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『ある画家の数奇な運命』:2018、ドイツ

 1937年、ドレスデン。6歳のクルト・バーナートは若い叔母のエリザベト・マイに連れられ、退廃芸術展が催されている美術館を訪れた。ガイドを務めた男は、モダンアートを厳しく糾弾した。クルトとエリザベトはバスに乗り、ドレスデンを離れてマイ家へ向かった。
 クルトの父であるヨハンはナチ党員になることを拒否し、教師の仕事も家も失っていた。エリザベトはドイツ女子同盟の代表として、アドルフ・ヒトラーに花束を渡す役目を命じられた。彼女は花束を渡してヒトラーを見送り、興奮する仲間たちに取り囲まれた。

 ある日、クルトが家で全裸女性の絵を描いていると、エリザベトが全裸でピアノを弾き始めた。彼女は目を逸らさないよう指示し、「真実は美しい」と興奮した様子で語る。彼女はガラス皿で自分の頭を殴って血を流すが、痛がらずに笑顔を浮かべた。
 エリザベトは総合失調症と診断され、医師で親衛隊員の医師でナチ党員のフランツ・ミヒャエルスは衛生局に連絡した。エリザベトは激しく抵抗するが、ドイツ赤十字の車で病院に連行された。

 1940年、ベルリン。精神科医のブルクハルト・クロルは親衛隊員の医師たちを集め、いつか精神病患者と障害者を一掃したいと語る。彼は「負傷兵に備えて病院を確保しろ。君たちは優性裁判所の鑑定人になる」と言い、患者に断種手術を実施して無価値な命を選別せよと指示する。
 さらに彼は、無価値だと判断した患者は専門施設に送られて処分されると説明する。カール・ゼーバントは担当患者の選別を行い、エリザベトは施設に送られた。

 クルトはヨハンと母のヴァルトラウト、エリザベトの母のマルヴァイン、兄のギュンター&エーレンフリートと共に、病院へ見舞いに赴く。しかし対応した看護婦はエリザベトが転院したと冷淡に通告し、すぐに集合写真の撮影へ向かった。エリザベトは他の患者と共にガス室へ送られ、一斉に殺害された。
 1945年2月13日。ドレスデンは激しい空爆に見舞われ、ギュンターとエーレンフリートは戦地で死亡した。5月8日、カールはソ連軍に逮捕され、ムラヴィヨフ少佐の尋問を受けた。精神病患者と障害者を断種する政策について問われた彼は、その正当性を主張した。

 ヨハンは教職に復帰しようとするが、ナチ党員だった過去のせいで不採用となった。ムラヴィヨフの妻は出産を迎えるが、胎位異常のために激しく苦悶した。カールは彼女を救って無事に出産させ、感謝したムラヴィヨフは保護を約束した。
 1951年。クルトはドレスデンの看板・ステンシル製作所で働き、父に清掃係の仕事を世話した。クルトはステンシルを使わずフリーハンドで看板に文字を書く能力があり、そのせいで同僚から嫌味を浴びせられるが全く気にしなかった。

 クルトは勤務時間の後も製作所に残り、絵を描いていた。それを知ったオットー職長は、「絵に逃げるな。世の中のためになることをしろ。それが共産主義だ」と諭した。彼は受験に協力すると言い、美大を受けるよう勧めた。
 クルトは美大に入学するが、モダンアートは以前と変わらず糾弾の対象になっていた。教授のホルスト・グリマはピカソを例に挙げ、「伝統ではなく革新を目指すのは間違いだ。芸術家が自由を得られるのは人民に奉仕した時だ」と語った。

 クルトは服飾科で西の鉛筆が配られていると聞き、友人と共に教室へ向かった。すると1人の女子生徒が鉛筆を配っており、友人はデートに誘って断られた。女子生徒は煙草を吸っており、クルトは名前がエリザベトだと知る。クルトは折り紙で灰皿を作って彼女にプレゼントし、公園へ散歩に行かないかと誘う。
 エリザベトはOKし、クルトと一緒に公園へ行く。クルトが家まで送り届けると、空襲を免れた豪邸だった。クルトは「エリザベト」と呼びたくないので、他の呼び方は無いかと尋ねる。エリザベトが「父はエリー」と呼ぶわ」と言うので、クルトもエリーと呼ぶことにした。

 クルトが夜中に自宅で絵を描いていると、母の悲鳴が響いてきた。クルトが駆け付けると、父が首を吊って自殺していた。しばらく学校を休んだクルトは久々に授業に出席し、作業の途中だった絵を大幅に描き直した。エリーはクルトにスーツを差し出し、「今学期の課題よ」と告げる。クルトは彼女の目の前で着替え、「もう脱がない」と告げた。
 2人は互いの気持ちを確かめ、エリーの家で肉体関係を持った。よそで暮らしていたエリーの両親が帰宅したので、クルトは窓から木に飛び移った。エリーは彼の服を外に投げ、1人で寝ていたように装った。エリーの父であるカールは、何も気付かなかった。母のマルタはクルトを目撃するが、夫には知らせなかった。

 翌日、エリーはクルトに、父が病院長として復帰すること、邸宅に戻って来ることを話す。彼女は「空き部屋を貸さないと」と言い、看板を偶然に見たフリで間借り人になるようクルトに持ち掛けた。クルトが空き部屋を希望する人間として邸宅へ行くと、すぐにマルタは目撃した青年だと気付いた。しかし彼女はカールに事情を明かさず、クルトに部屋を貸すよう勧めた。
 カールは承諾するが、決してクルトに好感を抱いたわけではなかった。カールはクルトに、自分の肖像画を描くよう依頼した。クルトが院長室に呼ばれるとラジオが付いており、西ドイツを批判するニュースが流れていた。クルトはエリーに、邸宅を出て行くことを告げた。

 1956年、クルトは卒業制作が評価され、歴史博物館の壁画を描く仕事をグリマから持ち掛けられた。しかしクルトは「ただの装飾です」と言い、全く興味を示さなかった。エリーから妊娠を打ち明けられた彼は、「ご両親に言わなきゃ」と告げる。エリーは「まずは付き合っていることを、ショックは小出しに」と言い、クルトは承諾した。
 しかしカールは2人の交際も、エリーの妊娠も悟っていた。彼はマルタに、「相手は陰気な男だ。父親は掃除人に落ちぶれて自殺した。子供に遺伝すると困る」と述べ、「今までの経験で良く分かっている。中絶すれば色恋など忘れる」と静かに告げた。

 クルトは壁画の仕事を引き受け、エリーは喜んだ。彼はクルトを伴って両親と外食し、交際を打ち明けた、カールは何も知らなかったフリをして、驚く芝居をした。彼はクルトと2人になり、「エリーは幼い頃の炎症で繊毛にダメージがあり、手術を予定している。その前に妊娠したら大出血で命の危険がある」と嘘を吹き込んだ。すっかり信じたクルトはエリーの妊娠を打ち明け、カールは中絶手術を行った。
 カールはKGBに呼ばれ、ムラヴィヨフと再会した。ムラヴィヨフはモスクワに戻ることを話し、「もう君を守れない」と述べた。ナチスの安楽死政策に関わった他の医師は全て逮捕されており、ムラヴィヨフは「東ドイツを出て二度と戻るな。西ドイツなら真実はバレない」と言う。改めてクロルの情報を問われたカールは、「何も知らない」と答えた。

 1957年、カールの目論みは外れ、クルトとエリーは以前より親密になっていた。カールは仕方なく2人の結婚を認め、妻を伴って西ドイツへ脱出した。1961年、クルトは壁画の仕事を続けていたが、納得できない気持ちは募るばかりだった。彼は親友に協力してもらい、エリーを連れて西ベルリンに移り住んだ。
 クルトは画家のヴェルナー・ブラシュケを訪問し、「ミュンヘンやハンブルグがお勧めだ。金持ちが肖像画や風景画を欲しがる。良くないのはデュッセルドルフだ。前衛的なモダンアートばかりで、地元の美術大を出ていないとチャンスが無い」と助言された。クルトはデュッセルドルフの美術アカデミーに入学しようと考え、オープンキャンパスの日に見学を申し込んだ。彼は案内役のハリーと会い、アントニウス・ファン・フェルテン教授や生徒のアドリアン・シンメルたちを知る…。

 脚本&製作&監督はフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク、製作はヤン・モイト&クイリン・ベルク&マックス・ヴィーデマン&クリスティーネ・ヘンケル・フォン・ドナースマルク、共同製作はクリスチャン・ストロブル&ディーク・シュルホフ、撮影はキャレブ・デシャネル、美術はシルク・ブール、編集はパトリシア・ロンメル、共同編集はパトリック・サンチェス=スミス、衣装はガブリエル・ビンダー、音楽はマックス・リヒター。

 出演はトム・シリング、セバスチャン・コッホ、パウラ・ベーア、ザスキア・ローゼンダール、オリヴァー・マスッチ、カイ・コールズ、ベン・ベッカー、ラース・アイディンガー、イナ・ヴァイセ、エフゲニー・シディキン、マルク・ザク、ウルリケ・C・チャーレ、バスティアン・トロスト、ハンス=ウーヴェ・バウアー、ハンノ・コフラー、ダヴィド・シュッター、フランツ・パッツォルト、ヒンネルク・シェーネマン、ジャネット・ハイン、ヨルグ・シュッタフ、ヨハンナ・ガストドロフ、フロリアン・バートロメイ、ヨナス・ダスラー、ヤコブ・マッチェンツ、オスカー・ミュラー、ミナ・ヘルフルト他。

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 世界的な画家であるゲルハルト・リヒターの半生をモデルにした作品。脚本&製作&監督は『善き人のためのソナタ』『ツーリスト』のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク。
 クルトをトム・シリング、ゼーバントをセバスチャン・コッホ、エリーをパウラ・ベーア、エリザベトをザスキア・ローゼンダール、フェルテンをオリヴァー・マスッチ、6歳のクルトをカイ・コールズ、オットーをベン・ベッカー、退廃芸術展の展示ガイドをラース・アイディンガー、マルタをイナ・ヴァイセ、ムラヴィヨフをエフゲニー・シディキン、ミヒャエルスをバスティアン・トロスト、グリマをハンス=ウーヴェ・バウアーが演じている。

 クルトはエリザベトが転院させられたことは知っているが、ナチスの方針でガス室送りになったこと、その決定を下したのがカールであることは知らない。終戦後にエリザベトのことを調べるようなことも無いので、ナチスに対して思う所はあるかもしれないが、カール個人に対する怒りや恨みは全く抱いていない。
 一方で、彼が絵を描くようになったのは、間違いなくエリザベトの影響だ。幼い頃に死に別れたが、心の中では大きな存在として生き続けている。むしろ幼くして死に別れたからこそ、大きな存在になっていると言った方がいいかもしれない。

 カールはナチスに逆らえず、仕方なく安楽死政策の方針に従っていたわけではない。自分の意思で安楽死政策に賛同し、積極的に行動している。ドイツが敗戦した後も、「あの方針は間違っていた」と後悔したり反省したりすることは無い。彼は相変わらずナチスの信奉者であり、安楽死政策は正しいと思っている。だから彼は自分の娘であっても、平気で嘘をついて中絶する。
 その中絶手術は、単に「その時に妊娠していた子供を殺す」というだけではない。クルトの血筋を絶やすため、エリーを妊娠できない体にするのだ。この一軒に関しては、クルトはエリーから中絶手術のせいで妊娠できなくなったと聞かされ、カールの悪行を知ることになる。だが、それで彼がカールに激しい怒りをぶつけたり、恨みを晴らそうとしたりすることは無い。

 クルトは東ドイツにいた頃、「モダンアートは害悪だ」と教えられている。芸術家は社会主義に基づいた伝統的な絵画を描くべきであり、人民に奉仕することが自由なのだと教えられている。
 しかしクルトは幼少期にエリザベトと見た退廃芸術展によって絵画に目覚めており、だからグリマの教えに納得できない。彼は仕事として壁画は描くものの、新しい表現で絵を描きたいと思っている。彼が東ドイツの脱出を決意するのは、「自由に絵画を描きたい」という思いが抑え切れなかったからだ。

 そして彼は西ドイツに渡り、ハリーから「絵画は時代遅れになっている」と教えられる。彼は「何でもいいからアイデアが必要だ」と助言され、新たな創作活動に入る。ただの絵画ではなく、カンバスを切ると仕込んだ赤い絵の具が出てくる仕掛けを用意する。
 そして彼は絵画に留まらず、他のジャンルのモダンアートにも手を出す。それは彼にとって、とても楽しく充実感を覚える芸術活動だった。東ドイツ時代とは大きく異なる環境で、クルトは「自由な芸術」を存分に謳歌した。

 やがてクルトはフェルテンに注目され、作品を見せてほしいと言われる。フェルテンはクルトが制作したモダンアートの数々を見て、自身の戦争体験を詳しく語る。わずか4週間の訓練で出撃した彼は撃墜され、火傷で重傷を負った。
 彼は自分たちが殺そうとしていた遊牧民に救われ、民間治療の時の出来事を原体験として語る。彼は常に帽子を被っており、その理由は明かされていなかった。その理由も、そのシーンで判明する。彼は戦争で頭に深い傷を負っており、それを隠すためだったのだ。

 フェルテンは自身の戦争体験を語った後、クルトに「君は誰だ?何者なんだ?これは君じゃない」と作品の批評を伝える。「人生で感じたことを絵にしろ、原体験を大切にしろ」と、フェルテンは言いたいのだ。それまでに完成させた作品を全否定されたクルトはカンバスに向かうが、何のアイデアも湧かなくなってしまう。
 そんな中、彼はクロルの逮捕を知る。新聞に掲載された逮捕写真を見て、彼は模写してボカした絵を描く。彼にとってクロルは、エリザベトを病院に送り込んだ黒幕だ。つまり、自身の原体験に繋がる存在だ。だから写真を模写することは、まさに人生で感じたことを絵にするという行為なのだ。

 さらにクルトは、幼い自分をエリザベトが抱いている写真も模写する。この絵を見たカールは激しく狼狽し、その場を無言のまま立ち去る。クルトには彼の反応の理由が全く分からないが、もう二度とカールが彼の人生に介入することは無い。
 その後、エリーは妊娠し、無事に出産する。クルトは素人写真の模写を重ねて個展を開き、著名な画家になる。会見を開いたクルトはクロルの模写に込められた意味を質問されると、「真実を描きたい」とだけ答える。実際、そこには何の批判も思想も込められていないのだろう。

 しかしクルトの作品によって、カールは確実にショックを受けた。それは芸術によって遂行される、ナチズムへの静かなる復讐と言ってもいいだろう。ただし、決して芸術家が戦争犯罪者に復讐する物語ではない。
 芸術家は決して、復讐心など抱いていない。クルトは一度として、復讐のために絵を描こうとはしていないのだ。彼が芸術を追及した結果として、戦争犯罪者が心に隠していた過去を抉られ、激しく打ち砕かれるのだ。

(観賞日:2022年10月20日)

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