見出し画像

自分語りを止められなかったわけ

2022年2月。新型コロナ発症後の療養も半年を過ぎましたが、よくなりかけては悪くなるを繰り返していました。

1月半ばに書き始めたこれまでの記録は、A5のノート26ページ分となり、
2月の下旬にひとまず終わりました。改めてめくってみると、いい思い出があまり書けていません。高校卒業までの記録は特にそうでした。(全部吐き出せたら、いい思い出もよみがえってくるのかもしれないと、今は感じています)

理解されなくて苦しんだ記憶の数々を眺めて、気づいたことがありました。

「わかって欲しい」

これまでのわたしのコミュニケーションは、この一言に尽きます。

じぶんを「説明」すればするほど、相手は離れていきました。説明の仕方以前に、わたしには相手の話を聴く余裕がなかったのです。相手の話を奪うようにして自分の話をしていたことにも気づきました。

自分の話ばかりするのは良くないことだとわかっていながら、それを止められなかった。止めようとすると「一切の話をしなくなる」しかできなくて、高校の時には話せなくなった時期もありました。

なぜこんなことが起こっていたのか。

1.身近な人に理解された記憶がほとんどなかった。
2.自分が、じぶんの話を聴けていなかった。

1.は巡り合わせのようなものなので、自分ではどうにもなりませんが、2.は違います。ノートに自分の体験や感情を書き始めて、ノートを使って自分の望みを探り始めて、わたしは少しずつ、じぶんの話が聴けるようになりました。

いままでは理解されないつらさを嘆いているしかなかったので、行動が変わらなかった。だけど自分でできることがあった!!!

わたしには定期的に会ってお互いに喋り倒す友人がいて、今でも会えば楽しい時間を過ごせるのですが、記録を書き終わったあたりから「どうしても話したい!」と思う気持ちがだんだん弱まっていることに気づきました。

思えばこれが、ノートに書くことで感じた、最初の手応え

これで変われるかもという希望がでてきました。
「自分語りを止められないわたしは、ひとと上手く関われない」と諦めなくていいんだ…それはとても大きな喜びでした。

まだまだ道の途中ではありますが、「わかって欲しい」の渇望ともいえる衝動は、次第におさまってきています。

(連載のバックナンバーはこちら ↓ から)

#ウェルビーイングのために

最後まで読んで下さって有難うございます。 頂いたサポートは、noter さんに会いに行くために使わせていただきます。「愛を配って生きていく」意欲が3割増し!!! 応援して下さるあなたにも素敵な出会いがありますように。