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『ミニヴァー夫人』:1942、アメリカ

 これは1939年夏から始まる、イギリスの中流一家の物語である。街へ出て買い物を終えたケイ・ミニヴァー夫人はバスに乗り込むが、あることが気になって下車した。彼女は帽子店へ戻り、気になっていた帽子を購入した。
 汽車に乗ったミニヴァー夫人は、ヴィカー牧師と遭遇した。ミニヴァー夫人は収入を考えず贅沢をしている浪費家だと自覚しているが、どうしても止められない。牧師は高価な葉巻を買ったことを明かし、「自分もやましい気持ちになる時がある」と述べた。

 レディー・ベルドンが乗って来て「近頃は買い物も一苦労よ。身分不相応の買い物をする中産階級の女性たちが大勢。この国は変よ」と口にしたので、ミニヴァー夫人は「私のことね」と漏らした。彼女が駅に着くと、駅長のバラードが「見て頂きたい物が。特別な物です」と言う。
 ミニヴァー夫人が駅長室へ行くと、彼は自分が作った美しいバラを見せた。バラードはいつも自分に声を掛けてくれるミニヴァー夫人への感謝を述べ、その名をバラに付けたと明かす。ミニヴァー夫人は笑顔を浮かべ、「とても光栄だわ」と喜んだ。

 ミニヴァー夫人の夫で建築家のクレムは、バイヤーに車を見せてもらった。予算オーバーの車だったが、気に入った彼は購入を決めた。彼が帰宅すると、長女のジュディーはピアノの稽古中で、次男のトビーは猫の世話をしていた。夕食の時、家政婦のグラディスが「駐屯地へ行ってもいいですか」と尋ねると、ミニヴァー夫人は「ホレスによろしくね」と述べた。
 夕食後、夫婦は高価な買い物について話そうとするが、なかなか切り出せない。先に告白したのはクレムで、それからミニヴァー夫人が打ち明けた。しかし2人とも、相手の買い物を責めることは無かった。ミニヴァー夫人は幸せを感じながら、眠りに就いた。

 翌日、大学から長男のヴィンが帰郷するため、ミニヴァー夫人は家族で駅まで迎えに行く。ヴィンは口髭を剃り落としており、「この1年で考え方が変わった。自分の無知を知ったよ」と述べた。
 家に着いた彼は、中世の封建社会について語る。レディー・ベルドンの孫娘であるキャロルが来たことをグラディスが知らせると、彼は「レディー・ベルドンは封建社会の生き証人だ。この村の住人は彼女の支配下に置かれてる」と述べた。

 キャロルはミニヴァー夫人に、バラードがバラを品評会の「ベルドン杯」に出品することを話す。今までは誰も出品しないのが暗黙の了解であり、だからレディー・ベルドンが常に1等だった。キャロルはミニヴァー夫人に、「バラは祖母の生き甲斐なので、バラードに出品を取り消すよう頼んでほしい」と告げる。
 ヴィンが「封建社会だ」と指摘すると、彼女は「それが正しくないと思うなら、直すために何かしてるの?私は休日に奉仕活動を」と述べた。ヴィンが「金持ちの道楽だ」と言うと、キャロルは反論した。

 ヴィンがキャロルを批判して去った後、ミニヴァー夫人とクレムが謝罪した。キャロルは「筋違いなお願いでしたわ。彼が正しいんです」と自分の非を認めた。その夜、ミニヴァー夫人とクレムは舞踏会へ行くが、ヴィンは同行しなかった。
 キャロルが「昼間のことを謝ろうと思っていたのに」と言うと、給仕が「船着き場で待っています」と書かれたヴィンのメモを持って来た。キャロルが船着き場へ出向くと、ヴィンは「表現が乱暴だった。許してほしい」と詫びた。

 キャロルは「私こそ生意気なことを」と言い、ヴィンと共に会場へ戻って踊った。ヴィンが「ずっと君を見てた。また会えないかな」と言うと、キャロルは「スコットランドへ9月半ばまで行くの」と述べた。ヴィンは彼女に、手紙を書くと約束した。
 時勢を考えて、品評会は延期になった。キャロルは予定より1週間早く戻り、教会の礼拝に姿を見せた。牧師は教会へ来た人々に「首相がイギリスの参戦を発表した」と教え、礼拝を打ち切った。

 ミニヴァー夫人たちが帰宅すると、料理人のエイダが「ホレスが招集されて今夜に出発するので、グラディスが泣いてしまって」と告げる。グラディスの恋人であるホレスは、出発する前の挨拶にやって来た。
 彼が「前線で再会を」と言って酒を飲むと、ヴィンは「空軍に志願する。パイロットになる」と打ち明けた。ホレスが去った後、ヴィンはキャロルが心配で様子を見に出掛ける。ミニヴァー夫人はクレムに、「空軍には早すぎるわ」と話す。

 ヴィンはベルドン邸へ行き、キャロルと会う。手紙を書いたのに返事が無かったことを彼が話すと、キャロルは「貴方のは一時の熱病だと思うの。会うのは今日が3度目よ。貴方を良く知らないし」と告げる。
 しかしヴィンが「それなら僕がいる間、毎日会えばいい」と提案すると、彼女は笑顔で「そうね」と承諾した。ヴィンがキスすると、キャロルは受け入れた。そこにレディー・ベルドンが来たので、キャロルはヴィンを紹介した。

 ベルドンはミニヴァーの名を聞くと、「品評会のバラは由緒ある名前が伝統なのに、平民の名前とは」と露骨に差別意識を示す。「彼には関係ないわ」とキャロルが言っても、ベルドンは「戦争になると平民が大きな顔をして」て嫌悪感を表す。
 空襲警報が鳴り響くと、ヴィンはベルドンに「執事を呼んで、召使いを地下へ避難させて」と指示した。警防団のフォーリーはミニヴァー邸から明かりが漏れているのに気付き、クレムに教えた。地下室の窓から明かりが漏れていたため、フォーリーは布で隠した。

 イギリスの参戦から8ヶ月が経過した頃、ドイツの戦闘機が森へ墜落した。クレムはパトロール班の一員としてドイツ兵の飛行士を捜索するが、見つからないまま集合場所である酒場へ戻った。
 そこへヴィンが現れ、近くのベルハム航空隊に配属されたこと、少尉に昇進したこと、成績優秀で1週間の休暇を貰ったことを話す。ヴィンがクレムと共に帰宅すると、連絡を受けたキャロルが来ていた。みんなで食事を取る中、グラディスは空軍婦人部隊に志願してホレスと同じ任地へ行くことを語った。

 ヴィンはトビーから「お兄ちゃんたちは結婚するの?」と質問され、「プロポーズする勇気が無いんだ」と告げる。キャロルはトビーに同じ質問をしてもらい、「彼が望めば」と答えた。するとヴィンは立ち上がってプロポーズし、キャロルは笑顔で快諾した。
 2人がキスを交わした直後、ヴィンに出頭命令の電話が入った。彼はクレムの車で、飛行場まで送ってもらう。夜になり、戦闘機部隊が飛び去る様子を見上げたミニヴァー夫人は、そこにヴィンがいることを確信した。

 深夜、クレムは電話でパトロール班の招集を受け、酒場へ赴いた。彼と仲間たちは、40メートル級の船を集めてテムズゲートまで運ぶ仕事を命じられた。クレムたちがテムズゲートへ行くと、海軍の軍艦が停泊していた。
 「海岸で大勢の兵士が行く手を塞がれ、砲弾を浴びている。ダンケルクへ救出へ向かう」という説明で海軍が志願者を募ると、誰一人として拒否しなかった。クレムと仲間たちは、イギリス軍を救出するためにダンケルクへ向かった。

 クレムとヴィンが去ってから5日が過ぎ、何の連絡も無いまま2人が戻らないのでミニヴァー夫人は不安を募らせる。バラードは彼女の元へ来て、「品評会を開催するそうです。戦争もレディー・ベルドンは止められない」と述べた。「貴方のバラが一等よ」とミニヴァー夫人は言い、バラードと別れた。
 茂みに倒れているドイツ兵に気付いたミニヴァー夫人は、慌てて逃げ出した。ドイツ兵は銃を構え、彼女を家まで追い掛けて来た。ドイツ兵はミニヴァー夫人を脅し、食べ物とミルクを要求した。しかしドイツ兵が気を失って倒れたため、その間にミニヴァー夫人は電話を掛けて警察を呼んだ…。

 監督はウィリアム・ワイラー、原作はジャン・ストラッサー、脚本はアーサー・ウィンペリス&ジョージ・フローシェル&ジェームズ・ヒルトン&クローディン・ウェスト、製作はシドニー・フランクリン&ウィリアム・ワイラー、撮影はジョセフ・ルッテンバーグ、編集はハロルド・F・クレス、美術はセドリック・ギボンズ、衣装はカロック、音楽はハーバート・ストサート、主題歌はジーン・ロックハート。

 出演はグリア・ガーソン、ウォルター・ピジョン、テレサ・ライト、デイム・メイ・ウィッティー、レジナルド・オーウェン、ヘンリー・トラヴァース、リチャード・ネイ、ヘンリー・ウィルコクソン、クリストファー・セヴァーン、ブレンダ・フォーブス、クレア・サンダース、マリー・デ・ベッカー、ヘルムート・ダンティーネ、ジョン・アボット、コニー・レオン、リス・ウィリアムズ他。

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 『黒蘭の女』『嵐ケ丘』のウィリアム・ワイラーが監督を務めた作品。原作はジャン・ストラーサーのエッセイ集であり、映画は数名の登場人物を拝借しているだけで内容は大きく異なっている。
 脚本は『間諜』『スパイは暗躍する』のアーサー・ウィンペリス、『哀愁』『死の嵐』のジョージ・フローシェル、『失われた地平線』『チップス先生さようなら』のベストセラー作家であるジェームズ・ヒルトン、『白い蘭』『マリー・アントアネットの生涯』のクローディン・ウェストによる共同。

 ミニヴァー夫人をグリア・ガーソン、クレムをウォルター・ピジョン、キャロルをテレサ・ライト、ベルドン夫人をデイム・メイ・ウィッティー、フォーリーをレジナルド・オーウェン、バラードをヘンリー・トラヴァース、ヴィンをリチャード・ネイ、ヴィカーをヘンリー・ウィルコクソンが演じている。
 アカデミー賞の作品賞、主演女優賞、助演女優賞、監督賞、脚色賞、撮影賞(白黒映画)にノミネートされ、全部門を獲得した。ちなみに、グリア・ガーソンは息子役だったリチャード・ネイと本作品の翌年に結婚したが、わずか4年で離婚に至っている。

 これはMGMが第二次世界大戦中に製作した戦意高揚映画である。アメリカ映画ではあるが、イギリスに向けた戦意高揚映画にもなっている。アメリカ映画にも関わらず、イギリスの中流一家を描いているのが重要なポイントだ。
 この映画には、第二次世界大戦に参戦したイギリスに対して「アメリカはドイツと戦う仲間として貴方たちを応援しています」という意味が込められているのだ。中産階級にしてあるのは、映画館を訪れる一番の観客層であり、この作品を最も効果的にアピールできるという意味もあったのだろう。

 映画が始まった時点で、「既に戦争が勃発しそうな気配は感じられる」という状態になっている。まだイギリスは参戦していないので、「ほぼ他人事」という状況ではあるのだが、戦争を匂わせるような台詞は幾つか登場する。
 例えば汽車で遭遇した牧師とミニヴァー夫人は、「非常時になれば私の出番だ」「非常時になると?」という会話を交わす。ヴィンはキャロルに、「ダンスは好きだけど、やめたんだ。浮かれてる場合じゃないだろ」と話す。バラードは鐘突き仲間のフレッドから、「敵はポーランドに侵攻したな。戦争となれば、バラなんて作ってる暇は無くなる」と言われる。

 しかし登場する面々はほとんど戦争の影響を受けることも無く、しばらくは平穏な暮らしぶりが描かれる。序盤はミニヴァー夫人とクレムの浪費癖が示されているが、それは2人の大きなマイナス面として描かれているわけではない。中産階級なので、ある程度の贅沢であれば全く生活に響かないってことだ。
 ただし戦争が始まると、そんなことは許されなくなる。イギリスが参戦すると、配給で物資を貰うような状況になるからだ。

 レディー・ベルドンという老女を使って、階級差別の意識が提示されている。しかし戦争が始まってしまえば、そんな物は全く無意味と化す。平和な世の中だからこそ、ベルドンによる支配は成立する。もっと飛び抜けた身分になれば、そのことが戦時中でも大きな意味を持つことはあるだろう。しかし所詮は小さな村におけるヒエラルキーに過ぎないので、そんな物は無効化される。
 レディー・ベルドンがキャロルとヴィンの結婚を許すのも、「戦時中だから」ということが大きく影響している。それは「階級が戦争によって無効化される」ということではなく、本人の気持ちが戦争によって影響されるということだ。

 映画が始まってから35分ほど経過すると、いよいよイギリスが参戦する。これによって、ついにミニヴァー夫人たちも「身近な問題」として真剣に戦争を捉えねばならない状況に置かれる。
 参戦をきっかけにして、ミニヴァー夫人を取り巻く環境は急激に変化する。ホレスとヴィンが出征し、グラディスは空軍婦人部隊に参加する。空襲警報が鳴り響き、住民は地下への避難を余儀なくされる。警防団が結成され、窓から明かりが漏れることに神経を使う。

 ドイツ兵が墜落し、パトロール班が捜索に出る。イギリス軍が危機に見舞われると、兵士ではないクレムたちが船で救助に向かう。ヴィンは戦闘機で出撃し、ミニヴァー夫人はドイツ兵と遭遇して脅される。
 戦地のシーンは全く出て来ないが、戦争が行われていることは明確に伝わってくる。「戦場」を見せずに「戦争」を表現するという、いわゆる「ホームフロント」を描いた映画である。本作品は、そういうタイプの映画が多く作られるようになったきっかけとも言われている。

 ミニヴァー夫人はドイツ兵に対して警察に電話したことを教えた後、穏やかな態度で汗を拭いてやりながら、「病院で手当ても受けられる。もう安全よ。戦争も終わるわ」と告げる。それに対してドイツ兵は、「そうさ、ドイツの勝利で終わる。俺はここで終わるが、大勢の仲間がやって来るぞ。イギリスに爆弾を落としにな。バルセロナやワルシャワ、セルヴィクのように。ロッテルダムは2時間で壊滅させてやった」と言い放つ。
 「罪の無い市民を」とミニヴァー夫人が責めると、彼は「ドイツに抵抗した」と言う。「子供たちも?」という問い掛けには答えず、「2時間で3万人を殺した。この街でも同じことをする」と凄んで怯えさせる。何しろ戦意高揚映画なので、ドイツ兵は徹底的に残忍で卑劣な人間として描かれている。

 クレムもヴィンも戦地から無事に帰還し、ヴィンとキャロルは結婚する。品評会が開かれると、レディー・ベルドンはバラードのバラを一等として発表する。穏やかで平和な時間が、久々に戻って来るのかと思わせる。
 しかし戦時中なので、そんな時間は長く続かない。敵の大編隊が上空を通過するという知らせが入り、品評会に集まった人々は避難を余儀なくされる。それまで主要キャストは全員が無事だったが、とうとう死者が出てしまう。完全ネタバレだが、キャロルが空襲によって命を落とすのだ。
 幸せな結末が訪れず、しかも戦地へ赴いたクレムやヴィンではなくキャロルが犠牲になるのは、「戦地へ行かない女性でさえも犠牲になることがある。だからこそ、みんなで敵と戦う意識を持ちましょう」というメッセージを発信する意味がある。

 映画の最後は、空襲で犠牲になった街の人々を弔う葬儀が教会で執り行われるシーンだ。ヴィカー牧師は参列者に、「兵士でもない彼らが、なぜ犠牲になったのか。それは、この戦争が兵士だけのものではなく、万人の戦いだからです。戦いは戦場だけでなく、街にもあります。自由を愛する万人の心にあります。彼らの死は、我々に固い決意を促します。自由を守るという決意を。敵の暴虐に屈しないという決意を。これは人民の戦いです。我々の戦いであり、我々が戦士なのです。力の限り、戦うのです」と語る。
 その説法は、映画を見た当時のアメリカやイギリスの人々に対する、ストレートなメッセージである。

(観賞日:2017年7月7日)

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