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243.毎日noteを書きたくなるのは、話を聴いてもらえるから。

私はどうして毎日noteを書きたくなるんだろう。

それを考えた時、
誰かに自分の話を聴いてもらえるからじゃないか、と気が付きました。


記事を読んでもらえた=話を「聴いて」もらえたのだと思う

何が書きたい?と自分に問いかけながら、noteを書く。
ドキドキしながら、投稿ボタンを押す。

すると、どなたかがスキをくださる。

「今日も読んでもらえたんだ」
「今日も私の話を聴いてくれる人がいたんだ」
そのことが何よりも嬉しい。

記事を「読んで」くれたということは、
話を「聴いて」くれたということだと、私は思っている。

この場合の「きく」は「聞く」ではなく、「聴く」だと思う。

「聞く」は、音や声を耳に感じ認める意
「聴く」は、聞こえるものの内容を理解しようと思って進んできく意

『類語国語辞典』(角川書店)より

だって、もし記事が目に入ったとしても、
興味がもてなければ、無理してまで読むことはないのだから。

読んだということは、その記事(話)に興味をもち、
その話を理解したいと思ったということだから。

記事を読まずにスキを押す人もいる?

そう聞いたことがあります。
私にはできないことです。

たしかに、そういう人もいるのかもしれません。

私だって、バタバタしてたり
長すぎたり読みにくかったりして
最後までしっかりと読みきれずに
でもその人の記事がスキだから
スキを押してしまうことがあります。

だから、それでもいいのです。

私は信じています。

最後までじゃなくてもいい。
少しだっていい。

スキを押してくれたということは、
その人が記事を読んでくださったのだと。
私の話を聴いてくださったのだと。

そう信じています。


あと、気づいたんです。
もうひとつ。

ホシノエミコさんの記事を読んでいて、
気づいたんです。

私はnoteを書きながら、私の話を聴いてあげてるんだな

って、気づいたんです。

なぜなら、
何が書きたい?どうしてそう思うの?
自分自身に問いかけ、
自分自身の話をじっくりと聴いてあげなければ
記事を書くことはできないからです。

これって、当たり前のようで、すごいことだと思うんです。

毎日バタバタしていると、
なかなかじっくりと自分の話を聴いてあげられないからです。



つまり、

noteを書くと、
まず自分自身が、自分自身の話をじっくりと聴くことができる。

そして、さらに、

自分自身の話を
誰かに聴いてもらえる可能性が生まれる。


だから、noteは
私の中の「話を聴いてほしい」という思いを
じゅうぶんに満たしてくれる。

ゆえに、毎日書きたくなるのですね、うん。

書いていたら、見えてきました。
自分の気持ちが見えてきました。

やっぱり、noteを書くって素敵ですね。


ホシノエミコさんの素敵な記事はこちらです。

ノートに自分の体験や感情を書き始めて、ノートを使って自分の望みを探り始めて、わたしは少しずつ、じぶんの話が聴けるようになりました。

いままでは理解されないつらさを嘆いているしかなかったので、行動が変わらなかった。だけど自分でできることがあった!!!

ホシノエミコさんのnoteより

最後までお読みくださり、ありがとうございました。



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