本では、印刷技術の飛躍的な発展とともに美術と大衆文化の結びつきが一層強まり、複数メディアによる表現が関心を集めました。印刷/版画/グラフィックデザインという領域は近接し重なり合いながらも決定的なズレのある、まるで〈断層〉のような関係性であり、その断層の意味を積極的にとらえ直して自在に接続したり、あるいはその差異を強調するようなさまざまな実践が展開されていきました。・・・

パンフレットp.5

油絵の恩師の回顧展にてシルクスクリーン作品があってびっくりしたのは記憶に新しい。それはそうだ。1960年代後半から70年代の若き時代を、洋画家として活躍されていたのだから。版画ブームの最盛期。時代の風にどんなにわくわくしただろう。

「あの子が芸大で版画をするって決めてたなんてちっとも知らなかった。すでに版画に絞ってたのが驚き。」そう高校の同級生のことを回想する母は1948年生まれ。当時、美術をやろうと目指す若者にとっては、1960年代真っ只中の芸大は、油画でもなく、彫刻でもなく、版画だったのだろう。第1回東京国際版画ビエンナーレが開催されたのは1957年。

5年前から銅版画をやっている。
雑誌の表紙を頼まれたのがきっかけだが、面白くてしょうがない。
まさに“版画熱き時代”を駆け抜けてきた版画教室の先生は、試行錯誤を存分にやってきた、という歴史を感じる。「あなたはどしどしエッチングの線を入れたらいい」と、半ば体育会系のノリで接してくださる。ドライポイントをしすぎて真っ黒になってしまった版を、「そうそう。その調子!」。
一度、微かでも傷をつけてしまったり、腐食を間違ったりすると、銅版は元通りの修正が難しい。「先生、いうことは厳しいときあるけど、あんだけエッチングに線入れられるのは、褒めてはるんやで。恐る恐るになるもん」と仲間が言ってくれる。

そんな私にとって、「版画」と名の付く展覧会は技法の勉強の場でもある。
とはいえ、技法を超えて訴えてくる作品に会いたいから、行く。
作品を前に、黙らせてくれる作品に会いたいから、行く。

池田満寿夫がよかった。
大きい作品ではないが画面の豊潤さ、深み。濃密、しっとりとして空気を感じる。
技法はエッチングとのみ、記載されているが、背景の四角い色面はメゾチントかもしれない。

夏1 
IKEDA Masuo
Summer 1
1964


そのほか、高松次郎の作品。
《赤瀬川原平、中西夏之と反芸術的活動(ハイレッド・センター)結成 (1963)》   
版による大量複製の面を提示して、版画概念に一石を投じた、ゼロックスコピーによる『THE STORY』。
 
河口龍夫『関係一質』(1979)。
版画カテゴリで河口龍夫を観るとは、と思った。
「関係」性を浮き彫りにする、コンセプチュアルな作品はどれもカッコいい。以前から大ファン。。「関係」性の側面も、展開すれば「版画」概念に属するという、多義の捉え方がゾクゾクする。
こうして後のメディア・アートに繋がるのだろうか。
この2者は、とても一度には書ききれないので、次の機会に。

新しい概念を打ち出しつつ、この作品ふたつはとにかく美しい。
作品として美しさがある。

今では到底できない、新しい表現の可能性を模索できた時代の、創造の豊かさが心に沁みる。


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