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《二十七. 神を狩る犬はアメリカヘ 》

 『ババババーン!』の後、雷次は『邪法兵衛 完結篇』以来となる劇場映画『神狩り犬(かみがりいぬ)』の製作に入った。
 既にテレビシリーズ『遠読み殺し』を手掛けていた頃から、企画そのものは立ち上がっていた。ただし、今回の映画は、準備に時間を必要とする内容だったのだ。

 「この映画は、かなりスケールが大きい。荒廃した未来を舞台にしたSFアクションだ。これを撮るには外国人の俳優が必要だし、ロケーションも日本では難しい。だから、大半のシーンはアメリカで撮ろうと思っている」
 雷次は新作のアイデアを初めてプロダクションの面々に明かした時、そう告げた。
 「アメリカ、ですか」
 福井が目を丸くした。
 「外国人の俳優を使って、日本で撮るわけにはいかないんですか」
 「出来れば、エキストラも外国人を揃えたいんだ。設定が特殊だから、日本人ばかりだと安っぽくなってしまう。むしろ、外国人の中に、少し日本人が混じっているというイメージなんだ」

 「とんでもない話を思い付いたもんだなあ。そんなの、日本の独立プロダクションがやるような企画じゃないだろう。完全にハリウッド映画の世界じゃないか」
 百田が溜め息をつくと、雷次は苦笑して
 「お前の言う通りだ。普通は、思い付いたとしても、実際に映画化しようとは考えないだろうな」
 と口にした。
 「だけど、俺は実現させるぞ。ただし、ウチのプロダクションだけでやるのは厳しいから、向こうの会社と提携して作る方向で考えている」
 雷次プロの規模は、設立当初から比べると、かなり大きくなっていた。しかし、アメリカでの長期撮影となると、やはり現地の製作会社の協力が不可欠だと雷次は考えたのだ。

 「何か当てでもあるの?」
 竜子が尋ねると、
 「向こうで仕事をしていた時のコネクションから当たってみるつもりだ」
 と雷次は返答した。
 その時点では、何の当ても無かったのだ。
 雷次は渡米し、一緒に映画を製作してくれそうな会社を探した。だが、前向きな姿勢を示す会社はあったものの、正式に共同制作するという段階までは、なかなか話が進まなかった。それには、「主人公が神を殺す」という話の内容も影響していたのだろう。アメリカはキリスト教国家であり、映画の中とはいえ、神を殺すというのは大胆なアイデアだ。企画の内容を聞いた途端に、渋い顔をするプロデューサーもいた。

 そんな中、ようやく雷次は、共同制作の相手を見つけることが出来た。
 タッグを組むことになったのは、ルー・ゲニーゴだ。雷次が初めて渡米した際、兄の風太に連れられて訪れたパーティーの主催者である。当時の彼はテレビ番組のプロデューサーだったが、その後、映画界にも進出していた。
 共同制作については、雷次が話を持ち込んだのではなかった。話を聞き付けたゲニーゴの方から連絡を取って来て、
 「私と組まないか」
 と誘ったのである。
 「いいんですか」
 「いいに決まってるじゃないか。君と一緒に仕事をやれるのは、私にとってラッキーなことだ。私は今でも君のファンだからね。『ホーベー・ザ・ヴァガボンド』(日本語題『邪法兵衛』)シリーズも見たよ。あんな面白い映画を作れる人と一緒に仕事が出来るなら、こんなに嬉しいことは無いよ」
 「こちらこそ、嬉しいですよ。そこまで言ってもらえるなんて」
 雷次とゲニーゴはガッチリと握手を交わし、正式契約を結んだ。

 製作体制が整うと、キャスティング作業が進められた。雷次は自ら演じる主人公が戦う敵集団のボス役に、『スター・クレイジー』や『ストリート・オブ・ファイヤー』などに小さな役で出ていたグランド・L・ブッシュを抜擢した。他に、アメリカ側からは『パララックス・ビュー』『ガープの世界』のヒューム・クローニン、『48時間』『ブレードランナー』のブライオン・ジェームズらの出演が決まった。
 さらに、雷次のたっての希望で、物語の鍵を握る謎の老人役にヴィンセント・プライスが起用された。そもそも雷次はストーリーを作る際、そのキャラクターにヴィンセント・プライスをイメージしていた。だから、是非とも彼に出演してもらいたかったのだ。

 そこからの準備は大きな問題も無く、スムーズに進んだ。
 ところが、撮影に入る直前の1985年9月、ハリケーン・グロリアが北アメリカ大陸に上陸し、オープン・セットが壊滅的なダメージを受けるという事態が起きてしまう。
 改めてセットを作り直す必要に迫られ、撮影開始は大幅に遅れることとなった。
 この影響で、スケジュールの都合により、ヒューム・クローニンとブライオン・ジェームズが降板した。代役として、『ポセイドン・アドベンチャー』『北国の帝王』のアーネスト・ボーグナインと、『ダーティハリー2』『スペース・パイレーツ』のロバート・ユーリックがキャスティングされた。

 この交代に関して、雷次は
 「代役も素晴らしい俳優だし、アーネスト・ボーグナインが出てくれるなんてラッキーじゃないか」
 と、あまりショックを受けなかった。また、ハリケーン上陸の時、既に渡米していた雷次は、
 「何かの時に使えるかもしれないから、記録しておこうぜ」
 と言って撮影させようとした。
 結局、ハリケーンを撮影することは出来なかったが、雷次はトラブルがあっても落ち込まず、ポジティブな態度を見せた。そこには、災難で沈んでいる撮影クルーを元気付けよう、前向きな気持ちにさせようという配慮も少なからずあった。

 年が明けた1986年1月、ようやく撮影が開始された。セットを組み直し、予定が大幅に遅れたことで、製作費は当初の予定をオーバーした。ゲニーゴが焦燥を見せる中、雷次はハードに仕事をこなし、出来る限り出費を抑えるように努めた。
 良い作品を作るためには、どれだけ金が掛かっても、どれだけ時間を費やしても、決して妥協しないという映画監督もいる。しかし雷次は、
 「決められた予算で、決められたスケジュールを守って、その中で面白い映画を撮る監督こそが真のプロフェッショナルだ」
 という考えの持ち主だった。だから災害という仕方の無い事情があったとは言え、予算超過やスケジュールの遅れは、とても不本意なことだった。

 1986年3月に映画『神狩り犬』はクランク・アップし、8月に日本とアメリカで公開された。これまで雷次が手掛けてきた映画の中で、最も苦労した作品となった。
 その苦労は報われ、日本では『邪法兵衛 完結篇』を上回る観客動員を記録した。アメリカでは激しい暴力描写が一部で問題視されたが、観客からの評判は上々だった。日米の合計で黒字が出る興行成績を上げ、ルー・ゲニーゴも胸を撫で下ろした。

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  『神狩り犬』

〈 あらすじ 〉
 日本列島は大地震によって沈み、難民となった日本人は各国に散らばった。多くの月日が流れ、第三次世界大戦が勃発した。核の嵐によって世界は崩壊し、勝者無き戦争は終焉を迎えた。
 荒廃した北アメリカ大陸には絶対神ジーストを名乗る男が現われ、人間の直接支配を宣言した。ジーストは天使軍を引き連れ、大半が砂漠と化した大陸を駆け巡った。彼は抵抗する人々を処刑し、恐怖によって征服地帯を広げていく。神のパワーを持つジーストは、女子供でも容赦なく抹殺した。

 ジーストに抵抗する複数のレジスタンス組織が結成されたが、次々に滅亡へと追いやられた。レジスタンス「コーイン」の女性リーダーであるエリ(増田泰羽)は、副官のハヤカワ(沼瀬秀郎)と共に、別の組織のリーダーがジーストに処刑される様子を密かに見ていた。
 エリが無力感に唇を噛んでいると、そこへ灰色のローブをまとった老人(ヴィンセント・プライス)が現れ、
 「まだ立ち向かう気があるのなら、イエローヴィルへ行って聖域の封印を解けば何とかなるかもしれんぞ」
 と告げた。

 エリとハヤカワがイエローヴィルに行くと、聖域と呼ばれる場所には番人(アーネスト・ボーグナイン)がいた。彼は、そこが聖域というのは名ばかりで、実際は禁断の地だと語った。聖域には人工の泉があり、大きなカプセルが沈んでいた。
 「カプセルには恐ろしい存在が隠されている。封印を解いたら大変なことが起きる」
 と番人は警告した。エリたちがカプセルを良く見ると、その中には額に「DOG」という刺青のある男(佐野雷次)が眠っていた。番人によれば、その男は凶悪な犯罪者だという。

 かつてイエローヴィルでは、犯罪者の額に刺青を入れる刑罰があった。一度目の犯罪でD、二度目でO、三度目でGの刺青を頭に入れられる。四度目の罪を犯すと、どんな微罪であっても死刑になる。男は四度目に神父を殺す罪を犯し、死刑が執行された。ところが、絞首刑にされたにも関わらず、彼は死ななかったのだ。
 既に死刑は執行されているため、法律上、再び処刑することは出来なかった。そこで当時の市長は科学者に依頼し、男を冷凍睡眠状態でカプセルに保管した。そして科学者の血を引く番人が、その場所を守っているのだという。

 エリたちが話していると、イエローヴィルの保安官を務める下級天使レント(ジョー・ヒサダ)が聖域に現れた。彼が軽く殴っただけで、ハヤカワは大きく吹き飛んだ。その時、カプセルが開いて男が出現した。男は人間離れした力でレントを捕まえ、頭を何度も岩に叩き付けながら、
 「久しぶりだぜ、人殺しは」
 と楽しそうに笑った。
 その直後、緊急警報が鳴り響いた。瀕死の状態となったレントが、警報ボタンを押したのだ。男はレントの頭を踏み潰し、トドメを刺した。エリたちは男と共に、その場から逃げ出した。

 エリからジースト打倒への協力を求められた男は、即座に拒否した。
 「そいつは自分で神を名乗っているだけだろ。本物の神が、のこのこと地上になんか降りてくるかよ」
 と、彼はジーストが神であることを信じなかった。
 「俺はこんな場所からオサラバしたいだけだ。誰が何をしていようと知らん」
 そう男は言うが、町を出ることは不可能になった。警報によって、イエローヴィルは電子シェルターで封じられてしまったからだ。聖域の番人は、すぐにジーストにも連絡が行き、ここへ来るだろうと告げた。

 「ジーストを倒さないと、町の外には出られない」
 エリが言うと、男は
 「他の方法を考える」
 と告げて立ち去った。
 男は情報屋の存在を知り、その隠れ家へ向かった。一方、エリとハヤカワも別の用件で情報屋の元へ向かうが、彼は殺されていた。そこに天使軍が現れ、エリたちを襲撃してきた。直後に男が現れると、天使軍はレジスタンスの仲間だと決め付けて攻撃した。男は成り行きでエリたちと協力し、天使軍を倒した。

 イエローヴィルにジーストが到着し、エリたちを捜し始めた。男は他に脱出の方法が見つからないため、仕方なくエリに手を貸すことにした。しかしレジスタンスの協力者だった薬売り(ロバート・ユーリック)の裏切りにより、男は薬物で力を奪われた。
 男を捕まえたジーストは興味を持ち、人体実験に使おうと考えて、ひとまず牢獄に監禁した。エリたちの公開処刑が行われようとした時、脱獄した男が現れた……。
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 この作品で雷次は、名無しの男を演じている。劇中で名前を呼ばれることは一度も無いが、設定では「犬」となっている。
 この男のキャラクターに関して、雷次は
 「悪党を倒す主人公だが、正義の味方ではない」
 という造形にしようと考えた。
 その際、彼が参考にしたキャラクターがある。それは作家の林不忘が生み出し、多くの時代劇俳優が演じた剣士・丹下左膳だ。その中でも雷次が参考にしたのは、東映版で大友柳太朗が演じた丹下左膳だった。

 大友版の丹下左膳は、暴れたい、人を斬りたいという気持ちで一杯というキャラクター造形だ。人助けに駆け付けたはずなのに、
 「俺にも斬らせろ」
 と言って楽しそうに敵を斬る、やんちゃで陽気な暴れん坊だ。その「楽しそうに暴れる豪快な男」というキャラクターに、雷次は魅力を感じ、『神狩り犬』のモデルにしたのだ。

 『神狩り犬』の主人公は、最後まで一度として正義のために戦うことは無い。彼は
 「暴れたかったから」
 「向こうが襲ってきたから」
 といった理由で戦っている。エリからジースト打倒への協力を求められても、自分にメリットが無ければ承諾しない。常に自分本位であり、他人のために行動するという考えは持ち合わせていない。
 男は傍若無人で、自分の目的を果たすためなら、何の罪も無い人間を平気で脅したり、物を破壊したりする。また、その戦い方は、エリたちが不快感を示すほど残酷で凶暴だ。相手の眼球を抉り出したり、脳天を地面に突き刺したりと、容赦が無い。

 そのアンチ・ヒーローぶりが顕著に現れるのが、クライマックスだ。エリたちが処刑されそうになっている場所へ、脱獄した男が現われる。その時、彼は惨殺した看守の生首をくわえ、不敵な笑みを浮かべている。
 男はジーストに襲い掛かるが、特殊なバリヤーで攻撃を防がれる。すると男は、以前にハヤカワが
 「革命のためなら命を捧げる覚悟だ」
 と言っていたことを思い出し、確認する。そして
 「だったら今、ここで命を捧げろ」
 と言い放ち、ハヤカワの体を掴んでバリヤーに叩き付ける。そうやって彼を犠牲にすることでバリヤーを突破し、ジーストにパンチを食らわせるのだ。

 そんな凶暴な男の額には「DOG」という刺青があり、処罰によって一文字ずつ彫られたという設定になっている。アメリカの三振法を思い浮かべた人もいるかもしれないが、それを参考にしたわけではない(当時のアメリカでは、まだ三振法は制定されていない)。
 アイデアの基になったのは、江戸時代の刑罰だ。全国的に行われていたわけではないが、罪人の頭に「犬」という刺青を彫る刑罰が存在した。罪を犯す度に一画ずつ彫っていき、五度目で死罪となるのだ。

 ずっと以前、雷次は頭に「犬」という刺青をされた罪人が描かれた絵を目にしたことがあり、強いインパクトを受けていた。その時から、いつか自分の映画で、そのキャラクターを大きな扱いで登場させたいと思っていた。
 それとは別に、雷次は独立した頃から、犬が付くタイトルを使いたいという気持ちを持っていた。それは田宮二郎が大映で主演した犬シリーズから来ている。雷次は、そのシリーズの『宿無し犬』『喧嘩犬』『ごろつき犬』といったネーミングが好きで、自分でも『何とか犬』という映画を作りたいと思ったのだ。
 その二つのアイデアが雷次の中で一つになり、「頭に犬の刺青をした男が暴れまくるチャンバラ映画」というイメージが出来上がった。しかし、その時点では、それが物語として膨らまなかった。そのため、ずっと放置された状態になっていた。

 そんなある日、雷次が家にいると、付けっ放しにしていたテレビから
 「カリガリの犬」
 という言葉が聞こえて来た。パッと視線を向けると画面には痩せた犬が写っており、
 「ガリガリの犬」
 の聞き間違いだったことが分かった。だが、雷次は「カリガリの犬」というフレーズを面白いと感じた。1920年に作られた『カリガリ博士』というドイツ映画があり、それを連想したのだ。そして、すぐに彼は「の」を抜いた『カリガリ犬』というタイトルを考え、前述したチャンバラ映画を思い浮かべた。だが、その二つは、頭の中で上手く組み合わさってくれない。

 すると突然、まるで天から降って来たかのように、彼の頭の中に「神狩り犬」という言葉が浮かんだ。その途端、雷次は声を出して
 「これだ!このタイトルだ!」
 と叫んだ。
 雷次は、是非とも『神狩り犬』という映画を作りたいと思った。しかし、そのタイトルと、「頭に犬の刺青をした男が暴れまくるチャンバラ映画」というアイデアは合わない。

 そこで雷次は、時代設定を現代に変更して、プロットを考え始めた。だが、現代社会で頭に犬の刺青を入れた男を登場させるのは、かなり無理があった。そこで、思い切って架空の世界を舞台にしたらどうかと思い付き、そこから「第三次世界大戦で荒廃したアメリカ」という設定に辿り着いたのだ。
 頭に犬の刺青をした男が暴れまくる時代劇のアイデアが、まさかSFアクションに化けようとは、雷次も全く想定していなかった。しかも、それは「ガリガリ」が「カリガリ」、そして「神狩り」に変化するという、ダジャレのような発想から生まれたものなのだ。

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