禁書は読んだ猫を殺すのか
好奇心は猫を殺す。という言葉がある。好奇心が強すぎると身を滅ぼすことになりかねないという意味をもつ言葉。 古くからとある国では猫に九生あり「Cat has nine lives」という表現があり、その猫でさえ好奇心をもつと危険であるため人間であれば更に危険であるという意味を含んでいる。
私は無類の読書好きであり、暇さえあれば本に夢中になっている。今置かれている状況ですらそう。
しかし、背後に銃口を突きつけられている気配に興奮と恐怖が入り混じって心の中が混沌としている。
なぜなら今現在、敵である世界政府が所有する図書館に潜入しているからだ。
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数百年前、世界政府により魔法は絶たれた。
世界の滅亡の危機に瀕するほどの伝染病、地震などの厄災が雨霰のごとく降り注いだ。
だがその後も災害は絶えることなく続き、世界を恐慌の渦中へと誘った。
仲間の情報によれば僅かながら魔力が残っているとの情報が入り、ごく少数の人数で調査に入ることになった。
いつの時代もお偉いさんは都合の悪い事実は隠し通そうとする。そうすることで自分たちの私腹を肥やすことができるからだ。
そんな者たちが本当に生活習慣病になって早死になってしまえと思ってしまうくらいいつも辛酸を地べたを這い啜られされている。
私は考古学者として真実を知りたい。だから危険の多いこの場所に入ってきたと言っても過言ではない。
無論、見つかれば死ぬ。
雨が降りしきる石畳の通路を渡り、今しがた気絶させてきた関係者の通行証を門番に見せて石造りの図書館に入り込んだ。
前に仲間内から教えてもらった顔を偽装する魔法により最初の難所を突破できた。
たまたま図書館に保管されていた焚き書にならずに無事だった魔導書を開いて文字を解読しながら覚えたのだそう。だがそれも初歩の初歩の書。
赤子が四つん這いで歩けるようになった程度のものだというのだから数百年前の魔法は偉大な発展を遂げていたのだと思うと妙にワクワクした。
護身用の銃を懐にしまい、誰かに見られてもすぐに発砲できるように準備だけは整えておく。
「大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫」
とは言っても早鐘を打ちまくる心臓は止まる素振りすらない。
ひとまずは建物内に侵入できた、天井高くまで伸びている本棚は普段からきっちりと清掃してあるようで埃ひとつ落ちていない。
世界の禁書ばかりを集めているというのにこの清潔ぶりには流石に違和感を覚えた。まるでそれまであった不都合な出来事を全て保管しておくように。
いや、真実は嘘の上塗りで固めて仕舞えば問題ないのだが、塗り壁を強引に崩せば何れ露呈する。
侵入するなら、殺してやる。見れるものなら見てみろと言わんばかりだ。
呼吸を一つ整え、早速作業に取り掛かった。
棚から立派な皮表紙の本を一冊取り出して読み耽る。
【その時世界で何が起きたのか】という歴史書のようだ。
暦××年ー病原菌によるパンデミックの発生、年間死者100万人を叩き出す。その数年後、製薬会社が抗体性の薬を開発した。
この製薬会社の名前に見覚えがある、世界に支部を置いている有名企業だ。
私は息を飲んだ。先日仲間内で話をしていた時のことを思い出す。
ー。
「未曾有のパンデミックが起きて数年で効力のある薬が作られるって考えて何か繋がっているとは思わない?」
歴史上の出来事についてカテゴリごとに篩い分けた情報をまとめている最中、天然パーマが特徴的な女性が話題を切り出した。
「テクラ、繋がっているってどういうこと?」
「鈍いわね、本当に。所謂マッチポンプよ」
毒あるの一言が余計だ。
「仮説だけど、パンデミックを起こした大元と製薬会社がグルなんだと思う」
「それって、とんでもないことじゃない?」
「そう、病原菌を撒き散らした上で製薬会社が作った薬を売って大儲けって算段。あくまで大凡だけど、これが真実なら政府は大分腹黒いわ」
病原菌が原因で仕事を無くし、家族が病に犯されているというのにも関わらず高額の薬を流通させ販売する。そして稼いだ金額分は全て彼らの財布の中に収まるという筋書き。
これには私も腹の底が煮えくり返りそうだった。
「でも、これが真実なら広めた時の民衆の激怒具合が見て取れるわね」
彼女は世界政府の悪行に負けず劣らず腹黒い笑みを浮かべた。
「頼むわよ、あなたは私たちの希望なんだから」
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書物を捲って情報を分別し、メモに書き記す。窓ガラスを叩く雨音に混じる筆跡音。時折雄叫びを上げる雷音。
今私の聴覚を外部から支配しているのはこの3つだけだ、今の所管理者の足音は聞こえてこない。
これは時間との勝負だ、誰かに見つかる前に乱雑な文字でいいのでどんどん書写す。
手を動かしすぎて腱鞘炎になりそうだ、こういう時両腕両利きなのは幸いだった。片手を振り回して疲れをリフレッシュさせつつ左手でペンを走らせる。
その時、不意に足音が聞こえた。革靴が床を叩く高貴な足音、一気に緊張が背筋を這い上がってくる。懐にしまってある銃に手をかけておく、外套越しに敵を発砲できるように。
棚のすぐ後ろで靴音が鳴る。
こないでこないで…。心臓が先ほどよりも強い早鐘を打つので呼吸が荒くならないように口元を無理やり押さえ込む。
祈りは通じたようだ、足音はどこかへと歩き去っていったようだ。
よかった、これで一安心。
再び呼吸を整えて紙にペンを走らせる。
そういえばあの人はどうしているのだろうと不意に思った。
⚫︎
数年前、私たちはある高明な考古学の教授の子孫弟子たちとして真実を解き明かそうと共に日々奔走していた時のことだ。
世界から断絶されたような場所にある古代樹の森。樹齢3万年を軽く超えるであろう巨木たちをくり抜いて作られた居住群。そこで私たちは暮らしていた。
空気は瑞々しく、食べ物を探そうと思えばいくらでも入手できる最高の環境だったがそれとともに危険も多いのも事実だ。
政府からも不可視の状態になっているこの土地が私たち考古学者たちの最後の砦であった。
ファンタジー小説を読み耽っていると幼馴染であるレトロに声をかけられる。
短く刈り上げた髪、端正な顔立ちに小柄な体格に似合わない筋骨隆々とした肉体が特徴だった。
「ステフ、俺ここを出ていく」
「ちょっとレトロ、出ていくってどういうこと」
「…もっと世界を、真実を知りたいのはこっちも同じだ。だからこそだ」
そんなのあんまりだと思った。前から彼にとってここが窮屈そうな環境が嫌いなのは知っていたが、ここ以上に私たちにとって安全圏は外の世界にはないはずなのに。
「でもどうして」
「…」
彼は黙ったままだ。
困惑顔の私に比べてレトロは眉ひとつ動かさない。表情筋ですら型に流し込んで冷やした鉄のように固かった。
話を片っ端から聞いていくうちに仲間たちも反対したそうだが、頑固な彼は頑なとして聞こうとしてくれない。
かつて国家大逆を起こした魔女がかけた防護魔法がかけられている以上、こちらの居場所がバレることはないが、危険をわざわざ犯してでも出ていく理由がわからない。
「許せ、このままじゃいけないってのはわかってる、だからこそ壁をぶち破る特攻野郎がいてもおかしくないだろ?」
今や私たちと世界政府による情報戦は拮抗している。少数精鋭で敵の目を掻い潜り欺く考古学者側、数にものを言わせて人海戦術で一網打尽にしようとする世界政府側。
思った以上に動けないからこそ現状打開に一矢報いるつもりなのかもしれない。
「じゃあな」
木製の扉を開けて外に出ていく彼の背中をただ見ていることしかできなかったその夜、私はベッドの中で感嘆とした涙を流した。
⚪︎
この本には魔法についての記録が数多く書き記されている。
始原の魔法から派生して様々な魔法体系へと系統樹を作り上げるように上へ下へと枝を伸ばしていく。
呪術や錬金術に繋がっていくものもありとても興味深いと思ってしまったが、切り抜く場所はここではない。
自分の責務を全うしよう。
昔から本を読むと一気に没頭してしまう癖がある、その所為で夜会の集合時間に何度遅れたことか。レトロに扉を蹴り破られて我に帰ってから引き摺られながら夜会のある樹に向かった。
好きな小説のシリーズを朝まで読み耽ってしまい、睡魔に負けて首を垂れた時に仲間が集めてきた資料によだれを垂らしてしまった時は後頭部にゲンコツが降り注いだ。
過集中気味なんだよ、とレトロは笑った。一点集中できるのはお前の利点だが、敵地に潜り込んだ時は水深深くまで行きすぎるな、時折息継ぎしないと窒息するぞ。
分かってるよ、そんなこと。
負け惜しみのようなことを誰にいうまでもなく呟く。
世界に降り注いだ災害、洪水、大地震、大噴火。についての記録を片っ端からメモにとる。それと微量ながらの魔力に勘づいてその魔法を発動したであろう時間帯を逆算して計測した仲間の記録とピッタリ一致する。
「さっすが天才肌」
ー。
大机に広げた夥しい量の資料と粗々しいインクの筆跡を残している紙と格闘しているメガネをかけた男性の隣で私は息を飲んだ。今し方、数時間にわたる数字との格闘を終えたのだ。
「ルーベン、流石じゃん」
「ハハッ、天才肌のルーベン様を舐めんなよ〜?」
大量の粒汗を流しながらメガネ周りを拭うルーベンが揶揄うように言った私の顔を見て親指を立てた。
そこにレトロが冷ややかな水を差す。
「短期間にこんなにも実例がないほどの災害が起こるのは普通じゃないが、お前なら場数打てばそれなりに当たるだろ」
数時間かけて計算を終えたルーベンは眼鏡のヘリをくいっと持ち上げて反論する。
「レトロくん、君は人のロマンを鼻で笑うタイプだろ?」
「別にそうじゃない」
ふいと視線を逸らす。
ルーベンは不満げに側にあったゴミ箱を指で指し示し、紙を拳台に丸めて投げ捨てるジェスチャーを取る。
「だったら何だ?これらがゴミ箱に収まるだけのメモ用紙だとでも?」
「言葉足らずだったな、要はお前が天才ってだけだ」
レトロもバツが悪そうに向き直ると、ルーベンを真っ直ぐに見据えていう。顔を真っ赤に染めた彼が再び吹き出した汗を拭うと壁に背凭れを預けていたレトロへと突撃し、側頭部を拳でグリグリとこする。
「だ、だったら最初からそういえよ〜素直じゃないな〜」
「拳でグリグリするな鬱陶しい」
そういうレトロの表情は何だか楽しそうだった。またひとつ仲間たちで謎を紐解いたという達成感を味わっているようだ。
その様子が微笑ましくて私はクスリと笑う。
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レトロが古代樹の森から去って一年弱、1通の手紙が伝書鳩から届いた。
「レトロ」
【一人できてほしい、都市ナックムールの駅で待ち合わせだ】
古代樹の森から一度出るのは一苦労だが、この天然の要塞が私たちを守っているのだから文句の吐きようがなかった。
一苦労して辺境の村にでて都市へと続く砂利の多い街路をたどる、久々に森から出てみると新鮮な空気で満ち満ちているいつもの環境とは打って変わって空気の美味さが格段に落ちた気がする。
都市部に入るとその汚い空気に反吐が出そうになった。自動車や工場から吐き出される排気ガスが体に毒を与える。
駅の待合室前にいる見覚えのある男性がこちらに向けて片手を上げる。
レトロだ。
「急にどうしたの?手紙なんかよこして珍しい」
「積もる話は後にしよう」
チラリと横目で見ると黒服の男がじろっとこちらを睨んでいるのに気がついた。世界政府の役人なのだろう、全身黒づくめの衣服を身にまとい、威圧感のある眼を引き絞った弓矢のように張り詰めた視線を投げている。
一応恋人のフリしとけと小声で言われ、そうするように肝に銘じる。
「政府の人間になった」
「え?」
「お前らの情報がバレないようにこっちで色々と手引きしてやる、だからもう関わるな」
「なんで政府の犬なんかに」
「俺が災害を起こしている大元を食い止めて、真実を暴く。犠牲になるのは俺だけで十分だ」
「ちょっと待って、一矢報いるために政府側につくんじゃ…意味ないじゃない」
「…。政府側では重要な人間にだけ禁書の図書館への閲覧権限と書物の管理を任せているらしい、その中には災害に使われたであろう魔導書も含まれている可能性がある」
「いやだよ、そんなの…何勝手に死のうとしてんの…私たちを少しくらい信じてもよかったじゃない…」
「すまない、でもこれしか方法が見つからなかった。みんなにも言っておいてくれ」
⚪︎
「そこで何をしてる」
唐突に響く声、一気に緊張が走り、思わず息をするのも忘れていた。銃口を突きつけられている緊迫した空気感。
恐る恐る横目で確認するとそこには見覚えのある短く刈り上げられた髪に服に上からでも分かる筋骨隆々とした肉体。
「…」
「…!?」
互いに目を見開いた。
「なんでお前がここにいるんだ」
「私も同意見」
「これ以上関わるなって言ったのに…。たっくよう、つくづく悪運が強いな。俺じゃなかったら撃ち殺してたぞ」
後頭部をガシガシと掻き毟りながら嘆く彼を見て心底ほっとする。
「そうだね、レトロじゃなかったら、ここで撃たれて死んでたかも」
敵地だというのに数年前に出ていって政府の人間になった男性相手に命拾いするとは思わなかった。正直見つかった瞬間に撃ち殺されると考えていたから。
「なんであなたはここにいるの?」
「知ってるくせに妙な口聞くなよな」
ああ、ちょっと待て。銃砲を一発放つ。一度外からの虫を排除したという意思表示のためのフェイク。
この建物にもそれなりの魔法がかけられているのだろう、棚を抉った銃創がみるみる塞がり、硝煙反応すら隠し通すことができるのか。
「政府は自ら魔法を断絶しておいて、自分たちが使えるように魔導書とかはここに保管しているんだと。しょうも無いよな本当に」
なんとも矛盾した話だ。
政府のお偉いさんはどこまで言っても嘘で塗り固めるのが大好きなのだろう。
私はにこやかに笑いながら話す。もちろん敵地に赴いて浮かべる顔ではないが、幼馴染といるこの時間くらいは許されるだろう。
「昔から好奇心は猫を殺すってよくいうけど、自分から殺されにきてどうするのって話よね。まあ私が言えたことじゃ無いけど」
「いいや、死んだとしても満足して生き返るらしいぞ」
「何それ」
「猫は9つの命があるからな」
「そんなので死んでたら幾つあっても足りないでしょ」
「だよな、精々15歳くらいしか生きないのに。人間なら尚更だ」
レトロがコキリと首をならす。
「人間には命が一つ、だから自分を犠牲にして他を生かす。連綿と続くものを後に託すことでそいつの意思も生き続ける」
そろそろ見てきたことについて話そう。と彼は切り出した。
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「本日から配属されたレトロです、よろしく頼みます」
パリッとしたスーツを着た大勢の政府の役人の前で快活に自己紹介を終え、配属先に移る。
正直こういう衣服は身動きが取りづらくていけない。古代樹の居住地にいた頃のゆったりとした衣服が恋しい。
銃の扱いは古代樹の森で数キロ先の的の中心に射撃練習で当てていたのでお手のもの。格闘術についても武術に長けた師匠に散々叩き込まれたのだ、数人練習試合で相手にしたが軽くいなした。
同僚からはなかなかやるじゃ無いかと言われたが、自分は全然ですよ。と謙遜する。
ここまできたんだ、もう後には戻れない。
俺は夜な夜な図書館に忍び寄っては本を開いて情報収集に明け暮れた。睡眠時間を削り、時間の許す限り書き記していくことにした。
こういった日々を過ごしていくうちに考古学者たちとの楽しい日常を思い出す。
今更こうやって思いを馳せているのだから自分でもどうしようもないと思い誰に向けるでもなくため息をついた。
「ステファニーにああは言ったが、素直じゃないな、俺は」
その後、実力を買われた俺は図書館の警備の仕事を与えられ、今に至る。
ー。
「増え過ぎた人口の大規模な調整、病原菌の蔓延により政府直轄の製薬会社が薬によるバブル的な爆益を得ている。また災害を自分たちにとって不都合な場所で何度も起こし、敵側を疲弊させる。
とんでもないマッチポンプだと憤慨する彼を見て、私は何も言えなくなってしまった。
そもそも彼は真実を直接見てきたのだ。これまでの災害に関するすべての事案について。
命がけでここまで一人でやってきたのだと思うと、頭が上がらない。
私に彼が分厚いメモ帳を手渡してくれた。
「これは?」
「俺ができる限り集めた情報だ。古代樹の仲間たちに全部共有しろ。そして全世界に政府がやっていることを広めてくれ。」
「いいの?これは裏切り行為で死ぬんじゃないの?」
私と悠長に話をしている時点で死刑対象だというのにバカな質問を投げかけてしまう自分を呪った。
それを何のそのと笑っていなされる。
「いいのさ、俺は死ぬ前提で動いてたんだからな」
その時、向こう側の通路から夥しい量の足音が聞こえる。異変を察知して政府の刺客がやってきたのだろう。
レトロが浮かべる表情が一気に険しくなる。
「逃げろ、手足をもがれても生き延びろ」
「うん、約束する」
そう言って私は駆け出した、窓ガラスを突き破り空中へと放り投げられる。大丈夫、下は紅葉樹の森、枝がなんとかクッションになって衝撃を和らげてくれるはず。
「逃すな!追え!」
落下の最中、幾度となく銃声が聞こえ、レトロは死んだにだと確信した。そりゃそうだ、一対多数だ。正面からの銃撃戦なら圧倒的に不利なのだから。
思惑通り、紅葉樹の枝や葉がクッションになり落下した時のダメージは最小限に抑えられた。
彼の政府への小さな裏切りが革命への一途となることを信じてひたすら走る。涙で目の前の景色が滲む。
死地を切り抜ける、ここで死んでも満足して生き返るとは思えない。このまま生き続ける。
9つの命がある猫ではない私が死ぬにはまだ早い。そう思った。