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『万引き家族』:2018、日本

 東京の下町。柴田治は幼い息子の祥太を連れて、近所のスーパーへ出掛けた。彼は周囲を注意深く観察しながら指示を出し、祥太が万引きを実行した。
 帰りにコロッケを買った2人が家へ向かっていると、いつも見掛ける幼女の柴田ゆりが真冬なのにアパートのベランダに閉め出されていた。どうやら両親は不在らしく、治は「コロッケ食べるか」と話し掛けて自宅へ連れ帰った。治は妻の信代、信代の妹の亜紀、母の初枝、祥太の5人で暮らしていた。

 信代は治がゆりを連れ帰ったことに不満を漏らし、食べさせたら返すよう指示した。初枝がゆりの体を見ると、傷だらけになっていた。ゆりは「転んだ」と言うが、初枝たちは虐待だと悟った。
 夕食を終えた治は眠り込んだゆりを背負い、信代とアパートへ向かった。すると、ゆりの両親である保と希が激しく口論していた。希の「産みたくて産んだんじゃない」という声を聞いた信代は、その場に座り込んだ。彼女はゆりを両親の元へ戻さず、自宅へ連れ帰って育てることにした。

 翌朝、治は工事現場の日雇い労働に、信代クリーニング店工場のパートに出掛ける。学校に行っていない祥太は押し入れで教科書を読み、初枝はゆりの傷口に薬を塗る。民生委員の米山が訪ねて来ると、祥太はゆりを連れて裏口から密かに外へ出た。
 初枝は米山に、一人暮らしだと嘘をついていた。祥太はりんを伴って駄菓子屋「やまとや」へ行き、店主の目を盗んで商品を万引きした。彼が火傷を指摘して「誰にやられたんだ?ママ?」と尋ねると、ゆりは否定して「ママ、優しいよ」と口にした。

 夜、一家は治の帰宅を待たずに夕食を取る。亜紀がりんを泊めていることについて「誘拐だよ」と言うと、信代は「違うよ。監禁も身代金要求もしてないし」と告げる。
 ゆりが麩を食べたことがあると知った信代が「誰と食べたの?」と質問すると、「お婆ちゃん」という答えが返って来た。治は右足に怪我を負い、仕事仲間に肩を借りて帰宅した。1ヶ月は仕事が出来ないのかと信代が心配すると、治は「日雇いでも労災が下りるらしい」と述べた。

 祥太はゆりを連れて万引きに行き、「その内に教えてやる」と言う。彼はゆりに質問し、祖母が優しくしてくれたこと、もう天国に行ってしまったことを知った。初枝は亜紀を連れて銀行へ行き、年金を引き出した。
 帰りに食堂へ立ち寄って甘味を食べた彼女は、亜紀が勤務しているJK見学店のシステムについて聞いた。亜紀が「さやか」という源氏名を使用していることについて、彼女は「意地が悪いね」とニヤニヤしながら告げた。

 信代は工場が給料を払えず、ワークシェアで昼からの勤務になった。治は労災が適用されず、信代は「みんなで優しくして損したよね」と不満を漏らした。亜紀はJK見学店へ行き、「4番さん」と呼んでいる常連客の相手をした。治は祥太とゆりを連れて釣具店へ行き、店員の注意を逸らしている間に高価な釣竿2本を盗ませた。
 治は最初の仕事だったゆりを褒めるが、祥太は「こいつ邪魔」と口を尖らせる。治が「そんなこと言うなよ。お前の妹だぞ」と告げると、祥太は「妹じゃないよ」と反発した。夜遅くまで祥太が戻らないので、ゆりは心配して玄関で待ち続けた。治は廃車にいた祥太の元へ行き、「ゆりも何か役に立った方が、あの家に居やすいだろ」と告げた。

 テレビのニュース番組で、ゆりが行方不明になっている出来事が報じられた。ゆりの本名は「北条じゅり」で、2ヶ月も捜索届を出していなかった両親が警察から重要参考人として取り調べを受けていた。それを知った治はゆりを家に帰らせようとするが、信代は反対した。
 一家はゆりの髪を短く切り、「りん」と呼んで別人に見せ掛けることにした。ゆりも家に帰りたいとは言わず、柴田家に留まることを選ぶ。祥太は彼女の前で、治と信代のことを「おじさん」「おばさん」と呼んだ。

 信代と初枝は祥太とゆりを連れて百貨店へ行き、服や水着を選ぶ。ゆりは信代が水着を選んでくれた時に遠慮し、「後で叩かない?」と尋ねた。帰宅した信代は、ゆりを連れて来た時に来ていた服を燃やした。
 彼女は「好きだから叩くなんてのはね、嘘なの。好きだったらね、こうやるの」と言い、ゆりを優しく抱き締めた。ゆりは祥太のことを、「お兄ちゃん」と呼ぶようになった。祥太がゆりに駄菓子屋で万引きさせていると、気付いた店主は「これやる」と商品を渡して「妹にはさせるなよ」と諭した。

 クリーニング店工場は経営が苦しくなり、工場長は時給の高い信代と三都江を呼んだ。彼はどちらか1人を解雇しなければならないと語り、相談するよう促した。三都江は信代がゆりを連れていたのを目撃したと明かし、自分に仕事を譲るよう脅しを掛けた。
 信代はバラしたら殺すと釘を刺し、仕方なく工場の仕事を辞めた。初枝は柴田譲の亡父の前妻として、月命日を名目に彼の家を訪ねた。譲の妻である葉子は、初枝が来たことへの不満を見せた。譲も初枝を歓迎していなかったが、コーヒーとケーキでもてなした。

 初枝は譲に、上の娘について「外国でしょ」と尋ねた。譲と葉子の長女は亜紀だった。譲は「楽しんでるみたいで、オーストラリア」と言う。初枝が立ち去る時、譲は「少ないんですけど」と現金を入れた封筒を渡した。亜紀は4番さんにトークルームへ行こうと持ち掛け、「私も4番さんの顔、見たいなあ」と言う。
 4番さんが承諾すると、亜紀は彼に膝枕をしながら嬉しそうに話す。4番さんは何も喋らずに聞いていただけだったが、亜紀の質問を受けると自分を殴ったことを身振り手振りで明かした。4番さんの涙に気付いた亜紀は、彼を抱き締めて優しく語り掛けた。

 治は信代からクビになったことを聞かされ、「また一緒に店でもやるか」と言う。信代は彼にキスをして覆い被さり、セックスをした。柴田家の面々は海へ遊びに出掛け、祥太は浮き輪を膨らませながら亜紀の胸が気になった。治は祥太と海に入り、「オッパイ、好きか。男は誰でもオッパイが好きだ」と言う。
 勃起が病気ではなく自然な現象だと聞き、祥太は安堵した。初枝は信代に、「アンタ、良く見たら綺麗だね」と告げた。海から帰った数日後、初枝が静かに息を引き取った。柴田家の面々は遺体を埋め、最初から彼女がいなかったことにして共同生活を続けようとする…。

 原案・脚本・編集・監督は是枝裕和、製作は石原隆&依田巽&中江康人、プロデューサーは松崎薫&代情明彦&田口聖、アソシエイトプロデューサーは大澤恵&小竹里美、撮影は近藤龍人、照明は藤井勇、録音は冨田和彦、美術は三ツ松けいこ、セットデザインは郡司英雄、衣裳は黒澤和子、音楽は細野晴臣。

 出演はリリー・フランキー、安藤サクラ、樹木希林、松岡茉優、城桧吏、佐々木みゆ、池松壮亮、柄本明、高良健吾、池脇千鶴、緒形直人、を森口瑤子、山田裕貴、片山萌美、黒田大輔、清水一彰、松岡依都美、毎熊克哉、井上肇、蒔田彩珠、堀春菜、溝口奈菜、安藤輪子、逢沢一夏、宮内桃子、橋本真実、まりゑ、瑛蓮、高木直子、松浦慎一郎、友咲まどか、結城さなえ、森本のぶ、足立智充ら。

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 『海よりもまだ深く』『三度目の殺人』の是枝裕和が原案&脚本&編集&監督を務めた作品。カンヌ国際映画祭のパルム・ドール、LA批評家協会賞の外国映画賞、セザール賞の外国映画賞など、数々の映画賞を受賞した。
 治をリリー・フランキー、信代を安藤サクラ、初枝を樹木希林、亜紀を松岡茉優、祥太を城桧吏、ゆりを佐々木みゆ、4番さんを池松壮亮、駄菓子屋店主を柄本明、警察官の前園を高良健吾、警察官の宮部を池脇千鶴、譲を緒形直人、葉子を森口瑤子、保を山田裕貴、希を片山萌美が演じている。

 最初の内は、柴田家の面々が「本当の家族」として描かれている。しかし物語が進む中でヒントが提示され、やがてハッキリとした形で「実は本当の家族ではない」ってことが明らかにされる。ただ、もはや何のヒントも出されていないような段階から、既に「こいつら本物の家族じゃないだろうな」ってのは何となく読める。
 他の作品のネタバレになってしまうが、本多孝好の同名短編小説を基にした2015年公開の映画『at Home アットホーム』と完全にネタが被っているしね。是枝裕和が小説や映画を参考にしたかどうかは知らないが、「赤の他人が家族として暮らしている」「犯罪によって生計を立てている」「親から虐待されていた幼い子供を主人公が連れ出す」など、類似している要素は多い。

 しばらく真実を隠したまま話を進めているんだから、一応は「柴田家が血の繋がりがある本当の家族ではない」ってのをミステリーとして持ち込んでいるんだろうと思われる。ただ、前述したように早い段階でバレバレなので、この仕掛けはあまり上手く機能しているとは言い難い。
 ただ、それがバレようと、大きな傷になっているわけではない。この作品で何より重要なのは、是枝裕和がテーマとして様々な作品で描いている「家族の在り方」の部分だ。

 これまで是枝監督は様々な形の「家族」を描いて来たが、幼い子供がいる時にこそ最も力を発揮するのではないか。是枝監督は出演する子役に対して台本を見せず、その場で指示を出すことによって自然な姿を表現させるというアプローチをする人だ。
 ドキュメンタリー出身の人らしく、「自然な感じ」を重視しているわけだ。そういう演出方法が、演技経験の乏しい子供を起用することによって、最大限に発揮されるのではないか。

 この映画では安藤サクラの演技が絶賛されたが、それに異論を唱えるつもりはない。もちろん彼女の芝居は素晴らしい。ただ、この映画で鍵を握っている重要な存在は、間違いなく佐々木みゆだ。
 それは佐々木みゆの演技力が素晴らしいってことじゃなくて、『誰も知らない』における柳楽優弥&北浦愛と同じことだ。「子役が芝居をしている」ということを感じさせないからこその存在感が、そこにあるのだ。「全力で守ってあげたくなるような、幼くて弱い存在」としての自然な姿が、強く引き付けるのだ。

 この映画では、貧困、犯罪、児童虐待、風俗業など、「世界に誇るべき素晴らしい日本の姿」とは真逆と言ってもいいような要素が幾つも盛り込まれている。そのため、「日本の恥部を世界に晒している」と批判する声も一部であったらしい。しかし、これも日本の現実なのだ。
 日本は先進国だが、それでも貧困に苦しむ人々は大勢いる。他の先進国に比べれば安全だと言われるが、犯罪も多い。性風俗に関しては、ある意味では大国と言ってもいいぐらいだ。やや誇張された部分もあるが、この映画で描かれている家族は、ある種の日本を象徴していると言ってもいい。

 家族の大黒柱である治は、決して立派と言えるような人物ではない。本人が万引きした商品を生活の足しにしようとするのは置いておくとしても、子供たちに手伝わせるのは、幾ら貧乏であっても肯定できる余地は無い。車上荒らしまで始めるんだから、どうしようもない。
 しかも、彼は「犯罪に手を出すけど家族思い」ってわけではなく、いざとなったら罪を被せて逃げ出すような卑怯な男だ。それでも、そこに「家族の絆」は間違いなくあった。

 大事なのは血の繋がりではなく、心の繋がりだ。柴田家の面々に血の繋がりは無いが、そんなことは何の意味も無い。血が繋がっていても、育児を放棄する母親もいれば、子供を虐待して殺すような父親もいる。そんな集団と、血は繋がっていなくても互いを思いやって暮らす集団と、どちらの方が果たして「家族」と言えるのか。
 もちろん、辞書に掲載されるような意味合いでの「家族」が前者であることは、わざわざ説明するまでもない。ただ、そうだとするならば、そんな「本当の家族」と、愛に溢れた「偽の家族」と、どちらの方が所属する人間にとっては幸せなのだろうか。特に子供にとっては、どちらの方が正しいのだろうか。

 是枝裕和はモラリストなので、犯罪を繰り返していた柴田家の人々に「そのまま犯罪が露呈せず、平穏な生活が続きましたとさ」というハッピーエンドは用意しない。犯罪は露呈して警察に捕まり、一家は引き離される。祥太は施設に送られ、ゆりは実の両親の元へ戻される。
 そして「明確な答えを出さず、観客の想像に委ねる」ってのが是枝裕和の特徴なので、「ゆりがベランダに出て外を見ている」という姿で映画は終わる。でも、そこは明確な救いが欲しいなあ。ゆりが最後に何を見たとしても、両親の虐待が続くことは確定事項なわけで。ゆりには救いを与えてあげないと、「繰り返しの鑑賞には不向きな映画」と言わざるを得なくなっちゃうなあ。

(観賞日:2019年8月10日)

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