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家族のような居心地の良さが、未だに拡大し続けている。

「人を利用して関係を積み重ねるーーーー」

この概念、未だにまだ消化できなくて悩んでる。

利用、する、かぁ。

便利なものとして使用すること。 自分が得するための方便として使うこと。 だしに使うこと。 つけこむこと。

ペアーズで出会った彼くん達とのやり取りは3週間目になる。自分と反対の価値観を理解したくて、確かに、私は自分の性欲解消のために異性を”使ってみた”。

けど、結果、返ってきたのは気分が悪くなる彼とのやり取りだった。

体の相性は良いけど、ほんっとうにコミュニケーションが気分悪いんだよね。質が低いし、情緒的交流が皆無。私とは合わない。

生理的欲求の解消、その場の快楽、そのために利用する・・・・

この気持ちを前提として行動していると、その気持ちが反射するように、別の異性からそのように利用されそうになった。


面白いからなんども書くけど、車の中で助手席に座る私の右手を取って包み込むように握り、ドライブ中に指を念入りに舐められたのはセンセーショナルな体験だった。私という存在が完全に彼を”目醒めさせた”んだろうね。

彼はなんども”セクシーだよ”と発言してきた。

抑えきれないものがあったんだろうな。

まぁ、心理士になった気持ちで対応してたから、私としては面白体験談がまた一つ増えただけだったけど。

彼のオスとしての本能は、まさに私も持つ同じ類のものであって、それを私は別の人で解消していた、ということ。


万華鏡のように、反射する。

自分の想いを解き放つと、それはどこまでも反射して、拡大して、返ってくる。そんな気がしてる。

人をモノ扱いすると、その態度は巡り巡って返ってくる・・・

人を大切に扱うと、それも返ってくる・・・


なら、私はどうしたいか。大切に扱われたいから、人を大切にしたいなと思う。


ここまでの話は男女間の話だけど、私はそれを証明する経験をもう一つ持ってる。

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大学時代のサークルの話。私は、130人くらいいるビッグサークルの会長をしていたことがある。私は大学に入学した当初から、サークルへの想い入れが強くあった。

私が大切にしている想いを中心にしたサークルだったから、ぜひとも、卒業したあともずっと残って欲しい。サークルを愛する気持ちを、皆で大切にしながら、後世代まで楽しんでほしい。

そんな気持ちで、皆と4年間、真心込めて運営に携わった。

すると・・・どうだろう。


卒業してからもう12年くらい経つのに、その活動に呼んでもらえる。

一度も話したことない、大学生のサークル員に話しかけると、そこにはまるで家族のような温かさがある。通じる。呼吸が合う。なんだろう、このほっこりした安心感。

その感覚は、私が、一生懸命考え抜いた、大学生だった当時の感覚そのものだった。


12年前にタイムカプセルに入れた家族のような居心地の良さが、未だに拡大し続けている。私がいないところで。見知らぬ後輩達が、スピリットを大切にして運営し続けてくれている。

人に対する気持ちは、プリズムのように反射して、さらに万華鏡みたいにどこまでも拡大していくんじゃないかな。


もし、そこに混じり気のある汚れが見つかった場合は取り除く必要があると思うけど、基本的には、始まりが拡大するんじゃないのかな。


そう思うと、人を利用する、という考え方よりも、自分を誇り高く守りきる、の方が心情的には近いかな。


もう十分、わたしは心が傷ついてきたし、十分、気持ち的に苦労してきた。そろそろ幸せになっても良いじゃない、ね。


愛する対象の人を見つけて、愛を育んで。ありがとうの循環の中で、刹那的な欲も満たし合える関係性が良いな。リトルマーメイドのアリエルのように、人間の足と引き換えに声を失うのは悲しい。

それだったら、愛する人を守るために命を差し出す覚悟をして、結果、幸せで満たされる美女と野獣的な考え方の方が好きかな。

愛しい人のために私は生きる。同じような性質の人と私は関係性を構築していきたい。仕事もプライベートも。少数精鋭で良いから。

そのチームが補足さえしたら、それこそ、また万華鏡みたいに温かな交流が広がっていってくれたら嬉しい。私が死んだあとも、その空気感が広がっていってくれたら。そう思ってる。