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『やさしい嘘』:2003、フランス&ベルギー

 グルジアのトビリシ。老女のエカは娘のマリーナ、孫娘のアダと3人で暮らしている。エカは、マリーナの弟である息子のオタールから届く手紙を楽しみにしている。オタールはパリに出て、工事現場で働いている。
 アダは役所で手紙を受け取り、帰宅した。手紙には、わずかながら金も同封されていた。アダはエカに手紙を読み聞かせた。オタールは工事現場より安定した仕事先を探しているらしい。マリーナは手紙のことを知らされても、エタに嫌味を言うだけで、あまり興味を示さなかった。

 アダに足のマッサージをしてもらっていたエカは、オタールから電話が掛かると、すぐにベッドから立ち上がった。エカが嬉しそうに電話で話す様子を見ながら、マリーナはアダに「またアタシの告げ口をするつもりよ」と囁いた。
 ある日、エカが別荘に出掛けている時、オタールの友人のニコから電話が掛かってきた。オタールが工事現場で事故に遭い、重体だという。マリーナとアダは国の事務所へ赴いてオタールのことを尋ねるが、役人から「彼は亡くなった」と告げられた。

 別荘からエカが戻るが、マリーナとアダはオタールが死んだことを言い出せなかった。アダは「やっぱり話そうよ」と言うが、マリーナは「話しても、いいことは無い。母さんに悲しい思いをさせられない」と反対した。
 マリーナに言われ、アダはオタールの筆跡を真似て手紙を書いた。そしてオタールからだと嘘をつき、その内容をエカに読んで聞かせた。「工事現場を辞めて、ロシア料理店で働き始めた。就労ビザの問題も解決しそうだ。勤務時間が遅いから、もう電話は出来ない」と、アダは書いた。

 マリーナは恋人のテンギスに頼んで金を工面してもらい、それをオタールからの仕送りとして手紙に同封した。だが、それも難しくなり、「今度はオタールに、もうお金は送れないって書いてもらわないと」とアダに言う。アダは「それじゃあ叔父さんの立場が無いでしょ」と反発した。
 テンギスはマリーナに、エカの亡くなった夫が所有していたフランス語の蔵書を売るよう勧めた。しかしマリーナは「母さんが大切にしているから無理。こっそり売っても絶対にバレる」と言う。

 アダはフランス語を勉強しており、ある会社で来客の通訳を担当したが、安い賃金しか貰えなかった。アダは会社の製品を密かに盗み、その場を去った。アダはボーイフレンドのアレクシから、「知り合いの貨物船がイスタンブールに寄航する。それに乗り、そこからスイスへ向かう」という計画を聞かされた。
 アダは「私にも計画がある」と言うが、「仕事を見つけたから中止」と付け加えた。アダはオタールに成り済まして書く手紙の中に、自分のパリへの憧れを盛り込んだ。

 夜中にエカが心臓の発作で倒れ、マリーナとアダはテンギスの車で病院へ運んだ。入院費はテンギスに支払ってもらった。医者は、安静にしていれば数日で回復すると告げた。「万一の場合には、オタールのことを黙っていたのが正しかったことになるわね」と言うマリーナに、アダは「それはどうかな」と懐疑的な態度を示した。
 アダは見舞いを嫌がった。マリーナが「峠は越えたんだから大丈夫よ」と言っても、「あそこに一日いるなんて耐えられない」と告げ、病室へ行くことを拒絶した。

 エカは退院し、知人や友人が集まってパーティーを催した。その最中に電話が掛かると、エカは「オタールからよ」と喜ぶが、もちろんオタールからではない。
 ある日、ニコがオタールの荷物を持って、お悔やみに訪れた。慌ててアダは荷物を別の部屋に隠し、エカには何もないように装った。アダは話を取り繕い、ニコにはオタールが生きているように装ってもらった。

 マリーナとアダがテンギスと共に別荘へ行っている間に、エカはオタールへの手紙を書き、郵便局から送った。それから図書館や遊園地を巡り、一日を過ごした。
 マリーナは金を工面するため、別荘に置いてある物品を処分しようと考えた。アダは「幽霊と一緒に暮らすのもウンザリだけど、死人の物を取るのはもっと嫌」と反発し、オタールの物を元の場所に戻した。

 アダは「もう嘘をつくのは嫌」と、偽の手紙を送る作業から降りることを告げた。彼女はマリーナに、「ママは御機嫌取りをしたいだけ。叔父さんより少しだけ愛されたいだけ。もうウンザリ。ママは何を言っても聞こうとしないし、いつも自分が正しいと思っている。周囲を見下している」と苛立ちをぶつけた。だが、マリーナは「私、そんな酷いこと言った?」とピンと来ない。

 テンギスはアダに、「お母さんを責めるな。俺たちの世代は、みんな人生に失敗してる。君は僕たちとは違う人生を歩めばいい」と述べた。マリーナとアダが帰宅すると、フランス語の蔵書が無くなっていた。オタールに会いに行く旅行費用を作るため、エカが売り払ったのだ。彼女は自分の分だけでなく、マリーナとアダの切符も既に購入していた…。

 監督はジュリー・ベルトゥチェリ、脚本はジュリー・ベルトゥチェリ&ベルナール・レヌッチ、脚色はロジェ・ボーボ、製作はヤエル・フォギエル、製作総指揮はジャナ・サルドリシュヴィリ、撮影はクリストフ・ポロック、編集はエマニュエル・カストロ、美術はエマニュエル・ド・ショヴィニ、衣装はナタリー・ラウル。

 出演はエステル・ゴランタン、ニノ・ホマスリゼ、ディナーラ・ドルカーロワ、テムール・カランダーゼ、ルスダン・ボルクヴァーゼ、サシャ・サリシュヴィリ、ドゥタ・スヒルトラーゼ、アブダラ・ムンディー、ムジア・エリスタヴィ、ミーシャ・エリスタヴィ、ゾーラ・ナトロシヴィリ、アレクサンドル・マコラブリシヴィリ、ミカ・モードジリ、ジャック・フリューリー、フレデリック・パイエン、マノン・アバクジョゼ、マナナ・タララシヴィリ他。

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 2003年カンヌ映画祭の国際批評家週間大賞&黄金のリール大賞、2004年セザール賞の新人監督作品賞など数多くの賞を獲得した作品。
 監督は、これが長編映画デビューとなるジュリー・ベルトゥチェリ。
 エカを演じるのは、85歳で映画デビューした遅咲き中の遅咲き女優、エステル・ゴランタン。
 マリーナをニノ・ホマスリゼ、アダをディナーラ・ドルカーロワ、テンギスをテムール・カランダーゼ、マリーナの友人ルシコをルスダン・ボルクヴァーゼ、アレクシをサシャ・サリシュヴィリが演じている。

 冒頭、カフェのテーブルでエカがケーキを食べていると、隣に座っているマリーナが無言のまま、フォークでケーキを突いて口に運ぶ。エカがじっと凝視すると、マリーナは不貞腐れたような表情になって乱暴にフォークを置く。アダは我関せずといった感じで、遠くに視線をやりながらジュースを飲んでいる。
 この場面だけで、3人の関係性が何となく垣間見える。

 アダが役所を訪れると長い行列が出来ており、一人の婦人が「いつまで待たせるのよ」と怒鳴る。帰宅する途中、走ってきた車が衝突事故を起こす。
 これらのシーンによって、社会の秩序やシステムが安定していないことが窺える。その後も、エカの家が停電していたり、急にシャワーが止まったりと、社会環境が整っておらず、不安定な状況が続いていることが描かれる。

 エカはスターリンを「偉大だった」と称賛し、マリーナは「偉大だったわ、殺人者としてね」と皮肉っぽく言い、言い争いを止めるアダは「スターリンなんか、どうだっていい」と口にする。スターリンの捉え方に限らず、この女性たちは三者三様で、考え方が全く異なっている。
 社会主義ド真ん中だった世代のエカ、それが崩壊して資本主義への転換期を過ごしてきたマリーナ、社会主義時代が皮膚感覚では理解できないアダという世代の違いが、考えの違いに繋がっているのだろう。

 スターリンに関しては「どうだっていい」と言うアダだが、決して何に対しても冷めているわけではない。エカがオタールと電話で話す様子を微笑ましく見つめたり、マッサージをしてあげたりという優しさも持っている。アダはマリーナと笑いながら会話を交わすシーンがあるように、親子関係が悪いわけではないが、考え方の違いから反発する部分もある。
 マリーナは決して悪い人ではないのだが、がさつで、デリカシーに欠けている。エカに嫌味を言うこともあるが、嫌っているわけではない。ただ、エカがオタールのことばかり大事に思うので、ひねくれているだけだ。

 オタールの死を内緒にする時、マリーナは「母さんに悲しい思いをさせられない」と理由を述べる。だが、それは本心だろうか。終盤にアダが指摘するように、オタールよりも自分の方がエカに愛されたいという気持ちがあったのではなかろうか。
 オタールの死を告げることで、エカの中では彼の存在が神格化される。オタールが死んだら、もう絶対に勝つことは出来ない。エカはますます弟のことばかり考え、自分を見てくれないんじゃないかと、その不安が頭をもたげたのではなかろうか。

 糾弾するアダに対して、テンギスはマリーナを擁護する。マリーナの性格形成には、彼女が生きた時代の影響が色濃く出ていることを、テンギスが語っている。彼は「俺たちの世代は、みんな人生に失敗している。子供の頃から知らぬ間に嘘をつかれていた。それが幸せだと信じて成長してきた。お遊びは終わりだと言われた時には、もう手遅れだった」と告げる。
 彼は、自分たちの世代が、もう変われないことを悟っている。そして、もう諦めているのだろう。だから彼は、若いアダに自分の生き方をするよう促す。

 貧困や閉塞感、社会の混乱による生活基盤の不安定さは、どうしても気持ちをすさんだものにしてしまう。急にシャワーが止まって、マリーナが「こんな不便な国で暮らしていくなんて限界よ」と嘆くシーンがあるが、そういう感情が積もり積もっているのだ。
 だが、エカだけは、すさんだ気持ちになっていない。それは、オタールからの便りが心の拠り所になっているというのもあるだろうが、将来の不安が少ないということもあるのではないか。なんせ、そんなに余命は長くないはずだから。

 将来への不安が大きいのは、やはり若い世代ということになるだろう。つまり、3人の女性の中では、アダが痛切に感じている。地元で通訳の仕事をしても、ロクな賃金は貰えない。このままだと、夫が死んでから幽霊のように暮らしているマリーナのようになってしまうかもしれない。
 何かを変えなきゃいけないし、それは、この国でいる限り、難しい。だから彼女は計画を立てる。そして実行する。エカがパリへ行くことに彼女は賛成するが、そこには自分の希望も強く込められていたのではないだろうか。

 タイトルは『やさしい嘘』だが、この映画の中に、本当の意味で「やさしい嘘」など、あっただろうか。
 マリーナとアダがエカにつく嘘は、優しさではなく、マリーナの「自分の方が愛されたい」というエゴによるものだ。では、オタールの死を知ったエカがマリーナとアダにつく嘘は、優しいだろうか。一見、優しいようにも思える。しかし、ただ「オタールは見つからなかった」「会えなかった」というだけでなく、彼女は「オタールはアメリカへ行った」と言っている。

 そこまで言うと、それが嘘だとマリーナたちには分かってしまう。そのことは、彼女たちの心を抉るだろう。そう言われてしまうと、もう嘘を謝罪するチャンスも無くなる。ちゃんと謝罪した方が、心はスッキリするものだ。
 そのチャンスを消滅させたエカの嘘は、マリーナたちにとって、ひょっとすると痛い嘘かもしれない。それを監督が意図したかどうかは、分からないけれど。

(観賞日:2009年12月9日)

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