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『祇園の姉妹(きょうだい)』:1936、日本

 木綿問屋で家財道具の競りが行われている。主人・古沢新兵衛は番頭・定吉に「ホンマにすまん」と詫び、妻・おえみと一緒に故郷へ帰るつもりだと話した。おえみは赤ん坊の世話をしながら、「里の人の顔をみるのが今から頭痛の種や」と嘆く。
 古沢は「誰も損をしようと思ってやったんとちゃうやないか」と怒鳴った。おえみが「子供にまで肩身の狭い思いをさせるなんて」と泣くと、古沢は不愉快そうに「お前と一緒には国へ帰らへんで」と言い放ち、店を出て行った。

 古沢は祇園町の芸妓・梅吉の家を訪れた。梅吉は「ウチのモンで何か売れるモンがあったら何でも足しにしておくれやす」と言う。そこへ、梅吉の妹で同じく芸妓のおもちゃが起きてきた。古沢は「ここのモンにしてもろたんや」と言う。
 古沢が外出した後、おもちゃは梅吉に「古沢さん居候させるなんて、やめておくれやす。商売があかんようになろうが、そんなモンあてらの知ったことかいな」と冷たく言う。そんな妹に、梅吉は「義理というもんがあらしますやんか」と告げる。

 おもちゃは「もう秋になるのに着物の一枚も無い。家賃も何ヶ月も溜まってる。それに、姉さんの男はんに対する考え方が間違ごうてるから、あては言うてるのえ。大体、義理っちゃうもんが気に入らん。前に世話になったかって、それだけのことは返してる。ここらへ来るお客さんは、みんな金であてらを慰みもんにするために来はんのやないか」と、自身の考えを述べた。

 「今さら言うてもらわんでも分かってます」と反発する姉に、おもちゃは「ええ旦那はんが出来たら、取るもんは取っとくもんや。男はんいう男はんは憎い敵や。酷い目に遭わせたる」と言い、古沢と切れるよう要求した。だが、梅吉は「あんたみたいなこと言うてたら世間は渡れしまへんで。ちょっとでも世話になった人には、それだけのことをせなあかん」と反論した。

 おもちゃは芸妓・梅龍から声を掛けられ、呉服屋の番頭・木村が惚れていることを聞かされた。だが、相手が番頭と知って、おもちゃは「なんや、しょうもない」と冷淡に言う。彼女は扇屋の女将・お千代の元へ行く。来月の5日にお振れ舞があるので、そこに梅吉を出してほしいと頼んであったのだ。
 お千代は、梅吉の芸に問題は無いが、着物が良くないと言う。お千代は「着物の都合さえついたら、出てもらおうと思う」と告げた。その頃、梅吉は古沢のために着物や好物を買って帰宅していた。

 木村が扇屋に来たので、おもちゃは良い着物が無いかと尋ねた。値が張るという木村に、おもちゃは「あてにこしらえるつもりで姉さんに一枚こしらえてあげてえな」とねだった。
 「アンタがワシのこと思ってくれるんやったら一反ぐらい融通してやってもええけどやなあ」と言う木村に、おもちゃは甘い声で「惚れてるか惚れてへんか、そんなの女の様子で察するもんや」と告げる。おもちゃは惚れたようなフリをして、最も高額な53円の反物を強引に無料で融通させた。

 お振れ舞に出た梅吉は、骨董屋・聚楽堂が古沢に会いたいと言うので、家に連れ帰った。かつて古沢は、聚楽堂のお得意様だった。泥酔した聚楽堂は、古沢に「入札に行った。涙が零れた」と漏らす。
 小遣い30円を無心する古沢に、聚楽堂は「情けない、落ち目になりとうないわ」と嘆きながらも金を渡した。聚楽堂が眠り込んだので、おもちゃは家まで送ると申し出た。

 おもちゃは聚楽堂を家へ送らず、料亭へ連れ込んだ。目を覚ました聚楽堂に、おもちゃは「姉さんからアンタのことを何度も聞かされてる。あんな旦那はん持ったらどんなに幸せやろと、姉さん、なんべんも言うたはる」と嘘を吹き込んだ。
 さらに彼女は「今は古沢はんとは何でもない、昔の義理があるだけで世話してる。もう厄介モンやいうて、姉さん困ってはる。アンタはんさえ面倒みたる言うてくれたら、古沢はんもいづらくなって出ていきはるって言うたはる」と語った。

 聚楽堂は、古沢には昔の義理があるため、別れたら梅吉の旦那になることを考えてもいいと口にした。おもちゃは「ほんならウチが何とかする」と言い、手切れ金として100円を出させた。
 おもちゃが帰宅すると梅吉は不在だった。おもちゃは古沢に、居候が迷惑であることをやんわりと話す。彼女が50円を「国へ帰る駄賃にでもしておくれやす」と渡すと、古沢は家を出て行った。

 古沢は定吉と遭遇し、妻の元へ帰るよう促されるが、「そんなことほっときいな。今晩あるんや。散財しよ」と遊びに誘った。梅吉が帰宅したので、おもちゃは「古沢はん、急に思い出したように、行ってしまいはった。あては何も言わへんで」と言う。聚楽堂の元を訪れたおもちゃは、「あっさりと古沢が出て行った、姉はアンタと一緒になれると喜んでいる」と告げる。

 木村は店の主人・工藤三五郎に金の不足を気付かれ、「どこぞの芸者に持ち掛けられて着物でもこしらえたったんやろ」と指摘された。工藤は「一緒になれるような相手やったら、仲人でもしたる」と言い、相手の名前を吐かせた。
 木村はおもちゃの家に駆け込んで事情を説明し、「クビになるかもしれへん。ウチの大将が来たら誤魔化しといてえな」と頼んだ。おもちゃは「嫌やわあ、今さら持ってきたって、かなんわ」と、完全に他人事のような態度を取った。

 工藤がおもちゃの元を訪れ、木村に持ち掛けて反物を無料で手に入れたことを追及した。すると、おもちゃは「あては、そんなことしてよろしいんどすか、お店しくじるようなことにならしまへんかとまで言うたのに、心配はいらん、ワシの金で買うのやと言わはりましたから買いましたんや」と、平然とした態度で嘘をついた。
 だが、工藤は「あいつは硬い奴だ」と、その話を信じない。「たかが反物一つで女の弱みに付け込むような人が、固い真面目なお方はんでっしゃろか」と、おもちゃは反発した。

 おもちゃは、今度は工藤を誘惑し、「いっそのこと、アンタはんのお世話になれたらどんなに幸せやろ」と色目を使った。店に戻った工藤は、木村に「あんな芸妓やったら、他に幾らでもおるやないか。今度だけ大目に見る。これからお茶屋参りはワシがやる。あんな女に近付いたらあかんで」と注意するが、妻・おまさには、おもちゃに上手く丸め込まれたことを見抜かれていた。

 おもちゃは工藤に買ってもらった洋服を梅吉に見せ付け、「ちゃんと商売したらこんなもんや」と得意げに言う。聚楽堂が家に来たので、彼女は席を外し、梅吉と2人きりにさせた。
 おもちゃの元へ行こうとしていた木村は、弥栄下にある定吉のお茶屋で世話になっている古沢と遭遇した。梅吉の家に現れた木村は、そのことを彼女に告げた。梅吉は家を飛び出し、古沢の元へ向かった。

 おもちゃは工藤と洋食屋へ出掛け、家に戻ってきた。待ち受けていた木村は、工藤に「ワシを叱っといてこのザマはなんどすねん」と反発を示す。工藤は「主人に向かってなんちゅうこと言うのや。暇を出したる」とクビを宣告し、おもちゃは「あての旦那はんどす」と高飛車に言い放つ。
 「芸妓どっせ、ホンマのことばっかり言うてたら商売になりまへんからな。時には嘘もつきますわ。反物一反やそこらで色男ぶってからに、しょうもない」と突き放す彼女に、木村は「覚えてえよ、わしかて男や」と怒りを露に立ち去った。

 梅吉は古沢と話をして、おもちゃが嘘を吹き込んだことを知った。「いっそのこと、ここへおいでえや」と古沢に誘われ、梅吉は「あてもな、そんなことする妹と一緒にいるの、嫌ですわ」と言う。
 木村はおまさに電話を掛け、おもちゃと工藤の関係をぶちまけた。帰宅した工藤は、おまさに責め立てられる。家に戻った梅吉は、おもちゃに「あてはこの家出ていくさかいな」と告げて立ち去った。

 おもちゃは工藤の使いだという運転手・立花の車に乗せられるが、そこには木村が同乗していた。木村は「今夜はあんたにじっくり恨み言うつもりや。たんとお礼がしたいわ」と不敵に笑う。梅吉は店の使いからおもちゃが大怪我を負ったと知らされ、慌てて病院へ向かう。
 おもちゃは車から振り落とされ、重傷を負っていた。姉から男への扱いをたしなめられても、おもちゃは「誰が男に負けるもんか」と強気に言い放つ。身の周りの物を取りに戻った梅吉は、古沢が工場の支配人になるため帰郷したことを知った…。

 原作 監督は溝口健二、脚色は依田義賢、撮影は三木稔、録音は加瀬久。

 出演は山田五十鈴、梅村蓉子、志賀廼家弁慶、久野和子、大倉文男、深見泰三、進藤英太郎、いわま桜子、林家染之助、葵令子、滝沢静子、橘光造、三桝源女ら。

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 溝口健二監督が大東亜戦争より前に撮った白黒映画。脚色は『浪華悲歌』に続いて依田義賢が担当。
 ヒロイン・おもちゃを演じるのも、『浪華悲歌』に引き続いて山田五十鈴。梅吉を梅村蓉子、古沢を志賀廼家弁慶、おえみを久野和子、聚楽堂を大倉文男、木村を深見泰三、工藤を進藤英太郎、おまさをいわま桜子、定吉を林家染之助、梅龍を葵令子が演じている。

 祇園の芸者が総じて愛人のようなことをしていたのかというと、そうではない。京都の花街として有名なのは祇園甲部だが、この映画で描かれているのは乙部だ(現在は祇園東と名称が変更されている)。
 簡単に言うと、ステータスの高い客が行くのは甲部で、それより格下として切り離されていたのが乙部だ。その頃の乙部には、大勢の娼妓(金で体を売る芸妓)がいたのだ。
 ただ、祇園に詳しくないと、この映画を見ただけでは違いが分かりにくい。公開当時も、甲部の芸者からは不評を買ったらしい。

 木綿問屋の家財道具の競りが行われる様子から、そのままカメラがスーッと横に流れていくというのは、横溝監督らしいカメラワークと言っていいだろう。
 その後に古沢と妻、そして定吉が登場するが、最初にヒロインを登場させず、脇役の男がまず登場し、第三者を交えて彼の夫婦仲が良くないことを描写するというのは、前作の『浪華悲歌』と全く同じ入り方だ。

 『浪華悲歌』と同じく、登場する男どもは、情けない奴、卑怯な奴など、ロクでもない連中が揃っている。
 古沢は店を潰しておいて、妻に責められると逆ギレする。貧乏芸妓である梅吉の家に居候を決め込み、おもちゃから手切れ金を受け取ると、すぐに散財する。自分もお茶屋の居候のくせに、平気で「ここへおいで」と梅吉を誘い、故郷で工場の仕事が決まると、彼女を捨てて去る。
 聚楽堂はおもちゃに騙される愚かな男で、木村は騙された復讐として大怪我を負わせるロクデナシ。そんな木村に協力する立花も、やはりロクデナシだ。工藤は木村を叱り付けておきながら、自分がホイホイとおもちゃに乗せられて旦那になってしまうバカ男だ。

 ヒロインも前作と同様、突っ張って生きる生意気な娘で、簡単に同情を寄せることを遠ざけるようなキャラクター造形になっている。
 前作では、それでも「家族のために自己犠牲を支払う」という要素が盛り込まれていた分、いじらしさがあった。今回は、「貧しい家庭」というエキスキューズはあるものの、自分は何も犠牲を払わずに、男を憎んで敵視し、徹底的に利用したり搾取したりしてやろうということだから、おもちゃは悪女と言ってもいいだろう。

 前作のヒロインと同じく、今回のおもちゃも口が悪く、すぐに冷淡な態度が出る。例えば木村に着物をねだる時も、「アンタの旦那はんに頼んだらええがな」と言われると、途端に「あったらアンタみたいに人に頼まへんわ。その人にたんと買うてもらうわ」と冷たい言葉を口にする。
 その強気な性格、どう考えても芸妓には不向きに思えるが、それでも色香で男を惑わし、騙していく。

 ただ、おもちゃがドップリと芸妓の生き方に浸かっているわけではない、というのは確かだ。花柳界というのは義理を重んじる世界であり、馴染み客に恩を受けたら返すのは当たり前だ。だから根っからの芸妓である梅吉は、かつて世話になった古沢の面倒を見る。
 ところが、おもちゃには、そのように義理を重んじる感覚が全く理解できない。彼女は花柳界におけるアプレゲールなのだ。

 おもちゃに言わせれば、自分たちを金で買って慰みものにする男どもは憎むべき敵であり、そんな奴らから搾取することには何の罪悪感も抱かない。それに、芸妓が客をに嘘をつくのは当たり前であって、騙されたからといって怒るのは御門違いだと思っている。
 そこには、ある種の正論も含まれているが、それは男たちに通用する論理ではない。だから、手痛いしっぺ返しを受けることになる。最後に病室のベッドの上で、「なんであてらをこんなにイジメなはんのやろ。なんで芸妓みたいな商売が世の中にあんのやろ。こんなもん間違うたもんや。こんなもん無かったらええねん。こんなもん無かったらええねん」と嘆きと怒りを吐露することになる。

 しかし、男を騙して搾取していたおもちゃが痛い目に遭うのは仕方の無い部分があるとしても、では甲斐甲斐しく古沢の面倒を見て、純真な愛に生きようとした梅吉は幸せを掴んだかというと、彼女もまた、古沢に捨てられるという悲劇を味わっている。
 結局、古い考え方の女も、革新的な考え方の女も、搾取しようとする女も、恩を大事にする女も、どちらも男に利用され、捨てられ、打ちのめされてしまう。どんな女に対しても、男は「絶対に超えられない高い壁」として立ちはだかっているのである。

 前作『浪華悲歌』と同様に、男の情けなさや卑劣さを描いているようで、実は「どうしようもなくロクでもない男どもであっても、女は超えられないんだよ」という、女に対する非情さに満ち溢れている作品だ。
 溝口監督は、打ちのめされる女に対して同情は寄せていない。「所詮、どんなに強がっても、頑張っても、女は男には勝てないんだぜ」という冷徹な視線を向けている。

(観賞日:2010年3月15日)

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