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『野良犬』:1949、日本

 ある暑い夏の日、警視庁捜査第一課の新人刑事・村上は射撃練習を終え、バスに乗り込んだ。停留所でドアが開いた時、彼は7発の実弾が入ったコルト式小型拳銃を盗まれたことに気付いた。彼はバスを降りた不審な男を慌てて追い掛けるが、見失ってしまった。
 村上は係長の中島に、「自分はどんな処分を受けても仕方がないと思ってます」と告げる。すると中島は「処分の決まるまで、突っ立っている訳にもいくまい。俺ならまず、スリ係に相談するね。餅は餅屋だ」とアドバイスした。

 村上はスリ係の市川刑事に相談し、鑑識カードで怪しい人物を調べることにした。該当する男は見当たらなかったが、バスの中で村上に体を寄せていた女の写真があった。それはスリの常習犯・お銀であり、市川は彼女を良く知っていた。
 市川は村上を連れて、お銀が必ず顔を出すという店へ赴いた。そこに現れたお銀は、村上から拳銃のことを聞かれてもシラを切った。村上はお銀を追跡し、執拗に付きまとった。とうとう彼女は音を上げ、場末の盛り場でピストル屋を探すよう促した。

 村上はお銀のアドバイスを受け、汚い服の復員兵に変装して場末の盛り場を歩き回った。やがて若い男が「ハジキ要らねえか」と彼に声を掛けて来た。男から通帳を持ってコンガという喫茶店へ行くよう言われ、村上はピストル屋のヒモである女と会った。
 村上は刑事であることを明かし、女を派出所へ連行してコルトを情報を聞き出そうとする。すると女は、村上と取引した後、そのコルトを返却してもらうことになっていたと明かした。

 村上は犯人が預けた通帳を渡すよう要求するが、女は「あの店にいたお目付け役が通帳を握ってるんだい。慌てたってダメだ。もうみんな逃げてるよ」と無愛想に告げた。そんな中、村上の拳銃を使った強盗傷害事件が淀橋で発生した。
 村上が辞職願を出すと、中島は「心の持ち方次第で、君の不運は君のチャンスだ。なぜ、この事件を担当させてくれと言わないんだい?こちらから阿部警部が担当主任として行くけど、行ってみる気あるかい?」と持ち掛けた。

 中島は村上の紹介で、淀橋にいる第一課出身の佐藤刑事と一緒に捜査をすることになった。佐藤はピストル屋のヒモを取り調べ、元締めである本多の名前を聞き出した。
 村上たちはプロ野球好きの本多が通う後楽園球場を張り込み、彼を捕まえた。彼の持っていたピストル購入者の通帳から、発砲事件の犯人が遊佐という男だと判明した。彼の家を訪れると、1週間前から戻っていなかった。

 遊佐の姉は、彼が復員した際に汽車の中で全財産の入ったリュックを盗まれ、それから人間が変わったことを語った。さらに彼女の話から、遊佐の悪友にリーゼントスタイルのボーイがいることが分かった。村上と佐藤はボーイの元へ行き、遊佐が幼馴染の踊り子・ハルミのいるレビュウ劇場に通っていることを知った。
 村上たちは劇場へ行き、ハルミを尋問する。だが、ハルミは何も情報を吐かず、泣き出すだけだった。そんな中、一人の主婦が銃殺されて金を奪われる事件が発生した。鑑識の結果、犯人が使ったのは村上の拳銃だと判明した…。

 監督は黒澤明、脚本は黒澤明&菊島隆三、製作は本木荘二郎、撮影は中井朝一、照明は石井長四郎、録音は矢野口文雄、美術は松山崇、振付は縣洋二、助監督は本多猪四郎、編集は後藤敏男、音楽は早坂文雄。

 出演は三船敏郎、志村喬、淡路恵子(S・K・D)、三好栄子、千石規子、本間文子、河村黎吉(松竹)、飯田蝶子、東野英治郎(俳優座)、永田靖、松本克平、木村功、岸輝子、千秋實(バラ座)、菅井一郎(第一協團)、清水元、柳谷寛、山本礼三郎、伊豆肇、清水将夫、高堂國典、伊藤雄之助、生方明、長濱藤夫、生方功、水谷史郎、田中榮三、本橋和子、戸田春子、登山晴子、安雙三枝、三條利喜江ら。

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 菊島隆三の脚本家デビュー作。彼が実際に聞いた警官の拳銃紛失事件がモチーフとなっている。日本映画界における刑事物の先駆けとなった作品だ。映画のみならず、TVドラマを含めても、これが刑事物の原点という位置付けだと言っていいだろう。
 村上を三船敏郎、佐藤を志村喬、ハルミを淡路恵子、ハルミの母を三好栄子、ピストル屋のヒモを千石規子、石川を河村黎吉、阿部を永田靖、遊佐を木村功、お銀を岸輝子、劇場の演出家を千秋実、中島を清水元、本多を山本礼三郎が演じている。
 淡路恵子は当時、松竹歌劇団の養成学校である松竹音楽舞踊学校の生徒だったが、黒澤監督に抜擢されて映画デビューした。だが、本人は映画に出るのが嫌だったらしい。

 シナリオとしては、意外な真相が明らかになっていくとか、予想外の方向へ話が転がっていくとか、そういうことは無い。起伏の激しさとか、何かがエスカレートしていくとか、そういうことも無い。刑事が地道な捜査を積み重ねていく様子が描かれていく、あまり派手さは無い物語だ。
 だが、戦後の貧しい時代背景や風俗描写を盛り込むことによって、映画に厚みや深みを持たせている。復員兵姿の村上が歩き回るシーンはかなり長いが、その場面は「戦後の闇市の街並みと、そこに生きる人々」を写し出す役割を果たしている。

 村上は拳銃紛失を報告する時に「自分は~」という言葉遣いをして、中島から「自分は、というのは止めて欲しいな。ここは軍隊じゃないんだから」と言われている。軍隊時代の言葉遣いが抜けない辺り、村上は生真面目で真っ直ぐな男である。
 だから、一刻も早く拳銃を見つけねばならないと、自分を追い込んでいく。紛失した拳銃を使った事件が起きると、その責任を感じて辞職しようとする。ものすごく思い詰め、落ち込んでしまう。

 村上の生真面目さは、捜査においてはプラスに働く場合と、マイナスになる場合がある。執拗にお銀を追い掛けることで彼女に音を上げさせて情報を聞き出したり、復員兵姿で徘徊してピストル売買の仲介人から声を掛けられたりするのは、彼の生真面目な行動がが実を結んだケースだ。
 だが、捕まえたピストル屋のヒモの前で簡単に素性を明かしたせいで、現場にいた遊佐に逃げられ、女から情報を得ることも出来ないというミスもやらかしている。

 しかし幸いなことに、そんな村上には、サポートしてくれる複数の先輩刑事がいる。係長の中島は、拳銃紛失を知らされても激怒することも非難することもなく、村上にスリ係へ行くようアドバイスする。村上が辞職しようとすると、「不運は人間を叩き上げるか、押し潰すかどちらかだよ。君は押し潰される口か?心の持ち方次第で、君の不運は君のチャンスだ」と元気付けるような言葉を掛ける。

 スリ係の市川も、鑑識カードを調べるようアドバイスし、お銀の元へ案内してやる。佐藤も村上を優しくサポートし、彼が悩んだ時には含蓄のある言葉を掛けている。
 もし今の日本映画やドラマ界で同じような作品を作るとして、こんなシナリオを書いたら、製作サイドからダメ出しを食らうんじゃないか。拳銃を紛失した刑事が上司から非難されず、奪還のために単独行動を取ることも咎められず、むしろ後押ししてもらえる。ドジを繰り返しているのに、叱責されない。それは今の刑事物だと、非現実的に感じられる。

 この映画は、やはり「戦後間もない頃」という時代と切り離して考えることは出来ないだろう。遊佐は復員の際に全財産の入ったリュックを盗まれ、そこからグレ始め、そして犯行に走る。
 復員兵にとって、これからの人生を構築していく上で、リュックというのは非常に重要な持ち物だ。それを盗まれたことで、遊佐は自暴自棄になり、「みんな世の中が悪いんや」という気持ちになってしまう。

 一方、彼と同じように、村上も復員する時にリュックを奪われている。しかし彼はアプレゲールにならず、刑事という仕事に就いた。村上と遊佐は、表裏一体のような2人だ。村上は遊佐を捕まえる立場でありながら、彼の貧しい実家を見たり、境遇を知ったりすると、同情心を抱くようになる。
 村上も、一つ間違えば遊佐のようになっていたかもしれないのだ。実際、リュックを盗まれた時の心境について、彼は毒々しい気持ちになりましてね。あのときだったら、強盗くらい平気でやれたでしょう」と言っている。彼の遊佐に対する同情心は、同じアプレゲール(ここでは「戦後派」の意味)だからこそ沸いてきたものだろう。

 不満点も幾つかあって、例えばバスのシーンで「村上は疲れていた。それに、なんという暑さだ」というナレーションが入るのに、その直前に彼が笑いながら仲間と話している余裕の様子を見せているのはダメでしょ。そこは、捜査か何かで疲労感たっぷりという様子を描写すべきだ。
 また、ハルミが遊佐から貰ったワンピースを来てクルクルと回りながら「楽しいわ、楽しいわ」と言うのは、滑稽で陳腐なモノに感じられる。そんな風にマイナスもあるが、やはり「刑事物の先駆け」という意味で、この映画の価値は大きい。

 仮に、舞台設定を現代の東京に置き換えてリメイクするとしたら、遊佐を捕まえに行くクライマックスのシーンでは、村上は刑事を辞めている形にした方がいいだろう。そこでも単独行動を取っているのは、ちょっと非現実的だし。
 それと、「拳銃を佐藤に預けていたことを忘れており、丸腰で犯人と対峙することになる」という失態を本作品ではやらかしているが、刑事じゃなければ拳銃を所持していなくて当然だから、その失態も消えるし。

(観賞日:2011年10月22日)

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