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猫がいる生活

父の書斎にケージが設置されていた。
 
覗き込むと、白い猫が横たわっている。
 
ピピだ。
 
ご老体で身体は上手く動かせず
トイレも自由に出来なくなっていた。
 
社会人になって会える回数も極端に減った。
 
僕のことを忘れているのではないか?
 
そう思いながら、「ピピ」と声をかける。
 
すると、綺麗な茶色の片目だけ一瞥。
 
覚えてくれていそうで、少し安心。
 
滅多に鳴かない猫なのだ。
 
いつも通り、尻尾で軽く挨拶してくるだろう。
 
そう思っていた。
 
彼は横たわったまま
 
僕の顔を見つめて
 
「にゃあ。」と一言告げた。
 
さらにだ。
 
しんどそうな身体で立ち上がり
 
ケージの外にのっそり出てきて
 
彼は身体を一回転させて
 
僕にお腹を見せて
 
誘った。「撫でろ。」と。
 
分かっているよ。
 
君の好みは
お腹ではなく顔の横だろ。
 
僕は泣きながら
顔の横を無心で撫でた。

ゴロゴロゴロ。

喉元だけで、慰めてくれていた。 


ある日。
 
いつも通り、職場で働いていた。

休憩がてらLINEを開ける。
 
僕は目を瞑って、空を見上げた。

深呼吸した後、衝動的に職場の席を立った。
 
誰にも気づかれないように
下を向き続け、早歩き。
 
トイレに駆け込み
スマホの画面を見つめる。
 
お腹は痛くないが
ただ身体を丸めてしまった。
 
そして、もう一回目を瞑る。

瞑っても溢れ出してしまうのだ。

さようなら。

拭っても拭っても大粒は溢れ続けた。




幼少期から猫二匹と暮らしてきました。

二匹は、笑い、安らぎを与えてくれる存在。
 
六人家族のように暮らしていました。

ある種、家族の調和を保ってくれたような。

猫がいる生活。幸せでした。

その幸せの源泉を考えたいと思いました。

二匹を撫でている時。
 
現実世界から切り離された
多幸に満ち溢れた時間でした。

悩みは消し飛び、ただ想う。

可愛い。癒される。幸せ。

それだけでも十分です。

ただ、猫と人間は違う種族。

人間のように返答はくれません。
時に尻尾をペチペチと怪訝そうな顔をして。

恩返しや見返りがなくとも
其れでも撫で続けたい。

僕は、「愛情を注ぐ」行為自体が
人間の幸せの源泉になりゆると思いました。

見返りなんて、なくったっていい。

幸せを貰いにいくのではなく
無償の愛を与えることが
実は幸福度を上げるヒントかな。

僕は無償の愛情を注いだ結果、
幸せを感じていたのだと。

猫は、気まぐれで正直な生き物です。
 
ムスッとしたり。
腹が減ったら起こしに来たり。
にゃーにゃー、騒いでみたり。
 
猫と暮らした時間が長いからでしょうか?

僕自身も猫のように生きたいと
思っている節はあります。

誰にも媚びることはなく
自分自身の欲に正直で
裏表がない存在。

人格まで形成しちゃうなんて。
  
猫を飼うことは楽しい事ばかりではありません。
 
お世話に家族が困っている時期はありました。
 
僕もトイレの管理など手伝っていました。
 
家族を迎え入れることは、そういった難しさを
乗り越える覚悟や愛が必要であると思いました。
 
未だに実家の食卓の横には
飼い猫二匹の写真が飾られています。
 
帰省するたびに思い出話に華が咲き
また少し寂しげを感じてしまいます。
 
二匹と暮らせて、幸せだった。

猫だけじゃないですね。

全ての生き物に真摯に向き合い
愛情を注げば、きっと心の中に
かけがいのない大事なものが
残っているんだと思います。お互いに。


ピピとチェリー@僕の部屋で


見上げるピーちゃん。ちょっと気難しいけど、実は甘えん坊。


愛嬌No.1 チェリー (呼び名はチェリ子)。いつかまた書きたいと思います。
笑いと正直に溢れた癒しの化身です。


本当にありがとうね。

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