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『ノマドランド』:2021、アメリカ

 2011年1月31日、USジプサム社は業績が悪化し、ネバダ州の石膏採掘所は閉鎖された。企業城下町のエンパイアも閉鎖され、郵便番号も抹消された。ファーンはエンパイアを去り、RV車で寝泊まりする生活を始めた。彼女はデザート・ローズに到着し、RVパークに車を停めた。
 ファーンはアマゾンの倉庫で働いており、以前からの仲間であるリンダ・メイが新しい面々を紹介した。ファーンはRVパークでリンダ・メイと話し、自分の車について説明した。

 ホームセンターへ買い物に出掛けたファーンは、知人のブランディーに声を掛けられた。ブランディーはファーンが車上生活を続けていると知り、「困った時はウチに泊まって。心配なの」と告げた。ブランディーの娘で元教え子のカリーに「先生はホームレスになったの?」と訊かれたファーンは、「ホームレスじゃなくてハウスレス。別物よ」と答えた。
 リンダはファーンに、「2008年の金融危機の頃は人生のどん底で、自殺も考えた。でも2匹の愛犬と目が合って、死んじゃいけないと思った」と話す。彼女は「62歳になる前だったら、公的年金の額を調べたら550ドルしか無かった。12歳から働いて2人の娘を育てたのに」と、失望したことを語った。

 リンダは「そんな時、ボブ・ウェルズの『RV節約生活』を見て、働きバチはやめてキャンピングカーで暮らせばいいと思った」と話し、ボブ・ウェルズが放浪者の集会である「RTR」をアリゾナ州クォーツサイトで開くことをファーンに教えた。一緒に来ないかと誘われたファーンは遠慮するが、リンダは「そんなこと言わずに」と場所を教えた。
 年末でアマゾンの仕事が終了し、ファーンは管理事務所の職員から放浪者仲間のカールが脳卒中で倒れたこと、娘と東部に戻ったことを知らされた。残された犬を飼わないと提案されたファーンは、「無理よ」と断った。

 ファーンは近所で仕事を探そうと考え、役所に赴いた。夫のボーがUSジプサム社で働いていたこと、自分も5年を事務員をしていたことを説明すると、職員は1年前にエンパイアの全住人が退去を余儀なくされたことを知っていた。
 ファーンが「今すぐ働きたい」と口にすると、職員は「それは難しい。年金の早期受給を申請しては」と持ち掛けた。ファーンは「年金だけでは暮らせない、それに、仕事がしたい」と言い、その提案に乗らなかった。

 ファーンはガソリンスタンドの女性店長と掛け合い、駐車して宿泊する承諾を貰った。店長は「夜は寒いわ。近くにバプティスト教会があって、宿泊施設もある」と勧めるが、ファーンは「ご心配なく」と車中泊を選んだ。彼女はRTRの集会場へ赴き、リンダと再会した。
 ボブは参加者にスピーチし、「社会が我々を野に放り出すなら、我々が助け合うしかない」と語った。参加者には食事が配られ、ファーンは参加者が車上放浪を始めた事情を聞いた。

 ボブはファーンの事情を聞き、「答えを探すには、ここはいい場所だ。自然と繋がり、人との絆を育む。物の見方が変わるよ」と述べた。集会では人目に付かない駐車の方法や、排泄物の処理方法に関する講習会が開かれた。フリーマーケットも開かれ、欲しい物は物々交換で手に入れる形が取られていた。
 ファーンはデイヴという男性が出していた缶切りを貰い、それと引き換えに鍋掴みを渡した。ファーンはリンダや先輩放浪者のスワンキーたちと未来型RVショーに赴き、高級車に試乗した。

 夜になるとRTRの会場ではダンスパーティーが催され、ファーンはデイヴに誘われて一緒に踊った。彼女はデリックという若者に煙草をせがまれ、1本渡して火を貸した。タイヤがパンクしたため、ファーンはスワンキーに町まで乗せてほしいと頼んだ。
 スワンキーはスペアのタイヤを積んでいなかったことに呆れて説教し、万が一に備えてGPSを搭載するよう助言した。スワンキーは「旅を続けるためにも、やることがある」と言い、剥げ落ちたペンキを塗り直す仕事の手伝いを頼んだ。

 スワンキーの気分が急に悪くなったため、ファーンは休ませて水を飲ませた。スワンキーは以前に肺癌の手術をしたこと、脳に転移して余命7~8ヶ月と宣告されたことを話し、「私は旅を続けるわ。もう一度、アラスカに行きたいの。病院で死ぬのを待つだけなんて嫌。今年で75歳よ。いい人生だった」と語った。彼女は仲間に思い出の品物を引き取ってもらい、出発の準備を整えた。
 ファーンは彼女の髪を切り、「ずっと夫のボーのことを考えてる。最後は病院でモルヒネの点滴を受けた。私に点滴のボタンを長く押す勇気があれば、あんなに苦しまずに済んだかもしれない」と話す。スワンキーは「彼は少しでも長く貴方といたかったかもしれない。やれることはやったわ」と告げ、車でアラスカへ出発した。

 ファーンはクォーツサイトを発ち、サウスダコタ州のバッドランズ国立公園でリンダと共に清掃スタッフとして働き始めた。彼女はリンダと国立グラスランズのビジターセンターを訪れ、ツアーに参加した。
 リンダはアリゾナに自立自給の家を建てる夢を語り、ファーンに別れを告げて出発した。蟻に食料をやられたファーンは苛立ち、荷物運びを手伝おうとしたデイヴが誤って食器を割ると「消えて」と怒鳴った。デイヴは憩室炎で入院し、ファーンは見舞いに訪れた。

 デイヴは手術を受けて退院し、ファーンは彼に誘われてウォール・ドラッグで一緒に働き始めた。ある日、デイヴの息子のジェームズが、ウォール・ドラッグにやって来た。彼は妻のエミリーが2週間後に出産することをデイヴに語り、一緒に帰ろうと誘った。
 デイヴから話を聞いたファーンは、行くよう促した。デイヴが「父親のやり方を忘れた。向いてないんだ」と漏らすと、彼女は「考えすぎずにお爺ちゃんをやって」と勧めた。

 デイヴは息子の家へ行くことを決め、ファーンのキャンピングカーをノックした。ファーンが居留守を使うと、デイヴは手紙と石を置いて発った。ファーンはスワンキーから届いた動画を見て、アラスカに着いたのだと理解した。
 故障した車の修理費が高く付いたため、彼女は姉のドリーに電話を掛けて「必ず返すから送金して」と頼む。ファーンはドリーの家へ行き、金を受け取った。ドリーが「ここに住んで」と誘うと、彼女は「この家でずっと住むなんて無理よ」と断って車上生活に戻った…。

 脚本&監督&編集はクロエ・ジャオ、原作はジェシカ・ブルーダー、製作はフランシス・マクドーマンド&ピーター・スピアーズ&モリー・アッシャー&ダン・ジャンヴィー&クロエ・ジャオ、共同製作はテイラー・エヴァ・シュン&エミリー・ジェイド・フォーリー&ジェフ・リンヴィル、撮影はジョシュア・ジェームズ・リチャーズ、美術はジョシュア・ジェームズ・リチャーズ、衣装はハンナ・ローガン・ピーターソン、音楽はルドヴィコ・エイナウディー。

 出演はフランシス・マクドーマンド、デヴィッド・ストラザーン、リンダ・メイ、スワンキー、ボブ・ウェルズ、テイ・ストラザーン、メリッサ・スミス、エミリー・ジェイド・フォーリー、カリー・リン・マクダーモット・ワイルダー、ブランディー・ウィルバー、デレック・エンドレス、ウォーレン・キース、マイク・セルズ、ピーター・スピアーズ、ゲイ・デフォレスト、パトリシア・グリアー、アンジェラ・レイエス、カール・R・ヒューズ、ダグラス・G・ソウル、ライアン・アキーノ、テリーサ・ブキャナン他。

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 ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション書籍『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』を基にした作品。脚本&監督&編集は『兄が教えてくれた歌』『ザ・ライダー』のクロエ・ジャオ。ファーンをフランシス・マクドーマンド、デイヴをデヴィッド・ストラザーン、リンダをリンダ・メイが演じている。
 リンダやスワンキーを始めとして、実際のノマドが多く出演している。それだけでなく、出演者の大半は役者ではなく素人だ。ヴェネチア国際映画祭の金獅子賞、アカデミー賞の作品賞&監督賞&主演女優賞、ゴールデン・グローブ賞の作品賞&監督賞&脚本賞など、数多くの映画賞を受賞した。

 ファーンはブランディーから家に泊まるよう誘われても断り、ガソリンスタンドの店長から教会の宿泊施設を勧められても断る。もちろん、「車中泊で充分なので世話になる必要が無い」ということもあるだろうが、「自分はホームレスじゃない」というプライドもあるのではないかと感じる。
 RTRの集会で炊き出しの食事を食べる辺りは、教会の施しを受けるホームレスと大して変わらないのだが、「社会生活をドロップアウトしたわけじゃない」ってのが生きていく上での拠り所になっているのかもしれない。

 ネタバレを書くが、ファーンは映画の最後で車上放浪を終えようとせず、今後もずっと続けていく確固たる意思を示している。この映画は車上放浪者として生きることを否定しないだけでなく、「そんな生き方もあるよね」という程度で済ませるわけでもなく、全面的に肯定して「素晴らしい生き方」として賞賛している。
 クロエ・ジャオ監督は現代のノマドであるファーンたちを、「美しい生き方をする人々」として描こうとしたようだ。

 ファーンが失業して住む場所さえ失った事情や、他の車上放浪者の事情を聞く限り、そこには大きな社会問題があるはずだ。しかし本作品では、そっち方面で深く掘り下げようという方向性は全く見えない。クロエ・ジャオ監督のコメントによると、どうやら意図的に政治色を薄めているらしい。
 とは言え、やはり社会的なメッセージを感じずにはいられない。ファーンたちのような車上放浪者のルーツを辿ると、ノマドにはアナーキストに通じる部分がある。世界的に経済面でも政治面でも様々な混乱が続く中、「どこにも属さない生活」を推奨することによってメッセージが発信される形になっているというのは、うがった見方になるのだろうか。

 国家の定めた社会保障制度や年金制度は、困っている人や社会的弱者を救うためのシステムにとして満足に機能していない。この映画の舞台はアリメカだが、日本でも似たような問題は起きているし、世界中の多くの国でも同じような状況はあるだろう。
 だから国家が定めたシステムに頼らず、互助組合のような集団を作り、ある種のアナーキストによるコミュニティーに頼って生きていく方が幸せを得られる人は大勢いるのではないか。

 ノマドを「美しい生き方をする人々」として描こうってのは良く分かるし、否定しようとも思わない。それも一つの生き方だし、多様性を認めようという昨今の風潮にも沿った映画と言える。ただ、どうしても気になるのは、「美しい人々」で済ませてもいいのかなってことだ。
 と言うのも、ファーンの様子を見る限り、幸福感や充実感を抱いているようには到底見えないのだ。ノマド生活に大きな不満を抱いているようには見えないが、では生き甲斐を感じているのか、人生の目的が何かあるのかというと、それも全く見えない。

 リンダやスワンキーは夢を語るが、ファーンの口から夢や願望についての言葉は一切出て来ない。もうファーンは定住生活に戻ることが出来ないから、消去法としてノマドを続けているだけではないかと感じるのだ。ノマドが楽しいから、続けているようには全く思えない。そのため、美しい生き方をする人々への賛歌ではなく、社会の歪みが生み出した現代の問題を感じてしまう。本来なら、ファーンのような人々はいない方がいいんじゃないかと。
 この映画には車上放浪者として多くの高齢者が登場するので、「死に様」とか「終活」についての映画という捉え方も出来るだろう。そして、「ファーンのような高齢者が多く存在するのは、果たして社会としてどうなのか」と問題を提起されているように感じずにはいられないのだ。

(観賞日:2023年5月4日)

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