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能あるおじさんは爪を隠す。第1話(note創作大賞2024 お仕事小説部門)

あらすじ

新しく入社した上司は、ぶっ飛んだ人だったー。

資格講座や習い事教室を開催しているベンチャー企業「プレイングアース」本社のカスタマーセンターに入社して3年になる喜多山きたやまさつき。
センター部長として全く異なる価値観を持つ上司・大林誉おおばやし ほまれと一緒に仕事をすることで、「働くとは」「自分らしく生きるとは」に向き合っていく。
常識や当たり前に縛られず自分の信じた道を突き進む大林は、空気を読まず思ったことを言い、あちこちで騒動を巻き起こし…!?

生きてきた環境や考え方が違うメンバーが織り成す人間模様と、成長の日々を追うヒューマンお仕事小説。


「何だこれ??」

トイレから戻ってきた遠藤くんが自分の席に置いてあったメモ帳に目をやると、描いた覚えのないうんちの落書きがしてあった。
困惑しながらメモ帳を眺める遠藤くんに
「もう〜、ダメじゃん仕事中にこんな落書きなんかして〜。
まじめに仕事してよ、えんちゃん!」
遠藤くんの後ろの席からニヤニヤした大林さんがでかい声で話しかける。
どうやら犯人は大林さんのようだ。

「あ!もう〜、これ書いたの大林さんでしょ!勘弁してくださいよ〜」
「え?俺じゃないよ?濡れ衣やめてくれます?」
「こんなくだらないことする人、他にいませんよ。絶対大林さんのしわざです!」
「失礼しちゃうなぁ。えんちゃんの今日の時給はりんご1個ね」
「え〜!それならもう帰りますよ、オレ〜」
あぁあぁ、またやってるよ。
「またやってますよ。ほんと大林さんて、中2ですよね。」
隣の席のゆりちゃんが話しかけてきた。
「ほんとにね。私、何回か転職してるけど、あんなふざけた部長、今まで見たことないわ。」
ゆりちゃんの方に向けた視線のその先に、他部署の人がクスクス笑いをこらえている姿が映った。
狭い社内に大林さんと遠藤くんの小競り合いが響き渡っている。
「あんなだけど、大林さん仕事はできますもんね。ふざけないでもっと威厳がある感じの佇まいにすればもっと尊敬されるのに。なんかもったいないですよね。」
ゆりちゃんが口を尖らせた。
「あのふざけた感じが、距離が近くて話しかけやすいからいいんだよ。」
そう、これが大林さんの持ち味だ。
「えー?そうなんですかねー?」
「そういうもんよ。」
「まぁ、場数踏んでる喜多山パイセンが言うならそうなんでしょうね〜」
語尾がちょっと鼻にかかったふざけた声色になった。
「あれ?ゆりちゃん、今言葉に含み持たせなかった?」
「あ、飲み物空になってるんだった。お茶いれてきまーす」
そう言ってマグカップを持ってそそくさと席を立ち給湯室に向かった。
まったく、ゆりちゃんは絶妙な距離感でいじってくるのがうまい。
いじってOKなタイプかそうでないかを見極める目は大林さんと同じレベルだ。でも言ったら怒りそうだから、これは内緒。

ふぅ、と一呼吸置く。
和気あいあいとした平和な時間が流れていると、こうやって滞りなく仕事ができているのは大林さんが来てからだったということを思い出す。
この中2みたいなおじさんとの出会いが、私の人生をひとつ先のステージに連れて行ってくれることになろうとは、出会った当初は予想だにしていなかった。


B.O(Before Obayashi)~1 year ago~

「この度は誠に申し訳ございませんでした。」
静かなフロアで私の声だけが響き渡っている。
「以後、そのようなことがないように善処いたします。
はい、前回担当したスタッフにはしっかりと、教育して参ります。
はい、では失礼いたします。」
しっかりと教育ってなんだよ、と自分の発言に自分で疑問を持ちながらも、無事に電話が終わり安堵した。
「喜多山さん、だいぶつかまっちゃってたねー、お疲れー。
チョコ食べる?」
「橋本さん…!ありがとうございます!恵みのチョコが沁みます…」
差し出されたミルクチョコを間髪入れずに頬張った。
甘いものとねぎらいの言葉のおかげで、クレームを受けた後のこわばっていた体からふっと肩の力が抜け、身も心もやすらいだ。

橋本さんは半年前にカスタマーセンターの部長として採用された。
こういう周りを見て優しく気遣いができる上司がいると、本当に救われる。
「で、お客様はなんだって?」
橋本さんが本題に入った。
「あ、はい。『メールが全然届かないからどうなってるの?』って昨日問い合わせたら、お客様が使っているのはキャリアメールだから、うちでは詳しいことはわからないのでケータイ会社に問い合わせてくれって言われたのが、機械が苦手なことをバカにされたように感じた、とのことでした…。
これまでもカスタマーセンターに問い合わせしても何だかよくわかってなさそうな子が電話に出るし、ちゃんと教育してんの?って話が派生しまして…。とりあえず昨日の受電者は中島くんだったので、後で注意しとかなきゃですね…。」
通話内容をデータベースに打ち込みながら返答した。
「そっかそっか、対応ありがとうね。教育については今考えてるからちょっと待ってて!って感じだね。こっちも毎日必死でやってんだっつの。ねぇ。
まぁ、お客様には関係ないんだけどさ、うちの事情は。
フリーメールはタダで作れるし受信エラーもほぼないからGmailのアドレス取得してくれたら間違いないんだけど、そういうのが苦手な人には難しいよね…。」
よくある苦情に苦笑いしながら橋本さんは自分の席に戻っていった。


「プレイングアース」はワンマン社長の前衛的な経営戦略により、主軸となる資格講座部門の売上規模は拡大しているものの、興味の範囲が広い社長は、ひらめいたアイデアを新しい部門としてとりあえず立ち上げては誰かに丸投げし、
投げられた役職者は残業や休日出勤、日時を問わずのミーティングなど、昭和を彷彿とさせる働き方をせざるを得ないがために、そのハードさについていける人はほぼ皆無。
どの部署でもなかなか役職者が定着せず、その余波で一般社員もアルバイトも入れ替わりが激しい。
ネットの企業評価でも離職率の高さが半端ないが、髪型や服装自由、ネイルOKなどの自由度の高さや、お給料がそこそこ良いことから、途切れることなく次から次へと新しい人が入ってくる。
カスタマーセンターも私が入社してから3年の間にセンター部長が何回も入れ替わった。
上司がいなくなる度に何度も辞めたくなったが、自分までいなくなってしまったらアルバイトの子たちを誰が守るんだという責任感と、自分の生活のために、なんとか耐えてカスタマーセンター崩壊を防いできた。
常に新人だらけなので、よくわかっていない子でも即戦力として電話に出ざるを得なく、そのことで二次クレームが生まれてしまう状況がしばらく続いていた。
しかしようやく、センター長として橋本さんが入社して半年ほどが経ち、
仕事はできるし、頼れる優しい人間性のおかげで、アルバイトメンバーも入れ替わりが落ち着きはじめた。

みんなが一通りのことができるように成長したその次の課題は、顧客対応のクオリティー向上。
社会人経験の少ない20代前半のアルバイトスタッフが多いため、言葉遣いや声のトーン、引き継ぎの残し方や、カスハラ、モラハラへの対応方法、感情的にならないための心構えなど、基本的な改善をして顧客満足度を上げようと研修の計画を立てていた。
そんな矢先だった。


「おはようございまーす。あれ、今日ゆりちゃん1人?橋本さんも早番じゃなかったけ?」
中番で出勤すると、早番で来ているはずの橋本さんの姿がなかった。
「そうなんですよ!!LINEしてみたんですけど既読もつかなくて。寝坊だったらマジ許さん!なんですけど、何かあったんじゃないかちょっと心配ですよね。」
「え!マジか…。私も連絡してみるわ。」
スマホで電話をかけるとコール中の音楽がしばらく流れ、つながらずに勝手に切れてしまった。
「”おはようございます。橋本さん今日早番になってるんですけど、何かありましたか?”…っと。よし、ちょっと様子見ようかね。」
メッセージを送り、いつも通り業務に当たりつつ返事を待つことにした。

こまめにスマホをチェックするも、ずっと未読のまま。
私たちの心配をよそに時間だけが流れた。
つい昨日まで普通に出社して、いつもと変わりなく仕事をしていたのに、急にどうしたのかさっぱり見当がつかない。
事故か事件に巻き込まれた…?急に不安がよぎった。
「小野さん、あのー、すいません、橋本さんが今日出勤予定なんですけど来ていなくて、電話も出ないしLINEも既読がつかないんです…。何か知りませんか?」
橋本さんと入社時期が近く、割と仲が良さそうな営業部課長・小野さんに尋ねた。
「あ、そうなの?会社の代表電話からかけてみようか。橋本さんに限って急に”飛ぶ”なんてことないと思うんだけどな…」
そう言って小野さんも電話をかけてくれたが、コール音が鳴るだけで連絡は取れなかった。
心配しつつもそれ以上はなすすべなく、何かあったのかとそわそわするしかできなかった。
※飛ぶ…シフトに入っているのに連絡なく急に出勤しなくなること

正午を過ぎた頃、
「会社の代表電話に橋本さんの奥さんから電話が入ったんだけど、、、」
と電話を受けた小野さんが言いにくそうに報告にきてくれた。
嫌な予感が当たってしまった。

「今朝出勤前にパソコン作業をしていて、急に意識を失って倒れたんだって。
救急車で病院に運ばれて、今は意識を取り戻して病院で療養しているみたいなんだけど、パニック障害って診断されたんだって。
少なくとも1ヶ月の休養が必要で、症状によってはもっと長くなるかもしれないってことだったんだ…。
いやぁ、びっくりしたよ…。昨日は普通に仕事していたよね?」
「そうですね、昨日はいつもと変わりなくて…、調子悪いみたいな話も聞いたことなかったんですが…」
「とりあえず命に別状はないみたいだからさ、ご家族の支えもあるし、まぁそこのところは安心して大丈夫だと思うよ。業務には支障なさそうかな?」
「はい、とりあえず今日は遅番もいるのでオペレーターが誰も居ない、なんてことにはならないですね。
今月のシフト、橋本さん抜きで組み直さないとっていうのが、、ははは、って感じです。」
「あぁ、そうだよね。大変だと思うけど、まぁ橋本さんがいない間も仕事をまわすのが、残されてる側にできる唯一のことだからね。
何とか頑張って。何かあったらまた言ってね。」
なんとなく他人事な言い方をして小野さんは自席に戻っていった。
それでも、「大丈夫だよ」と言ってもらえると、本当にそうなのかどうかわからなくてもなんとなくホッとする。
奥歯の噛み締めが緩み、体中が力んでいたことに気づく。

「絶対ストレスじゃないですか!橋本さん、毎日残業してましたもんね。
結構うちらで解決できなくて、『責任者出せ!』って言われたときでも、
嫌な顔せずに快く引き受けてくれてましたけど、あーいうのも絶対めっちゃストレスだったと思うんですよね…。」
ゆりちゃんの目がみるみる潤んできた。
橋本さんはボロボロだったカスタマーセンターを立て直そうと毎日奔走してくれていた。
アルバイトや一般社員の私がなるべくストレスを抱えずに業務にあたれるように、自分も忙しいのにクレームが長引いた時には率先して電話を代わってくれたし、声がけや愚痴を聞いてくれるなど常に細かい気遣いをたくさんしてくれていた。
絶対にキャパオーバーだったのは見ていてわかっていたけど、なるべく自分でどうにかしたいタイプだったのか、「手伝いましょうか?」と言ってもだいたい「あぁ、大丈夫、大丈夫。喜多山さん、ほら、時間だから帰って」と断られた。
「何かできることがあったら言ってくださいね」の声掛けだけに留めたことが悔やまれた。もうちょっと踏み込んで仕事を分けてもらうとか、無理やり早く帰らせるとか、何かできたんじゃないか。
だけど、なんとなく予想通りの展開というか、危惧していたことが現実になってしまった感があった。
橋本さんは一緒に仕事をするには非常にありがたいタイプなのだけど、同時に危うさも感じていた。
優しい人や共感ができる人は、カスタマーセンター業務をすると”やられる”からだ。
カスタマーセンターは本当に様々な電話やメールが来る。
その8割は質問やあまり感情が引っ張られることはない内容だけど、
たまにくる2割のクレームのパンチ力が半端じゃない。
顔が見えないだけに、無意識に対面よりも強気な態度になっちゃう人も多いんじゃないのかなと思う。
それでいて、「ありがとう」と感謝を伝えるためだけに連絡をしてくる人は皆無に等しい。
前職を含めてカスタマーセンターで働いて8年近くになるけど、
たった一度だけ、本当にお礼のためだけに電話をしてきてくれた人がいた。逆にすぐ信じられなかったけど、鳥肌になるくらいめちゃくちゃ感動したし嬉しかった。
優しい人や共感ができる人は、一つ一つの対応を懇切丁寧にやりすぎる。
もちろんそれ自体はとても素晴らしいことだし、とても大切な心がけではあるけど、クレームの場合は相手が調子に乗って無理な要望を言ってくる場合もあるし、相手の気が済むまでひたすら謝り続けて神経をすり減らしてしまう場合もある。
橋本さんは優しくて共感できるタイプだったが故に、知らず知らずにストレスを溜め込んでしまっていたんじゃないだろうか。
もちろん業務だけじゃなく、ワンマン社長からのプレッシャーもあったと思う。
私たちの前では愚痴や文句を言ったりせず、何か大変なことがあったときでも「まぁ〜こんなこともあるよね」なんて言って笑っていたけど、きっと心は悲鳴を上げていたんだと思う。
限界までその声を聞いてあげられなかった結果が今日、というわけだ。
もっと橋本さんの気持ちを吐き出させてあげていたら…。
何かが起きる前になんとかしないと意味がないのに、いつだって何か起きてから【たられば】を考えてしまう。
一度体や心が強制終了されると、なかなか元には戻らない。
それと長く付き合うことになる。
ご家族からの反対もあり、1週間の休養の後、復帰予定の1ヶ月を待たずして、残念ながら復職せずにそのまま退職となった。
こんな時でも、橋本さんは私を気遣うLINEをくれた。

「迷惑をかけてしまって申し訳ない。情けないけど、このまま退職することになりました。自分は大丈夫だと思ってたんだけど…。パソコンを見ていたら画面がぐにゃっと歪んで見えて、呼吸がうまくできなくなって、気づいたら病院でした。
何が起こるかわからないから、喜多山さんも本当に無理しないでね。」

橋本さんの身に起きたことを想像すると心が痛んだ。
「橋本さんとはもっと一緒に仕事を続けたかったです。
いろいろ教えてほしいこともありました。
でも健康に勝るものはないです。
まずは焦らずにしっかり休養してください。
私も体に気をつけながら、ぼちぼちやります。
お気遣いありがとうございます。
橋本さんのそういうところ、リスペクトしてます。」

さぁ、また試練がやってきた。
これで何度目だろうか、部長不在になるのは。
とりあえず崩壊だけは避けなきゃ…とにかく、淡々と粛々とこなしていくしかない。気持ちを新たに整えた。


だが思ったよりも早く、間髪入れずに橋本さんの次にカスタマーセンターの部長として大林さんが入社してきた。
大林さんは浅黒い肌で少しベルトの上にぽよんとお肉が乗った愛嬌のある白髪交じりの50代。
お笑い芸人の出川哲朗のように声が大きくて親しみやすそうな雰囲気。
これまでの上司は30代〜40代が多く、50代で転職してくる人は珍しい。
カスタマーセンターのメンバーは20代〜30代で構成されていたこともあり、下手したら大林さんの子どもと同世代。
みんなと大林さんが馴染めるのかどうか、正直ちょっとあやしいかもしれない。
それと…
この人もまた、すぐにいなくなってしまうんじゃないかという不安な気持ちを抱えながら、大林さんを迎え入れた。


A.O(After Obayashi)


これまで人の入れ替わりを見てきた中で、長く続くかそうでないかを計る指標が私の中でいくつかできていた。
長く続く指標の1つは、「共感しすぎない」こと。
もう1つは「意気込みすぎていない」こと。
転職して心機一転、「これまでの経験を活かすんだ」とか「私が改革をするんだ」的な気持ちが強い人は多いと思う。
だが、そういう人ほど、既存メンバーと揉めたり、社長の意見に沿わない提案は通らず、改革が思うように進まないことに早い段階で気づいて辞めていく。
「こうやりたい」「こうやったほうが良い」という理想と、
「こうやらなきゃいけない」現実のギャップにやられてしまう。

私の目には、大林さんは意気込んでいるように見えた。
50代での他業種からの転職。大学生になる娘さんと高校生と中学生の息子さんがいる一家の大黒柱。
「早く仕事に慣れて、会社の役に立てるようにがんばります!」
と真っ直ぐな気持ちで自己紹介をしてくれた。
何人も意気込んで入社した人を見送ってきた私からすると、この人もきっとすぐいなくなるんだろうなぁと、悲しいかな冷めた目で見てしまった。
そんな思いは隠したまま大林さんの研修が始まった。

研修を受ける人の態度も様々である。
中途で入ってくるキャリア採用の人は、教えてもらいつつ、見直しが必要な箇所を指摘し始めて研修が進まなくなったり、資料を先読みして「これくらいわかるから飛ばしてくれていいよ」となぜか指示を出してくるタイプがたまにいる。
こういう態度をされると、先に働いている人へのリスペクトがなく、下に見ているのが透けて見える。
こういうタイプは研修しても話を聞いていないので、アルバイトの子よりもわかっていなくてトンチンカンなことをして、周りになめられてうまくいかない。

大林さんは前職ではエリアマネージャーポジションにいて、これまでキャリア採用で入ってきた人の中でも一番年齢もキャリアも上だったにもかかわらず、
1から10まで全部話しを聞いて、まず1ヶ月ほど実際の業務量把握のために一緒に業務をやって現場を知ってくれた。
今まで出会ってきた現場を知ろうとしないで指示だけ出してくる高みの見物タイプの上司や、周りを見て優しい言葉をかけてねぎらう橋本さんタイプともまた違うタイプ。
まず何も言わずに淡々と一緒にやってみてくれたことで、少しずつ信頼してもいいのかも?と思い始めた。
それと同時に、みんなも大林さんの研修を受ける姿勢や、仕事に対する向き合い方に少しずつ信頼を寄せ始めた。

最初は誰に対しても敬語を使っていたけど、次第に打ち解けて徐々にタメ口になってきたことも、ちょっとずつ環境に馴染んできた感じがして嬉しかった。

一通り研修が終わり、カスタマーセンターの抱えている業務の全体像を掴んだ大林さんは、個別面談を始めた。
まずは私から。
かしこまった感じは苦手だから楽にいくよ、と前置きしてから大林さんは話し始めた。

「やってみてわかったけどさ、この人数でこの業務量、できるわけないね。
カスタマーセンターって言っても電話だけじゃないじゃん。
オレ一番ビックリしたのが、未払いの請求。
こういうのって、経理がやるんじゃないの?
あ、あと営業部の案内間違いのクレーム処理ね。
ああいうのって、営業した本人がやるんじゃないんだね。」
淡々と受け入れていると思っていたけど、やはり疑問があったようだ。
「そうですね、私も経緯はわからないんですけど、うちがやってますね。
会員様に関わることは全部カスタマーがやるって業務すみ分けなんですかね。なんかめんどくさいことはカスタマーセンターがやればいいとか思われてそうで、たまにイラッとします。笑」
「ねー、なんか腹立つし変だよね〜。まぁそれはいいや。
それも大変だけどさ、このご時世だから突発的なことも起きるじゃない。
講師の体調不良で講座が急に休講になるとかさ。それ1件起きるだけで参加予定の会員様10人とかに電話しないといけない、メールしないといけない、連絡に気づいてない会員様が会場に来ちゃった時のための現場対応とかクレーム処理までさ、とんでもない量の作業が生まれて午前中潰れるなんてこともざらにあるじゃん。
追いついてない業務がめちゃくちゃあるのも理解できたわ。」
一緒にやったからこそ、出てくる言葉。
上司なんだけど、諭してくるんじゃなくて共感して理解してくれる。
そうそう、これこれ。
同じ目線で話してくれてるこの感じが、他の人達と違うんだわ。

「いや、実はね、俺、本当は営業部に入社する予定だったの。
でも急遽カスタマーセンターの部長が辞めたから、ここを立て直してほしいって言われたんだよね。」
「え、そうだったんですか?」
初めて聞く話だった。
「そうそう。元々ずっと営業やってたからさ、得意っていうか好きな分野はそっちなわけ。
でも社長がさ、『仕事の効率が悪くてサボって電話に出ない奴も多いから叩き直してくれ』なんて言ってたからどんなもんなのかと思ってたんだけど、これは無理だよ。どう見ても誰もサボってないしね。一生懸命やってこれ。仕事が多すぎるだけっていうね。」
大林さんはとても理解があるし話しやすい人だと思うけど、悪気なく余計な一言を言っちゃうタイプのようだ。
社長が裏でそんなことを言っているなんてまるで知らなかった。
きっと、今までこういう声は私や他のアルバイトメンバーには聞こえないように、これまでの上司が食い止めてくれていたのだろう。
自分の会社の従業員をこういう風に言う人がトップにいることが、
人が入れ替わる大きな原因で間違いなさそうだ。
人を大事にしない人についていきたいと思う人なんてそうそういないだろう。
まったく、これまでいったい何人が潰れたと思ってんだと腹の底からふつふつと怒りが湧いてしまい、その後の話はよく覚えていない。

この日は1日怒りが止まらず、短絡的にお酒に逃げるのも悔しかったので逆に健康的なことをしてやろうと、終業後にマッサージに行って身も心もほぐしてもらい、お気に入りの入浴剤を入れたお湯に浸かり、おしゃれにジャズを流してたっぷりぐっすり睡眠を取ってやった。
お酒やタバコに逃げてもろくなことがないことは十分に経験してきてしまった。
自分を大切にすることが社長への、
いや、この不条理な世の中への優しいリベンジだ。
嫌なことが会った日は、嫌なことは忘れて早く寝るに限る。

そして数日に分けて行われた全員の個別面談を終え、大林さんがいよいよ動き始めた。

信頼される人

会費未払いの人への連絡がカスタマーセンターの月間業務ルーティンに入っている。
こういった資格講座でも、会費未払いの会員様は毎月一定数いるものである。
はっきり言って私はこれが大の苦手。
これまでお金の話題は親子間や友人間でもあまりハッキリと話したことがなく、デリケートな問題なのでめちゃくちゃ気まずさを感じてしまう。
たまたま残高が足りなかったとか振込を忘れていただけならまだ良いのだけど、入院して働けなくなって払えないとか、会社を辞めて無職になったから払えない、親の介護が始まり通えなくなったからコース途中だけど辞めたい、そもそも契約した覚えがない…など、払わない人にはそれぞれに理由や言い分がある。
もし相手がお金に余裕がないとしたら、取り立て連絡をして変なプレッシャーをかけて追い込まないか心配がよぎってしまう。
…というのは聞こえのいい理由で、お金にルーズな人は逆ギレしたり、ちゃんとルールを理解していないことが多く、正直なところあまり会話ができない印象がある。

何かゴネゴネ言われたところで、一従業員にはどうにもできないので、理由はどうあれ突っぱねて支払いをお願いするしかない。
相手のどうしようもない事情を聞いたとて、代わりに払ってあげるわけでもない。
何が正解なのかわからないけども、とにかく取り立てるしかない。

ところが大林さんはこれまでの歴代上司たちも苦手なこの「取り立て」が一番得意(?)ジャンルだった。
元々営業職出身ということもあり、するするっと相手の懐に入っていく。

ある日、大林さんが取り立て架電業務に当たっていたときのことだった。
「事故に合われて入院されてるんですか!それは大変でしたよね。え、お怪我の具合とか大丈夫なんですか?」
といつもの1.5倍くらいに感じる声量で話すものだから、大林さんの声が勝手に耳に飛び込んできた。
「通常ならできないんですけど、支払い期日の延期ができないか会社と交渉しますよ、せっかくここまで学んで来られたんですから。
目標がおありで勉強を始められたんですよね、きっと。
コースの途中で退会ではなく、一旦休会にして、治ったら再開にしませんか?
いえいえ、迷惑だなんて、そんなことありませんよ。
人間、生きていたら怪我も病気もします。
私としては、できる限りのことはさせていただきたいですから。」
と寄り添って説得していった。
こんなやり方をする人は初めてだったので、私はもちろん同じ部署のメンバーもみんな衝撃を受けた。
「え、あれ大丈夫なんですか?」
横の席にいた中島くんが尋ねてきた。
「さぁ…。こちらからあんな提案してるの今まで見たことないけど…。
え、どうするんだろう。」
お客様の気持ちを前向きに動かすのはいいけど、本当に期日をずらせるの?と不安な気持ちで見守った。
一旦電話を切り、すぐ上層部に連絡をしてイレギュラー対応の許可を取って話をまとめてしまった。
そして再度お客様に電話をして、
「大丈夫でした、許可出ました!」と更に大きな声で盛り上がっていた。
もし私がお客様の立場だったとしても、こんな風に言ってくれたら一旦この人に任せてみて、もし支払い延期ができなくてコース途中で退会になっても、また落ち着いたらここで再スタートしようと考えるかもしれない。

これまでは期日までに支払うように促すトークスクリプトしかなく、
追い込むようにずっと請求を続けていたので、連絡する側にとっても地獄のような時間だった。
このときほど「お願いだから電話に出ないで〜」と祈りながら電話することはない。
大林さんも最初の1ヶ月はマニュアルに沿って対応していたけど、
すぐに自分流にやり方を変えて特別対応を増やしていってしまった。
マニュアルから外れると管理が大変になるし、言った言わない、前いた人はやってくれたからまたやってくれ等、どんどんイレギュラーが増えてマニュアルがまるで意味をなさなくなってしまうから、組織に属している以上は個人の判断で特別対応を増やさないようにするのが当たり前だと思っていた。
これまで働いていたどこの会社でも、基本的にはみんなその認識で業務にあたっていたと思う。

でも大林さんは、その人の事情に合わせた個別対応を、誰にも相談せず勝手に始めてしまった。
平準化した誰もが同じ答えを言うことが正しいやり方だと思ってきたけれど、大林さんのあえてルールを壊していくやり方を目の当たりにした時に、
長年かけて刷り込まれた『マニュアル通りにやることが正しい』という当たり前は、相手に寄り添うことなく、自分で考えずに決められた回答だけをしている今の私を作り出していた。

「大林さん、すごいですね。」
電話が終わった大林さんに話しかけた。
「え、何が?」
つぶらな目を見開いてこちらを見る。
「前の会社でも、ここでも、会社が決めたやり方が正しいから、それを崩さないようにってやってきたんです。
もうちょっと寄り添ってあげたいって思うようなことでも、会社の意向を優先して自分の気持ちに目をつぶってきてたんです。
でも、今、大林さんがマニュアルに書いてあるやり方を思いっきり無視してお客様に寄り添ってやってたから、すごいなって。」
ちょっと失礼だったかも、と思いながらも本音を包み隠さず伝えた。

「あー、あのマニュアルはあんまりよくないよね。
人によって事情って絶対あるじゃん。
意味不明なわがままだったら突っぱねるけど、病気や怪我のやむを得ないときはさ、ちょっと融通きかせてあげた方がお互い気持ちいいじゃん。」
返ってきた答えはめちゃくちゃシンプルだった。
「それはめっちゃ思います。
ただ、個別のイレギュラー対応ってどう管理するんですか?」
やってあげたいのはやまやまだが、この個別管理のやり方が気になる。
「あぁ、タスク管理ツールに期日つけてアラートが出るようにして、それまでに入金があったら完了にしてるよ。」
「結局、手動管理になっちゃいますよね、、ここがどうにかなればなぁ…」
イレギュラー対応を何人もやってしまうと、大林さんの負担がどんどん増える一方だし、人的ミスも怖い気がしてしまう。
「まぁね。まぁ大丈夫よ。
会社に改善を期待してもそんなのだいたい後回しにされるから、
人間の手でできるうちはやって、数字で結果出したりしてからここ改善してほしいとか提案した方がいいのよ。意見通りやすくなるから。
今は社長から契約継続率とか未払い金の請求目標とかいろいろ言われて数字見られてるから、信頼を積み重ねるためにはめんどくさいけど泥臭くやるしかないわけよ。
オレは昭和の古臭いおじさんだから社畜って言われようが何と思われようがそこはどうでもいいんだけどさ、みんなはそこまでやんなくていいよ。」

ここまで達観している人は初めて見たかもしれない。
大林さんの人に寄り添う姿勢、社畜って自分で言ってるけど苦しそうじゃない感じ、人に自分の正義を強要しない姿を見ていくうちに、
だんだん「私は何のために仕事をしているだろうか?なんか大事なもの、どっかに忘れてきたような気がする…?」と疑問が芽生え始めた。

でも、同時にこの寄り添い方や共感のうまさなどを見ていると、少し心配もよぎった。共感しすぎて”やられや”しないかと。


続きはこちら
2話
https://note.com/tasty_holly769/n/n2c5414af9b63

3話
https://note.com/tasty_holly769/n/nb4d8d098fc1d

4話
https://note.com/tasty_holly769/n/n2f26e6b53945

5話
https://note.com/tasty_holly769/n/n5ff90f4686de









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