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氷室京介-プライドと生き様-親より10歳上の人を好きになった話


推しボーカリスト その2 氷室京介

#私の推し
私こと志音には何人かの推しボーカリストがいる。
1人目は前回の記事に書いたのでそちらを読んでいただくとして。
2人目は 孤高のボーカリスト 氷室京介氏だ。

ハイ、ここでまた出てしまいました。おじさま芸能人ばっかり好き説。彼もそのうちの1人。自分の親より10歳も年上の人物であり、10月7日の誕生日で63歳になられたお方である。

そんな彼をなぜ好きになってしまったのか。
今回のタイトルのプライドと生き様に影響された私の話をしてみようと思う。


バンドブームを作り上げたBOØWYの存在


私は彼はバンド単位ではなくソロの方が好きなのだが、やはりBOØWYのことは外せないだろう。おそらく50〜60代の方が世代になると思うが、1981年から1988年のわずか7年で解散してしまった伝説のバンドである。(MARIONNETTEという曲が有名だが、私はJUSTYや黒のラプソディー、ハイウェイに乗る前にの方が好き(^ ^))
どのくらいバンドが凄かったかはここでは端折らせていただいて、
実はB'zを好きになる前に中学生の時にすでにBOØWYを聴いていて、「20年以上前の曲なのに、すごく良い曲だなあ。」と思ってたし、「いつ聴いても飽きないなんてスゴイ!!ビートロック最高!」なんて感じてた。
けど、そんなことよりも

とにかく彼の唯一無二と言われる独特のボーカルスタイルが死ぬほどカッコ良かったのだ。

誰とも被らない、ハスキーかつ色っぽい艶ボイス
日本語の発音とは違い、子音(特にサ行)にアクセントを置く歌い方。
爪の先までカッコよく魅せる、美しくキレのある振り。
片脚をスピーカーに置く、オラオラな立ち振る舞い。
そして来てくれたお客さんのことは「オメェらァ!!」と叫ぶ笑笑

今の時代でこそこういうボーカリストは少なくなったけど、当時はこれが死ぬほどカッコ良かったんだと。私はBOØWYが解散してから10年後に生まれた身なんで、当時のことは親に聞く他なかったんだけど、

とりあえずみんなBOØWY・氷室京介のマネをした。そして誰がやっても彼に追いつけなかったのだ。それは解散してからも影響は大きく、GLAYのTERU氏もかなり影響を受けているし、氣志團の綾小路翔氏、BREAKERZのDAIGO氏、ZYYGの高山征輝氏なども影響を受けている。

あとはファッションもカッコ良かったよね。CDジャケットもライブ衣装もいつ見ても、黒を基調としていて、凛と美しくてホント粋だもんね。


ホントに影響を受けたのは氷室ソロの方

実はこっちが本題で、実はBOØWYより氷室ソロの方が好きである(2回目)。
ANGELやKISS MEが有名だが、それよりも2000年代以降の荒ぶっている氷室氏の方が私好みなのだ。初期の頃はフリルやリボンなど、美しい異国の王子的な印象があったが、後期の方は革ジャンに革パンにと、ほぼ黒1色という出立ちに変わっていった。(25thライブの時に赤シャツを羽織って歌っていたのは、意外だった)

カリスマボーカリストと言えば、
私は真っ先に氷室京介氏を挙げる。

音楽制作姿勢から見えた、彼なりのプライド

実は強くてカッコイイ氷室氏も
実は過去にスランプ的?なものに陥っていたことがある。1993年にKISS ME及びその収録アルバムの「Memories of Blue」がヒットし成功を収めたが、自分の周りにイエスマンしかいなかったこと。海外でレコーディングをした時に感じた、誰も意見を言わない日本での製作体制と、お互いが遠慮せず意見を言い合いながら作品を作り出す、アメリカの製作体制に疑問を抱くようになる。そしてその年から1994年あたりに自律神経失調症を発症したこともあった。(日本でのレコーディング活動に限界を感じていた事が発症した原因らしく、後にロサンゼルスに住居とスタジオ拠点を移すきっかけとなった。)

バンドでも成功を成功を収めソロでも成功した後、自分を乗り越えなければいけない・自分の作品に押し潰されてはいけないと追い詰めてしまったが故のことだった。

※参考エピソード🔻

レコーディング中にスタジオの天井がぐわんぐわん回るほどの状態だったらしい。
病状だけ見れば、何とよくないこと!!とマイナスイメージばかり浮かんでしまうが、彼の思考性を理解すれば、「常に自分自身を超えなければいけない」と自分を
許さないほど非常に高い意識とプライドの持ち主
なのだ。
もうここまで来ると、なるべくしてなった症状というか、そうなる道の人だったんじゃないかと思う。(その時期にリリースされた「SHAKE THE FAKE」は私の好きなアルバムである。彼が踠きながらも苦しみ、真実に向かいながら自身と向き合う姿がありありと感じられる。次作の「MISSING PIECE」ではまだ自分探しの旅の最中であり、その次の「I・DE・A」で完全復活を遂げることになる。)

彼の極端に少ないテレビ出演の回数や、最後までBOØWYを再結成しなかったこと。自分のパフォーマンスに見切りをつけて2016年にライブ活動を休止したことなども、彼なりの強いプライドがもたらした決断なのだろう。人によって邪魔するほどのプライドや自分を追い詰めるほどの理由は、時として悪い方向に転がることもあるけれど、
この彼のプライドこそが、彼のカリスマ性であり、彼を孤高のボーカリストたらしめる理由なのだ。

森雪之丞氏が言葉で魅せた氷室氏の色気

ソロになると氷室氏は作詞はほぼせず、松井五郎氏と森雪之丞氏に頼むことになる。ソロ後期(2000年代以降)の作品をたくさん書き上げた森雪之丞氏の歌詞に私はこれでもかというほどどっぷりとハマることになった。

まあ何というか、端的にいうと、庶民レベルの人間が言ったらヤバイ歌詞も、森雪之丞氏と氷室氏の声にかかれば、とてつもなくカッコ良くなるのだ。

ここで私のお気に入りの歌詞をいくつか紹介しようと思う。

We are the WARRIORS
涙の理由(わけ)は言うな
嘆きよりも
喘ぎ声を 聴かせろ
We are the WARRIORS
敵は昨日の自分
キスの後で濡れてるのは 睫毛じゃないだろ
舐め合うのは 傷じゃないぜ

28thシングル「WARRIORS」より。(2番サビ歌詞)2012年9月26日リリース 

「嘆きよりも 喘ぎ声を 聴かせろ」って何を言ってるんですか!!氷室氏!!と言いたいほどなんだが、ライブになるとそんなのお構いなし。(ちなみに「キスの後で濡れてるのは 睫毛じゃないだろ」っていうのは、アレですか。アソコのことですか。)
恥ずかしいとかエロいとかどこ吹く風。むしろこちらを煽るくらいの勢いでかましてくるので、結果めちゃくちゃ盛り上がる。

↑冒頭の「ゴチャゴチャ考えてんじゃねーぞ、騒ごうぜ!!」とかもう最高すぎます。

粗雑な言葉も希望もキスも
不純物(まじりけ)のない True Love
悲しみ脱がせて お前の愛を
セミヌードにさせて

23rdシングル「Wild Romance」より。(ラスサビ前歌詞)2004年9月8日リリース

イントロの「オイッ!オイッ!✊」っていう掛け声も2000年代以降のライブの見どころ。ちなみに「セミヌードにさせて」のフレーズは、ライブになると「フルヌードにさせて」になります笑


次は、2006年にダブルA面でリリースされた両シングル。
彼の言葉遊びが何とも面白いのです。そして痺れてシビれる。

投げたビンには 恨みないのさ
割れた広告塔(ビルボード) よく聞きな
幻想よりも現実
よりも 真実が欲しいだけ

「Heaven」て書いて<いきどまり>と読め
何処へ行き着いても 敵は自分さ

25thシングル「SWEET REVOLUTION」より。(2番A・Bメロ歌詞)2006年10月4日リリース

想よりも現実よりも真が欲しいだけ」のフレーズが、韻踏み&しりとりのように繋がっていることにまず圧巻&「「Heaven」て書いて<いきどまり>と読め」という歌詞は当時ファンの心を唸らせた。聞き手にそう思わせる彼の作詞力の思い知らされるポイントである。



それでも、彼のソロを聴いてきた中で一番度肝を抜かれた歌詞がコレ↓

ラメのパンツとミュールと憂鬱を脱ぎ捨てて
ブラのホックと一緒にハメまで外せ
熱い8でビートのシャワーを浴びて
泥のついてた魂(ソウル)を磨けばいいさ

25thシングル「IN THE NUDE 〜Even not in the mood〜」より。(1番Aメロ歌詞)2006年10月4日リリース

もう言ってることがモロなんで当時ハタチになりたてだった私は、ドギマギしながら読み、慌てて歌詞カードを仕舞った笑笑。
彼女の身につけている「モノ」と一緒に、感情までも同じ動作・仕草を意味づける森雪之丞氏の恐ろしいまでのフレーズセンスである。



ライブ活動休止前に見せた、彼の決死の生き様

そんな彼も2014年に行われたソロデビュー25周年ツアーの最中、7月13日の山口・周南市文化会館公演で、耳の不調を理由にライブ活動の休止を発表した。

最終公演前日の7月19日にはなんとリハーサル中に雨で濡れたステージから滑ってステージから落ちてしまい、“肋骨を折ってしまう”怪我を負う。(活動休止後に映画館で公開されたドキュメンタリーには、彼がステージから急に消えたように落ちた瞬間と、その後の痛々しい姿が流れていた。)
その中でも彼はこのツアーをコンプリートさせたいという思いで、上半身をサポーターなどで固定した上で、ライブを敢行させた。(医師からは氷室氏の名物とも言える「ひねる動き」はしちゃダメだ!と言われていたのにも関わらず、彼はやってしまったらしい。)
そのパフォーマンスは「骨折している人」とは思わせんばかりの全力のステージングであった。(さっきのWARRIORSの動画はその時のヤツです。)

さらに7月20日の最終公演では公演中に落雷があり、ライブを一時中止せざるを得なくなった。
何とか再開はしたものの、氷室氏は「プロとしてこのリベンジを必ずどこかでやれたらと思います。」との言葉をファンに残し、約束した。
↓当時のライブの模様です。氷室氏の身体の痛ましい様子、落雷の瞬間が流れます。


そして、2年後の2016年春に4大ドームツアー「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」を敢行させ、5月23日にその幕を閉じた。

私はリアルタイムで氷室氏の活動休止、LAST GIGSのことも知っていたが、当時市役所に18歳で入庁したばかり、かつ繁忙期で絶望的に忙しく、ライブどころではなかった。もし今のような状況だったら参加していたこと間違いなしだろう。


最後に25thライブで7月19日公演時に彼が語った言葉を書こうと思う。

「俺は俺なりに矜持があってさ。それはダウンしても必ず立つってやつ。ダサくても格好悪くてもいいから、必ず立つ、と。無様でも立ち上がれば、無様じゃなくて、それが生き様になる。そんな感じでずっとやってきた」


無様じゃなくて、それが生き様になる。


この言葉が彼の生き方であり、プライドであり、彼の音楽人生であり、彼のすべてなのだ。
この言葉はファンなら誰もが知っている言葉だろう。
私も仕事で壁にぶち当たった時、将来に不安を感じてしまった時、自分の生き方や未来や誇りが消え失せそうになった時、その度に彼のこの言葉に強く魂を揺さぶられた。たとえ惨めでも、カッコ悪くても、いつか自分の生き様になるんだと。
そんな日を信じて我々は今日も進むしかないのだ。

先ほど書いた市役所に18歳で入庁した時、社会人なりたてで周りについて行けず、何回も辞めようと思ったことがある。その時に励ましてくれた歌詞がある。

迷う勇気だけ あればいい
愛と冒険は続き 
陽はまた昇る 旅人よ
心凍える朝も
〜省略〜
たとえ遠回り してもいい 
信じた道の彼方に
陽はまた昇る 旅人よ
空を見上げる限り

4thベストアルバム「KYOSUKE HIMURO 25th Anniversary BEST ALBUM GREATEST ANTHOLOGY」より。「The Sun Also Rises」(1・2番サビ歌詞)
2013年8月21日リリース

「迷う勇気だけ あればいい」
森雪之丞氏が紡ぎ出したこのフレーズに、私は一気に涙がこぼれてしまった。
一瞬否定的にも見える「迷い」を「勇気」と受け取り、その行動は決して愚かではない決断だということを氷室氏の声がメロディを通して伝えてくれた。
当時あまりにも出勤するのも辛くて、毎朝何度も何度もこの曲を聴きながら、涙を流して職場に行ったのを覚えている。(その後紆余曲折ありましたが、何とか1人前として働けるようになりました。)

この曲が彼の一番最後の楽曲となった。彼も最後の最後まで迷い、そうして決断したのだろう。彼の最後の最後の生き様まで、私たちファンを励ましてくれたのだから。

BOØWYにも、氷室ソロにも間に合わなかった人間

両親はBOØWYに間に合わず、
その私はBOØWYにも、氷室ソロにも間に合わなかった人間なのだ。
(ちなみに母上はTOUR 1993 "L'EGOISTE"まで参加していたそうです。)


実は私の氷室ソロ遍歴のことをいうと、
元々母上が氷室ファンだったので、初期4枚アルバムは聴いていたのだが、

彼のLAST GIGSで本格的に聴こうという気になったのでライブにも行けなかった私は、LAST GIGSが終わった後に、ベストアルバム「L'EPILOGUE」を購入した。
もちろんLAST GIGSのDVDも欠かさず購入した。
7月にはドキュメンタリー作品の劇場版として「DOCUMENT OF KYOSUKE HIMURO "POSTSCRIPT"」が公開され、すかさず観に行った。
さらに翌年2017年にはLAST GIGSのフィルムコンサートが敢行され、10月4日の市川市文化会館 大ホール公演に母上と参戦した。(周りのファンは皆んな黒一色で固めてたし、革パンにタンクトップという出立ちのメンズ勢も多かった。そして極め付けは開演前に、本人が出演しないのにも関わらず「氷室〜ッッ!!氷室〜ッッ!!」と氷室コールが鳴り止まなかったことだ笑笑。)

その後母親が聴かなかった時代(MELOOW以降の2000年代)のCDを片っ端から集め、仕事が終わった後、イヤホンを耳にねじ込んで狂ったように聴きまくった。
(彼のハードロックでなりふり構わず乱れられるのは、とてつもなく最高だった)
20歳になった私は【PERSONAL JESUS BAR -REVOLVER-】にも2ヶ月に1回ほどのペースで通った。(かなり贅沢してたな〜💘✨🍸🥃)


さて、彼に魅了された私はその後どうなったかというと、彼の誕生日(10月7日)になると思い出すように彼の曲を聴くようになった。

LAST GIGSのMCで「還暦になったらアルバムを出す。」と言っていたのだが、(2023年現在でもその目標は未達成のままである)
2020年9月、B 'zの松本孝弘氏のソロアルバム「Bluesman」内の楽曲「Actually」に作詞とボーカルで参加された。
私の好きなミュージシャン×好きなミュージシャンの夢のコラボが実現したのだ。もともと親交があったのは知っていたが、楽曲という形で実現されると、ファンとしてはこの上なくたまらないものである。
松本氏のジャジーなギターに、氷室氏のセクシー且つクールな艶っぽいボイスが絡み合って、とてもいい曲であった。
ぜひ秋の夜長に聴いていただきたいナンバーである。
(現在B'zのサポートメンバーを務めているギタリストYukihide"YT"Takiyama氏も、LAST GIGSに参加していたことから、氷室氏を通じて松本氏に紹介してくれた縁でもある。)

それでも彼の声が聴きたい


前項から3年経った今日。未だ彼はライブ活動休止のままである。
それでも、それでもなお、
彼の声をこうして求めてしまうほどには、

「いつか絶対アルバム出してください!!💦」(1曲だけでもいいから。)

と叫び続けてしまうのである。

推しボーカリストで、カリスマボーカリスト、氷室京介氏。
アルバム待ってます笑。


1人目の推しボーカリストの記事はこちら🔻




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