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思いを馳せる気持ちがあれば

朝の準備をしながら
時計がわりにテレビをつける。
しばらくして朝イチの番組が始まった。

「おはようございます。
昨日は山の日で祝日、
そしてきょうから(←これは言ったかどうか曖昧)
お盆ということでお休み2日目の朝ですね。」

残念!
昨日もお仕事、今日もお仕事の人もいるのだ。
私もその一人。

何年か前、別の局で
「おはようございます。
今お帰りの方はお帰りなさい。
これからお休みする皆さん、お休み前のひととき、おつきあいください。」
という挨拶を聞いた。
全方位だ。
優しい人だな、と思った。

朝イチの番組、どんな人が見てくれているのだろう。

そこに思いを馳せることができたなら
ここまで全方位とはいかなくとも、
今朝聞いた第一声より
もう少し寄り添った
もう少し広い範囲の人たちに
しっくりくる言葉があったのではないだろうか。

また別の日の話。
「台湾の安定は日本にとっても重要だと述べ…」
という談話の引用を読むニュース。

原稿が事前に準備されている
短いニュースコーナーだ。
これを念頭に置いて読むと、
「台湾の安定は」
「日本にとっても重要だと述べ…」
という区切りになる…はずなのだ。
ニュースコーナーだから。
真面目な談話の引用だから。

それをこう読んだ。
「台湾の安定は日本に」
「とっても重要だと述べ…」

伝わるだろうか、この違い。
「日本にとっても」ではなく、
例えるなら
「とってもお花がきれい」とか
「とってもいい天気」のときの
「とっても」。
「すごく」と置き換えられるほうの
「とっても」だ。

うーん、「とっても重要」…とは述べてなかったと思うよ。
「日本にとっても」、言い換えるなら
「日本としても」だったと思うよ。

内容を把握して読んでいるだろうか?
突っ込み原稿ではなかったから
下読みをしているはずなのだ。

誰に向けて何をどう伝えるのか。
ちゃんと考えているのだろうか。

…ということが身近なところでも多い。

思い巡らせることができなければ
伝えたくても真意が伝わらない。

小さな違和感。
この感覚を失わずにいたいと思う。


















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