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『警察日記』:1955、日本

 会津磐梯山の麓。花嫁衣装に身を包んだ花江が、親族と共にバスへと乗り込んだ。花江が金持ちの息子である桂太郎の元へ嫁ぐので、父は上機嫌だ。しばらくバスが進むと、花江の嫁入り道具を運ぶ岩太の馬車が見えてきた。岩太は花江の隣人で、2人は結婚するはずだったが、桂太に取られてしまったのだ。
 岩太は荷物を運んだ桂太郎の家で酒を振る舞われ、泥酔した。彼が道で寝転んでいると、自転車で通り掛かった男が仏像を落として走り去った。眠り込んだ岩太は、しばらくして通り掛かった花川巡査に起こされた。岩太が仏像を抱いていたので、花川は寺社荒らしの容疑で彼を連行する。

 横宮町の警察署では、倉持巡査が万引きで捕まった常習犯の桃代を取り調べていた。そこに岩太が連行され、潔白を主張する。花江が桂太郎と結婚したと知り、かつて岩太に好意を寄せていた桃代は「だったらアンタのこと、諦めんじゃなかったのになあ」と漏らす。
 岩太は馬のことを思い出し、盗まれたのだと考えて大いに焦った。しかし馬は盗まれたわけではなく、彼の父親の元へ帰っていた。

 火事が発生して半鐘が鳴り響き、警察署の隣にある消防署から消防車が出動する。しかし車がオンボロなので、何度も停まってしまった。
 駅前では、村田老人が人々に向かって「空襲警報、解除」と言い回っている。そこへ少女・ユキ子と赤ん坊の弟・茂、それに農家の娘・アヤを連れた吉井巡査が通り掛かる。吉井は村田に声を掛け、「空襲警報解除は、もうみんな分かっておるそうです」と告げる。

 村田の質問を受けた吉井は、ユキ子と茂が捨て子であることを説明した。アヤは身売りされそうになっていたのだが、「愛知県の紡績工場へ働きに行くと言うんですが」と述べた。
 村田と別れた後、吉井はアヤに「小学校の校長先生だったんじゃが、男の子を5人とも戦争で亡くしてしまってから、頭少しおかしくなってるんだ」と教えた。村田は「敵機だ。空襲警報」と叫ぶが、それはカラスだった。

 吉井は幼い姉弟とアヤを警察署へ連れて行く。赤沼主任がアヤの聴取を担当する。彼女はモグリの周旋屋・杉田モヨの世話で出掛けようとしていた。モヨは恵まれた労働条件を吹き込んでいたが、もちろん真っ赤な嘘だった。
 赤沼は今までに何度もモヨを呼び出して注意しているが、一向に足を洗おうとしていない。石割署長が警察署に戻り、酒屋の次男坊だった丸尾通産大臣が帰郷するという情報を明かす。役場では大騒ぎになっているという。

 アヤの母親は病気で寝ているというので、赤沼は花川に彼女を家まで送り届けるよう頼んだ。村に戻って来たアヤと花川を目撃したモヨは、急いでアヤの母・タツの元へ先回りする。
 アヤは「このままけえっても、どうにもしようがねえです。工場さ行かねば支度金は返さねばなんねえ。借金やお医者さんの支払いに使ってしまって一銭も残ってねえです」と花川に語る。嫁に行けば借金を全て払ってくれるという人もいるが、それは嫌なのだという。花川も「嫌な奴と結婚なんかしたら、絶対にいけねえ」と告げる。

 家に到着すると、弱っている様子のタツは花川に「もう決して娘を年季奉公なんかさせねえから。俺の病気さえ治れば、娘と一緒に働いて食うぐれえ何とかなります」と言う。「まさか、この人が嫌がる所へ嫁入りさすとじゃねえべや?」と花川が心配すると、タツは「本人が嫌だというもの、やるわけにいかねえです」と述べた。花川は安心し、その場を後にした。
 モヨはタツの元へ来て、「上手くいったでねえか」と笑う。モヨがタツに病気の芝居をさせて、口から出まかせを言わせていたのだ。モヨとタツは花川を馬鹿にして笑い、「あんな若造に貧乏な百姓の気持ちが分かるか」と同調する。

 吉井はユキ子と茂の引き取り手を見つけるため、町役場、孤児収容所、保健所、民生保護相談所を回るが、どこでも預かってもらえない。そんな中、事情を知った割烹旅館「掬水亭」の内儀・ヒデが、一日だけなら赤ん坊を預かってもいいと申し出てくれた。
 そこで吉井は、ユキ子を自分の家へ連れ帰ることにした。帰宅すると、ちょうど妻が出産したところだった。それで吉井の子供は5人目だ。吉井から赤ん坊を見せられたユキ子は、「茂……」と漏らして一粒の涙をこぼした。

 町を歩いていた倉持は、雑貨店の主人・緑川から「万引きだ」と告げる。赤ん坊を背負い、息子・竹雄の手を引いた女・セイが店から出て来た。倉持がセイを呼び止めて鞄を調べると、店の商品が入っていた。警察署では、石割が花川を剣道の相手に誘う。赤沼は寺社荒らしの犯人を取り調べている。
 倉持がセイを連れて戻り、事情を訊く。セイは亭主が2週間前に失踪し、連れている他にも2人の子供がいるという。亭主を捜しに来て、ついて子供の物を万引きしてしまったのだという。軽微な犯罪なので、倉持は身柄を送検せず、注意だけで留めることにした。緑川が品物を風呂敷に包む様子を、竹雄が恨めしそうに見つめていた。

 村へ立ち寄った花川は、モヨが娘たちを連れて行く様子を目撃した。モヨは花川に気付き、娘たちを急かせる。花川がアヤの家へ行くと、ちょうど彼女はモヨの斡旋で工場へ働きに出ようとしていたところだった。アヤが逃げ出したので、花川は後を追った。
 アヤは「モグリでも何でも、杉田のおばあのおかげで、オラの家、助かるです。今時、マトモなとこへ頼んで仕事探してもらっても、すぐにまとまった金貸してくれるとこなんて無いです」と彼に反発する。貧しい百姓の暮らしを訴えて泣き出したアヤに、花川は「何かの足しにはなんだろ」と持っていた金を押し付けて立ち去った。

 水利組合員の猪岡熊太郎たちが、石割の元へお願いにやって来た。国税庁の役人が調査に来ることになったので、その案内にトラックを使わせてほしいというのだ。
 百姓にはハイヤーを乗り回すほど元気が無いし、遊覧バスも安い銭ではなかなか動いてくれないのだと、彼らは事情を説明する。しかし石割は交通安全月間であることを説明し、「何とか一つ」と懇願する彼らの申し入れを却下した。

 石割は藪田巡査にジープを用意させ、丸尾の歓迎会会場となる掬水亭の調査に赴いた。ヒデの母が赤ん坊を抱いているので、石割は驚いた。ヒデが警察から預かっていることを説明すると、ようやく石割は思い出した。
 ヒデは1日だけということで預かったのだが、もう5日になっていた。ヒデの母は、すっかり情が移っているという。一方、吉井と妻は、ユキ子に同情し、「母親が見つかるまで預かってやろう。どうせ5人もいるんだ。1人ぐらい増えても同じことだ」と話し合っていた。

 丸尾通産大臣が町に帰郷し、歓迎の花火が打ち上げられる。赤沼が警察署でモヨを取り調べていると、労働基準監督署から電話が入る。「杉田モヨは当方で送検しますから」と言われ、赤沼は「既に取り調べも済んで、もはや送検するばかりになっていますから、お断りします」と告げる。
 向こうが譲らないので、赤沼は激しく反発して電話を切った。直後に職業安定所の松木所長から電話があり、当方で送検すると主張する。赤沼は「当方で送検します」と反論し、電話を代わった石割も強硬な態度を崩さなかった。

 愛知県の労働基準署員・紅林が警察署を訪れ、地元で起きた事件であり、主犯である工場の女将も地元の人間であるから自分たちで送検すると説明する。しかし石割は「当方で送検する。帰りたまえ」と腹を立て、紅林を追い返した。緑川は石割から強引に消防車を借り、丸尾の町案内をする。
 一行は掬水亭に到着し、宴が始まる。ユキ子は茂に会うため、吉井の家を抜け出して掬水亭へ向かう。故障した消防車が電柱に激突したため、掬水亭は停電になる。電気が復活した直後、ユキ子は掬水亭に現れた…。

 監督は久松静児、原作は伊藤永之介 角川書店版、脚本は井手俊郎、製作は坂上静翁、撮影は姫田眞佐久真佐久、照明は岩木保夫、録音は中村敏夫、美術は木村威夫、編集は近藤光雄、音楽は團伊玖磨。

 出演は森繁久彌、伊藤雄之助、三國連太郎、東野英治郎、宍戸錠(新人)、多々良純、殿山泰司、三島雅夫、杉村春子、澤村貞子、岩崎加根子、小田切みき、千石規子、坪内美子、飯田蝶子、十朱久雄、富田仲次郎、林幹、三木のり平、織田政雄、稲葉義男、三島謙、左卜全、加原武門、高品格、山田禪二、久松晃、光沢でんすけ、村田壽男、河上信夫、片桐常雄、紀原耕、伊丹慶治、中村俊一、天野創次郎、福原秀雄、津路清子、三鈴恵以子、若原初子、竹内洋子、三好久子、田中筆子ら。

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 伊藤永之介の同名小説を基にした作品。大映の『妖精は花の匂いがする』や東映の『放浪記』などを手掛けてきた久松静児が、日活に移籍して最初に監督を務めた映画。
 吉井を森繁久彌、岩太を伊藤雄之助、花川を三國連太郎、村田を東野英治郎、藪田を宍戸錠(本作品がデビュー作)、紅林を多々良純、倉持を殿山泰司、石割を三島雅夫、モヨを杉村春子、ヒデを沢村貞子、アヤを岩崎加根子、桃代を小田切みき、セイを千石規子、ユキ子の母・シズを坪内美子、タツを飯田蝶子、ユキ子を二木てるみが演じている。
 三木のり平の名前がクレジットされており、町長役で出演しているはずなのだが、見つけることが出来なかった。

 冒頭、花嫁がバスで花婿の家へ向かう様子から始まり、岩太を主役とするエピソードが描かれる。しかし岩太が映画の主役なのかというと、そうではない。それどころか、岩太は冒頭のエピソード以降、終盤まで登場しない。だったら、その構成はおかしいだろう。
 そもそも、タイトルが『警察日記』なんだし、警察官を狂言回しにして市井の人々の姿を描く作品のはずだから、まずは警察署の様子を描いて、そこが中心になっていることを示すべきだろう。その後に描かれる火事のエピソードも、警察の関与は薄いんだよなあ。

 この映画に登場する警官は、総じて人情味がある。やや無愛想な態度を取る警官もいるにはいるが、いわゆる不愉快な警官や悪徳警官は登場しない。吉井はユキ子を引き取ろうとするし、花川はアヤを助けようとするし、倉持はセイを送検せずに済ませる。百姓の陳情を却下した石割も、セイの家族にメシを食わせ、金を与えるという優しさを見せている。
 ただし、警官たちが優しいのは、警察署の厄介になる人々が、殺人や強盗・強姦といった凶悪犯ではなく、同情の余地がある面々ばかりだということも関係している。

 この映画で警察の厄介になる人々は、全て「貧しさ」を抱えている。ユキ子と茂は、貧しさゆえに母親から捨てられた。アヤは家が貧しいから、もぐりの斡旋でも構わずに工場へ働きに行く。セイは夫に失踪され、貧しさから息子のために万引きしたり無銭飲食したりする。
 みんな恵まれない暮らしを余儀なくされており、そんな事情が分かっているので、おのずと警官たちも優しく接するわけだ。

 そんな中で、モヨとタツがハッキリとした「悪人」として描かれているのは、ちょっと引っ掛かる。
 タツの場合は「家が貧しいから娘を働きに出す」という事情があるのだが、花川を騙してモヨと一緒に嘲笑ったり、娘を身売りさせたりするってのは、同情の対象から完全に外れる。モヨに関しては、言わずもがなだ。でも、この映画は「犯罪者はいるが、悪人はいない」という形にしてほしかったなあ。

 この映画を語る時に、必ずといっていいぐらい触れられるのが、二木てるみの演技だ。っていうか、二木てるみを語る時に、この映画に触れることが多いと言った方がいいだろうか。
 ともかく、二木てるみの存在感が目立っている。当時は無名の子役ということもあって、表記される順番は「劇団若草」のメンバーとして最後の方なのだが(オープニング・クレジットの一枚目には森繁久彌、伊藤雄之助、三國連太郎の3人が並列で表記)、実質的には本作品のヒロインと言ってもいいだろう。

 二木てるみは子役時代に「天才子役」などと称された人だが、この映画で彼女が良いのは、演技をやり過ぎていないことだ。たぶん意図的に演技を抑制したのではなく、自然にそうなったのだとは思うが。
 例えば料亭を去る時に柱に寄り添って茂を見つめる様子や、店を出てから振り返る表情、吉井の赤ん坊を見つめて涙をこぼす姿など、その純朴な様子が素晴らしい。彼女の寂しそうな表情に心を掴まれない奴は、きっと鬼か畜生だね。もうねえ、いじらしくて、たまらんのよ。

 映画の終盤、ユキ子の母・シズが登場する。吉井から子供たちが掬水亭に引き取られて幸せに暮らしていることを教えると、彼女は自分が引き取って心中しようと考えていたことを打ち明け、そのまま掬水亭で育ててもらおうと考える。
 吉井は母と子供たちを会わせてやりたいが、会わせてしまうとユキ子は辛くなるだろうと考える。そこで彼は、自分が会いたくなったという名目で掬水亭へ行き、ユキ子と茂を外に連れ出し、シープで待機させたシズに2人の姿を見せる。

 この時、ジープの方を向いたユキ子の切なそうな表情は、母親がいることに気付いたようにも見える。それが芝居なのかどうかは分からないが、ここは泣かせるシーンだなあ。母親が子供たちを見て泣く様子ではなくて、ユキ子の表情に心を揺さぶられるのだ。

(観賞日:2013年2月15日)

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