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《二十. アメリカを怯えさせた男 》

 1977年6月、雷次のアメリカでの監督デビュー作『トランスファー・スチューデント』が公開された。『猿の惑星』でコーネリアス博士を演じたロディー・マクドウォールを除けば出演者は全て無名だったが、映画は充分すぎる黒字を出し、ロジャー・コーマンを大いに喜ばせた。

 この結果を受け、コーマンは続編を企画し、雷次に監督のオファーを出した。しかし雷次は、また監督の仕事が来たことは喜んだものの、続編には消極的だった。
 「評価は有り難いですけど、『トランスファー・スチューデント』は自分が発案した企画じゃありませんし、俺が続編を撮る必要性は無いと思うんです。一作目のヒットがあるので、誰か他の人間が撮っても、それなりの収益を出すでしょうし。それなら、別の企画をやらせてもらえませんか」
 雷次はコーマンに、そう持ち掛けた。

 「別の企画を?」
 「ええ。そうすれば、そっちでも『トランスファー・スチューデント』の監督というのが売りになりますし、続編と合わせて、両方で稼げるんじゃないですか」
 雷次はコーマンが「稼げる」という言葉に乗って来るだろうと考え、そんな風に提案した。
 「なるほど、それは良いアイデアかもしれないな」
 「任せてもらえるなら、俺の企画は自分でストーリーも用意しますよ」
 「じゃあ、そうするか」

 コーマンの決断は早かった。雷次が続編ではなく別企画を手掛けることは、あっさりと決まった。
 既に雷次の中には、新作のアイデアがあった。問題は、それをシナリオにする作業だった。これまでは全て百田に脚本化してもらっていたが、今回はアメリカでの仕事であり、シナリオを英語に翻訳する手間も考え、彼とは組まずにやることにした。
 雷次は『トランスファー・スチューデント』に助監督として参加していたコーマン門下生のジョーダン・モックと共同で脚本を執筆し、製作に取り掛かった。

 アイデアのきっかけとなったのは、日本で起きた殺人事件だった。犯人は母親で、被害者は幼い二人の息子たちだった。
 その母親は夫と離婚し、アパートで子供たちと暮らしていた。彼女は一人の男性と交際を始めたが、子供がいることは明かしていなかった。彼女は男性との再婚を望んだが、それには子供が邪魔だと考えた。そこで子供たちを殺害し、遺体を埋めた。しかし遺体が発見され、逮捕されたのだ。
 その事件の記事を読んだ雷次は、「息子殺しの母親が数年後に復讐される」という話を着想した。

 『トランスファー・スチューデント』では知名度のある俳優がロディー・マクドウォールだけだったが、今回は『アリスの恋』でアカデミー賞助演女優賞候補になったダイアン・ラッド、『第三の脱獄』『深海征服』のベン・ギャザラ、『M★A★S★H』『ビッグ・バッド・ママ』のトム・スケリットといった面々が起用された。さらに、プロローグで触れたように、『トランスファー・スチューデント』の端役だったジェスト・フィバーを雷次が抜擢し、撮影に入った。

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  『ママ』(日本語題『監禁地獄』)

  〈 あらすじ 〉

 主婦のジャネット・ラッセル(ダイアン・ラッド)が意識を取り戻すと、ある部屋に監禁されていた。彼女は買い物帰りに後ろから殴られ、気を失ったのだ。
 部屋には一通りの家具や生活用品が揃えられており、かなり散らかっていた。テーブルの上にはメモが置いてあり、
 「なるべく正確にやったつもりだが、揃わなかった物もあるし、間違いもあるかもしれない」
 と書かれていた。しかしジャネットには、何のことか全く分からない。彼女は脱出方法を探るが、ドアは外側からロックされており、窓は封鎖されて外が見えない状態だった。

 その時、ドアの小窓が開き、何者かが食事を差し入れた。ジャネットはドアに駆け寄り、
 「誰なの?なぜ、こんなことをするの?ここから出して」
 と叫んだ。
 すると謎の犯人(ジェスト・フィバー)は、
 「その部屋をちゃんと見れば、僕の正体も、こんなことをした理由も、全て分かる」
 と落ち着いた口調で告げた。そして
 「近所には誰も住んでいない。大声で助けを呼んでもエネルギーの無駄遣いだから、やめておいた方がいい。では、また」
 と告げ、立ち去った。

 ジャネットは改めて部屋を観察したが、やはり犯人の言葉の意味が理解できなかった。
 翌日、また犯人は現れた。ジャネットが前日の食事に手を付けていなかったため、
 「心配しなくても、毒は入っていない。なるべく正確に再現したつもりだが、食事だけは別だ。もっと粗末だったし、途中からは食べる物が無くなった」
 と犯人は告げた。

 ジャネットの失踪を、夫のアンドリュー(トム・スケリット)が警察に連絡し、刑事のチャック・ビーン(ベン・ギャザラ)が捜査に乗り出した。アンドリューはジャネットと10年前に結婚したが、それ以前の彼女については、ほとんど知らなかった。ジャネットがあまり話そうとしなかったからだ。チャックが調べてみると、ジャネットの過去には空白となっている時期があった。

 監禁が続く中、ジャネットは部屋の様子に何となく見覚えがあるような気がしていた。ある朝、彼女が目を覚ますと、室内にオモチャのトラックと人形が転がっていた。食事を運んできた犯人は、
 「大事な物を忘れていたので、加えておいた」
 と告げた。ジャネットは顔を引きつらせ、
 「まさか、この部屋は」
 と呻いた。

 一方、チャックはジャネットの過去に絞って調査を続けていたが、難航していた。そんな中、彼はようやく、空白期間のジャネットを知っている女性に辿り着いた。その女性によれば、ジャネットは前の夫と離婚した後、二人の幼い子供を育てていたはずだという。しかしアンドリューは、ジャネットに子供がいたことを知らなかった……。

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 犯人がジャネットを監禁した場所は、かつて彼女が暮らしていた部屋を再現したものだ。ジャネットは10年前、子供たちを育児放棄で衰弱死に追いやり、遺体を埋めた。だが、死んだはずの長男マシューは復讐を果たすため、醜い怪人となって蘇ったのだ。
 劇中、埋められた土の中でマシューが見た光景や、復活する時の様子など、彼の視点による回想シーンが何度か挿入される。また、ジャネットが見る悪夢の映像も幻想的に描かれた。それにより、不気味で謎めいた雰囲気が作り出されている。

 犯人の正体や目的は、なかなか明かされない。最初の内、ヒロインは何も分からない中で監禁され、観客も彼女と同じ気持ちを味わうことになる。ほとんど情報が無いことが、恐怖を煽っている。
 『トランスファー・スチューデント』は殺人鬼が殺しを繰り返すという、残酷描写を飾り立てたスラッシャー映画だった。それに対し、『ママ』はジワジワと忍び寄る恐ろしさ、得体の知れない薄気味悪さを全面に押し出したサイコ・ホラー映画となった。マシューは怪人化しているが、ハッキリと姿を現すのは終盤の数分だけだ。

 1978年1月、『ママ』はアメリカで公開された。メジャー会社の大作に比べれば公開規模は遥かに小さかったが、批評家はこぞって称賛し、多くのホラー映画ファンが映画館に押し寄せた。SFやホラーのようなジャンル映画の祭典であるウェインライト映画祭では、監督賞と主演女優賞を獲得している。


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