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『男はつらいよ 寅次郎恋歌』:1971、日本

 雨の降る四国の田舎町。あいにくの雨で商売が出来ないため、寅さんは坂東鶴八郎一座の芝居小屋へ出掛けた。しかし長雨で客が来ないため、昼の部は休演になっていた。
 寅さんは「明日はきっと気持ちのいい日本晴れだ。お互いにくよくよしねえでがんばりましょう」と座長を励まし、立ち去ろうとした。すると座長は一座の花形である娘・大空小百合を呼び、宿まで送るよう指示した。宿に到着した寅さんは、小百合に「座員の皆さんに一杯飲んでくれと渡してくれ」と金を渡した。

 買い物からとらやに戻って来たさくらが泣いているので、おいちゃんたちは何があったのかと尋ねる。さくらは、買い物をしていると八百満のおばさんが子供を「あんまり勉強しないと寅さんみたいになっちゃうよ」と叱っていたので、悲しくなったのだという。
 そこへ寅さんが戻って来たが、入りにくそうにしている。おいちゃんたちは、入りやすい雰囲気を作ってやろうと、タコ社長も巻き込んで過剰に明るく振る舞う。ところが、その嘘臭い歓迎を見て、寅さんは不機嫌になった。

 その夜、酒を飲んで戻った寅さんは、労務者2人を連れて来た。彼はさくらに、歌を歌えと怒鳴り散らす。さくらの歌う『母さん』を訊いていた寅さんは、酔いから醒めて立ち去った。
 博は母親が危篤だという電報を受け取り、さくらと共に故郷の岡山へ向かった。しかし実家に到着すると、既に母親は亡くなっていた。葬儀の日、焼香に現れた寅さんは、場違いな行動で博の親族を怒らせた。

 その夜、博の親族が集まって食事をしていると、長男の毅が「この家、どうしますか。僕の家に来ていただくとなると、この家は空家になるし」と言い出す。父は「ここで暮らすつもりだ」と口にした。みんなが母のことを語り始め、次男の修が「日本女性の鏡だった」と言う。
 父が「あれは欲望の少ない女だったな」と口にすると、毅は「お母さんは幸せだったのかもしれませんね」と漏らす。すると、それまで黙って聞いていた博が、「お母さんが幸せだったなんて、良くもそんなことが言えるな」と声を荒げた。

 さくらがとらやに戻ると、おいちゃんとおばちゃんは博の父に電話を掛けるよう勧めた。さくらが電話をすると、寅さんが出た。彼は商売の帰りに、博の父を慰めようとして泊まっているのだという。
 その夜、博の父は寅さんに、10年前に安曇野へ旅した時のことを語る。彼はリンドウの花が庭一杯に咲いている農家の前を通り掛かり、賑やかに食事をする家族の様子を目にした。その時、それが本当の人間の生活ではないかと考えて、涙が出て来たのだという。

 博の父が「人間は絶対に一人じゃ生きていけない。人間は人間の運命に逆らっちゃいかん。ここに早く気が付かないと、不幸な一生を送ることになる」と言うと、寅さんは「良く分かります」とうなずいた。翌朝早く、寅さんは手紙を残して立ち去った。
 一方、とらやには題経寺の横に喫茶店「ローク」を開業した女主人・六波羅貴子が挨拶に来た。貴子が去った後、おいちゃんは「寅がいなくて良かった」と安堵する。だが、その直後に寅さんが戻って来た。さくらたちは、寅さんと貴子を会わせないようにしようと焦った。

 その夜、寅さんは博の父から聞いた話を、さも自分の考えのように語った。だが、彼の言いたいことは、おいちゃんとおばちゃんには全く伝わらなかった。
 さくらに「つまり、結婚したいってこと?」と訊かれた寅さんは少し動揺しつつ、「堅気のお嬢さんを嫁にもらいてえ、なんて大それたこと考えちゃいねえよ。コブつきでもいいと俺は思ってるんだ。小学校3年生くらいの利口そうな男の子だったら都合がいいなあ」と語った。

 翌日、題経寺へ出掛けた寅さんは、学校を早びきした貴子の息子・学を見つけて声を掛けた。そこへ貴子が現れ、寅さんは彼女に見とれた。
 次の日、タコ社長を追い掛けた寅さんは、ロークで彼女と再会した。彼女が人妻だと思っている寅さんは、自分の感情を抑え込もうとして思い悩んだ。沈んだ気持ちになっていた寅さんだが、貴子が3年前に夫を亡くしていると知り、途端に元気になった。

 次の日、寅さんはロークに行く。頼まれて一緒に店へはいったさくらは、「兄は風来坊なんですよ」と貴子に語る。寅さんは元気の無い学に話し掛け、彼と同級生3人を連れ歩いて一緒に遊んだ。
 学が明るくなったので、貴子は寅さんに礼を述べた。調子に乗った寅さんは、軽い口調で、おいちゃんのことを悪く言う。おいちゃんは腹を立て、貴子が去った後で寅さんと激しい言い争いになった。

 翌日、博の父がとらやを訪れ、おいちゃんは博を呼び寄せた。そこへ現れた寅さんは嬉しそうに話し掛けるが、博の父の表情は硬かった。だが、寅さんのおかげで、博の父も博も笑顔になった。
 博の父を駅まで見送り、アパートに戻ったさくらは、博に封筒を見せる。それは博の父からの物で、中には数枚の一万円札が入っている。「満男に何か買ってやりなさい」と言って、買い物かごに入れたのだと彼女は博に説明する。「お父さん、本当は博さんと暮らしたいんじゃないの?一人暮らしは寂しいのよ」と、さくらは言った。

 またロークを訪れた寅さんは、貴子が店の保証金のことで困っていると知った。寅さんは中身の少ない財布を覗き込み、店を出て行った。貴子のために金を工面してやりたいと考えた彼はバイに励むが、思うようには稼げない。
 その夜、寅さんはリンドウの花を貴子に渡し、「困っていること、ございませんか?言ってください、どこかに気に要らない奴がいるんじゃないですか?」と話し掛けた。

 貴子は寅さんの優しさに触れ、「ありがとう。でも私一人の力で解決できると思うの。でも、寅さんの気持ち、嬉しいわ」と涙ながらに言う。貴子から旅暮らしについて訊かれた寅さんは、博の父から聞いた話に脚色を加え、自分の体験談として語った。すると貴子は、「羨ましいわ。私も一緒に付いて行きたいなあ」と風来坊生活への憧れを口にした。
 それを聞いた寅さんは、複雑な表情を浮かべた。貴子が電話をしている間に、寅さんは姿を消した…。

 原作 監督は山田洋次、脚本は山田洋次&朝間義隆、製作は島津清、企画は高島幸夫&小林俊一、撮影は高羽哲夫、美術は佐藤公信、録音は中村寛、調音は小尾幸魚、照明は内田喜夫、編集は石井巌、音楽は山本直純、主題歌は渥美清。

 出演は渥美清、倍賞千恵子、池内淳子(東宝)、森川信、笠智衆、志村喬、前田吟、梅野泰靖、穂積隆信、吉田義夫、三崎千恵子、太宰久雄、中沢祐喜(若草)、岡本茉莉、谷村昌彦、上野綾子、中村はやと、山本豊子、中村昇、志馬琢也、村上記代、秩父晴子、大杉侃二朗ら。

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 “男はつらいよ”シリーズの第8作。寅次郎役の渥美清、さくら役の倍賞千恵子、おいちゃん役の森川信、おばちゃん役の三崎千恵子、博役の前田吟、御前様役の笠智衆、タコ社長役の太宰久雄はレギュラー陣。
 源公役の佐藤蛾次郎は交通事故に遭ったため、シリーズで本作品のみ出演していない(ポスターには名前が載っている)。博の父役の志村喬は、第1作以来の登場。今回のマドンナ・貴子役は東宝の池内淳子。これまでの作品は全て90分前後の上映時間だったが、今回は一気に伸びて114分となった。

 おいちゃん役の森川信は、1972年3月26日に肝硬変で亡くなったため、これが最後の出演となった。花売りに隠れてロークへ向かう寅さんの姿を見たおいちゃんが呆れて「バカだねえ、全く」と言うシーンがあるが、その御馴染みの台詞も今回限りとなった。
 おいちゃんには「さくら、枕出してくれ」を間違えて「まくら、さくら出してくれ」と言う持ちギャグがあるが、今回は寅さんも言っている。

 今回の冒頭シーンでは、旅一座の座長役として吉田義夫が登場。次回以降、彼が登場する夢のシーンが定番となっていく。この冒頭シーンで小百合を演じている岡本茉莉は、この作品以降、山田組の常連になる。
 そんな小百合に寅さんは金を渡すが、彼女が去った後で「あらっ、間違えて五千円やっちゃった」と口にする。この「間違えて大金を渡してしまう」というのは、シリーズの定番ギャグだ。

 前述したように、今回は1作目に出ていた博の父が2度目の登場を果たしている。1作目では、結婚式のスピーチで寅さんを感涙させた人物だが、今回も含蓄のある長台詞を喋って寅さんの心を打つという見せ場が用意されている。
 それは、若い頃に旅をした時のことを語るシーン。リンドウの花が咲いた庭のある家に住む家族を見て、彼は「それが本当の人間の生活ってもんじゃないか」と思った。そのことを寅さんに語り、家庭を持つことの素晴らしさ、大切さを説く。

 そんな言葉に感銘を受けた寅さんは、とらやに戻って同じことを話す。ところが、おいちゃんたちには何が言いたいのか全く分からない。
 おばちゃんは「親子で晩御飯食べてるだけのことで、なんでそんなに感心するんだい?」と首をかしげ、おいちゃんは「どこでもやってるじゃないか、そのくらいのことは」と言う。それが人間にとって幸せな生活だという話が、この2人はピンと来ないのだ。

 なぜ理解できないか、感動しないかというと、おいちゃんとおばちゃんは、博の父が感動したような「平凡だけど幸せな家庭」を、普通に構築している夫婦だからだ。
 寅さんはフーテンで、しかも母親に捨てられている。「親子が揃って夕飯を食べる」という平凡な生活に憧れがある。だから感動したのだ。
 そして、そんなことを話した博の父は、家庭を顧みなかった人間だ。葬儀の時、彼は博の言葉を耳にして、自分の妻を大切にしなかったことを省みたのだろう。だから、そんなことを喋ったのだろう。

 博の父だけでなく、今回は博にも、「長いセリフで心を打つ」という見せ場が与えられている。観客の心を打つという意味では、そちらの方が印象的かもしれない。
 彼は「お母さんが世間並みの欲望が無かったなんて嘘です。小樽の小学校に行っている頃、お母さんは、私の娘からの夢は、大きな船に乗って外国へ行くことだったと。そして華やかな舞踏会で胸の開いたドレスを着てダンスを踊ることだったと。でも、父さんと結婚した時、そんな夢は諦めたのよって、笑いながら話してくれたことをよく覚えているんだ。お母さんだって、情熱的な恋がしたかったんだ。華やかな都会で暮らしてみたかったんだ。ただ、それを諦めていただけなんだ」と語る。

 そんな博を、毅は「母さんは息を引き取る前、もう何も思い残すことはないと言い残した」と言って諌める。すると博は涙声になり、「お母さんは死ぬ間際までみんなに嘘をついていたんだなあ。もし本気でそう思っていたとしたら、俺はお母さんがもっと可哀想だよ。そうじゃないか。お母さんみたいな一生を、父さんの女中みたいな寂しい一生を本気で幸せだと思い込んでいたなら、そんな可哀想なことってあるもんか」と激しい口調で言う。
 このシーンで、1作目で描かれた博の父に対するわだかまりが掘り下げられている。

 さて、前半で「家族を持って平凡に暮らす幸せ」を強く感じた寅さんは、後半、貴子に惚れてローク通いを始める。寅さんが言っていた「堅気のお嬢さんを嫁にもらいてえ、なんて大それたこと考えちゃいねえよ。コブつきでもいいと俺は思ってるんだ。小学校3年生くらいの利口そうな男の子だったら都合がいいなあ」という条件にピッタリだ。寅さんは、所帯を持つ相手として彼女を見ている。

 そんな寅さんは、元気の無かった学を連れて遊び回り、明るくしてやる。人の心を明るくすること、元気にすることは、寅さんの得意技だ。しかし一方で、どうにもならないこともある。
 貴子が金で困っていると知った寅さんは、財布を覗き込み、黙って店を出る。金銭的な問題は、少額ならともかく、多額になると、彼には何も出来ない。「気に要らない奴がいれば何とかしてあげますよ」という、渡世人としての言葉しか掛けることが出来ない。

 前作の寅さんは、実は失恋していない。前作のマドンナだった花子は知的障害者であり、寅さんは保護者として彼女に接していた。そして信頼できる別の保護者がいると知り、彼女から離れた。
 今回は、それとは全くケースが異なるが、しかし前作に引き続いて、寅さんがマドンナにフラれることの無いままで話が終わる。今回のマドンナである貴子には、恋人や結婚相手がいるわけではない。そして、彼女は「旅に付いて行きたい」と言い出す。しかし寅さんは、その言葉に喜ばず、自分から彼女の元を去るのだ。

 寅さんが貴子の言葉に喜ばず、何も言わずに去ったのは、「住む世界が違う」と感じたからだ。寅さんは彼女にリンドウの庭がある家族のことを語るが、それは彼にとって、「旅先で感じた平凡な家庭生活の素晴らしさ」を伝えるための話だ。
 ところが貴子にとって、それは旅の楽しさや素晴らしさを感じるものだった。寅さんが伝えたいことと、貴子が感じ取ることが、全く違っているのだ。

 貴子の「いいなあ、旅って」という感想は、内地の人間が「たまに沖縄へ遊びに行く」という感覚で「沖縄での生活はいいなあ」と憧れを抱くのと同じようなものだ。理想と現実の乖離を、彼女は知らない。
 現実を知っている寅さんは、「羨ましがられるもんじゃねえんですけどねえ」と切ない表情になる。寅さんは貴子を「平凡だが幸せな日常生活を一緒に送る相手」と見ているが、貴子にとって寅さんは「平凡な日常生活から連れ出して、非日常の楽しさを与えてくれそうな人」なのだ。

 寅さんは「リンドウのある家庭生活」に憧れているが、彼は頭のてっぺんから足のつま先までフーテンだ。彼は旅暮らしの悲哀や辛さを知っているが、そういう生活しかできないのだ。
 だが、この映画は、山田洋次監督は、寅さんのフーテン生活を「悲哀しか無い生き方」として全否定することは無い。ラスト、旅芸人一座と再会した寅さんは、嬉しそうな顔になる。そこが彼の居場所であり、そこに彼の生活がある。最後は明るく爽やかに終わらせている。

(観賞日:2011年5月16日)

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