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『天国と地獄』:1963、日本

 浅間台から港町を見下ろす丘の上に、製靴会社「ナショナル・シューズ」の工場担当常務・権藤の家が建っていた。その権藤邸には、専務と重役3名が訪れていた。
 彼らは権藤も含めた4人の株を集め、社長を追い落とそうと考えていた。だが、彼らが権力を握って作ろうとしているのは、すぐに壊れるような粗悪品だった。職人からの叩き上げである権藤は、社長の経営方針に不満を持っていたが、利益ばかりを考えている重役たちにも怒りを示した。

 権藤は重役たちを追い返した後、妻・伶子と秘書・河西に逆転の秘策を打ち明けた。彼は株を買い占めて持ち分を47パーセントに拡大し、次の株主総会で会社の実権を握ろうと考えていたのだ。そのための手付け金5千万円は、今までの貯金に加え、家を抵当に入れて工面した。
 権藤は5千万円の小切手を河西に渡し、大阪へ送金させようとする。そこへ一本の電話が入り、若い男の声で「息子を誘拐したので3千万円を用意しろ」と権藤を脅迫してきた。権藤は驚くが、電話が切れた後、息子の純が戻って来た。

 権藤は安堵し、タチの悪い嫌がらせだと怒った。しかし彼は、運転手・青木の息子である進一の姿が見えないことに気付いた。
 権藤は警察に連絡し、捜査主任の戸倉警部と部下の荒井、ボースン、中尾たちが高島屋の配送員に変装してやって来た。彼らが録音機を電話に取り付けた後、犯人から再び電話が入った。犯人は「子供は間違えたが、それでもお前は金を払う」と余裕の態度で言い放った。

 権藤は身代金の支払いに激しい拒否反応を示すが、伶子は金を出すよう促した。河西は「金を出したら我々は破滅です」と説き、権藤は彼を送金に向かわせようとする。しかし犯人からの電話が入ると、慌てて権藤は河西を呼び止めた。
 犯人は進一の声を聞かせ、電話を切る。息子の声を聴いた青木は、権藤に頭を下げて金を出してほしいと懇願する。権藤は河西に、送金を明日まで待つよう命じた。

 翌朝、権藤は戸倉たちに、やはり金を出さないことに決めたと告げる。今の仕事を失ったら、自分という人間が終わるのだと彼は語った。だが、そこへ現れた伶子は、「権藤は絶対に払います」と言う。
 権藤が「お前には一文無しがどういうことか分からんのだ。私には一からやり直せても、お前には無理だよ」と声を荒げると、彼女は「出来ます。贅沢なんか、ちっとも好きじゃありません」と口にした。そこへ現れた河西は、昨日とは一変して金を支払うよう説いた。権藤は彼が重役たちに寝返ったと察知し、その場から追い払った。

 戸倉は権藤に、言葉だけでいいから「金を払う」と犯人に約束するよう頼んだ。犯人から電話が入ると、彼は「なぜカーテンを閉めているんだ」と疑問を口にした。
 犯人の言葉によって、彼が権藤邸を見張っていることが分かった。刑事たちは身を伏せ、権藤はカーテンを開けた。権藤は犯人に、金の支払いを約束した。それは口だけでなく、彼は銀行に電話して3千万円を用意するよう告げた。

 犯人は現金を厚さ7センチの鞄に入れ、明日の特急第二こだま号に乗れと指示してきた。権藤は、進一の姿を見せることを取引の条件に指定した。
 戸倉たちは珍しい鞄を用意し、中に2種類の薬を仕込むことにした。水に濡れると悪臭を発する薬と、燃えると牡丹色の煙が発する薬だ。犯人が鞄を処分しようとした際、その場所が分かるようにするための仕掛けだ。権藤は古い道具箱を妻に持って来させ、その薬を仕込む作業を自ら買って出た。

 翌日、権藤は鞄を持って第二こだま号に乗り込んだ。刑事たちも散らばって乗車し、不審な人物がいないかどうか調べている。列車の中に、進一の姿は見当たらなかった。その時、犯人からの車内電話が入った。
 権藤が電話を取ると、犯人は酒匂橋鉄橋で便所の窓から鞄を投げ捨てるよう要求した。特急の窓は開かないが、便所の窓は7センチだけ開くのだ。電車が鉄橋に来ると、権藤は外に立っている進一の姿を確認し、鞄を投げ捨てた。次の停車駅で降りた権藤と刑事たちは、進一の元へ走った。

 進一が無事に戻り、戸倉たちは犯人逮捕のために歩き回る。犯人の竹内はスラム街の安アパートに戻り、買い込んだ新聞記事に目を通した。その記事では、進一のために金を出した権藤が悲劇の英雄として同情的に扱われていた。
 戸倉は捜査会議で「苦しい時には権藤氏のことを考えろ」と告げ、刑事たちに発破を掛けた。一方、青木も権藤への申し訳なさから、息子を連れて独自に捜査を行っていた。

 やがて犯人のアジトが判明するが、荒井たちが乗り込むとカップルがヘロイン中毒で死んでいた。それは竹内の共犯者2名で、純度の高いヘロインを投与されて中毒死したのだ。
 戸倉は新聞記者たちにカップルの死因を説明し、「このことを伏せてほしい、そして盗まれた千円札が使われたという虚偽の記事を書いてほしい」と依頼した。戸倉は偽の記事を利用し、主犯を捕まえようと考えたのだ。戸倉から権藤の不幸な現状を聞かされた記者たちは、喜んで協力することにした…。

 監督は黒澤明、原作はエド・マクベイン作「キングの身代金」より、脚本は小国英雄&菊島隆三&久板榮二郎&黒澤明、製作は田中友幸&菊島隆三、撮影は中井朝一&齋藤孝雄、美術は村木与四郎、録音は矢野口文雄、照明は森弘充、監督助手は森谷司郎、音楽は佐藤勝。

 出演は三船敏郎、仲代達矢、香川京子、三橋達也、木村功、石山健二郎、加藤武、志村喬、田崎潤、中村伸郎、伊藤雄之助、山崎努、千秋実、東野英治郎、清水将夫、佐田豊、島津雅彦、江木俊夫、三井弘次(松竹)、山茶花究、藤田進、藤原釜足、土屋嘉男、北村和夫、清水元、名古屋章、浜村純、織田政雄、西村晃、田島義文、清村耕次、宇南山宏、牧野義介、近藤準、鈴木智、大村千吉、加藤和夫、沢村いき雄ら。

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 エド・マクベインの87分署シリーズの1つである小説『キングの身代金』を基にした作品。
 権藤を三船敏郎、戸倉を仲代達矢、伶子を香川京子、河西を三橋達也、荒井を木村功、ボースンを石山健二郎、加藤武、捜査本部長を志村喬、重役を田崎潤と中村伸郎、専務を伊藤雄之助、竹内を山崎努、青木を佐田豊、進一を島津雅彦、純を江木俊夫が演じている。
 他に、新聞記者役で千秋実や三井弘次、北村和夫、工員役で東野英治郎、刑務所長役で清水将夫、捜査一課長役で藤田進が出演している。

 この映画の影響を受けた映画、オマージュを捧げている映画は、幾つもある。終盤、煙突から牡丹色の煙が立ち昇るシーンでは、モノクロの中で煙だけがカラーで描写されるが、モノクロ画像で一部分だけカラーを取り入れるという手法は1983年の『ランブルフィッシュ』や1993年の『シンドラーのリスト』でも使われている。
 1998年の『踊る大捜査線 THE MOVIE』では、主人公が煙突から上がる煙を見て「天国と地獄だ」と呟き、犯人の居場所を突き止める。2010年の『誘拐ラプソディー』では、主人公が身代金を受け取る際、この映画と同じように「電車の窓から鞄を投げさせる」という手口を使っている。

 前半、身代金の取引を行うため特急に乗り込むまでの55分間は、密室劇として展開される。舞台は権藤の邸宅、それも、ほぼリビングに限定されている。
 だが、巧みなカメラワークと、登場人物の計算された立ち位置によって、映像的にも全く飽きさせない。サスペンスとして最も重要な緊迫感も、もちろん充分に醸し出されている。

 その密室劇では、「権藤の苦悩」が重要なポイントとなっている。もし誘拐されたのが自分の息子であれば、権藤は地位を失うことになると分かっていても、金を支払うことに躊躇しなかっただろう。だが、誘拐されたのが運転手の息子だけに、彼は深く悩み、そして迷う。
 他人の子供を救うためには、自分の人生を棒に振る決断をしなければならない。手付金を送金しないと、これまでの努力が水泡と化してしまう。手付金を送金すれば、子供は死ぬ。しかし子供の命を救えば、自分という人間が終わる。彼は「金は払わない」と断言しても、心の中では迷い続けている。権藤は人情に厚い男なのだ。だから結局、彼は人命を優先する。

 続く身代金受け渡しのシーンは、国鉄から本物の列車を借りて撮影が行われている。ダイヤ通りに走っている電車を借りて撮影したのではなく、ダイヤに割り込む形で撮影用の列車を走らせたのだ。NGを出すことが許されないため、俳優はかなりの緊張を強いられたらしい。
 このシーンも、ずっと列車内なので、ある意味では密室だ。ただし、ここでは列車から見える外の景色を写し出すことによってスピード感を醸し出し、それを緊迫感に結び付けている。

 犯人にまんまと金を奪われた後は、それまで主役だった権藤が脇へと移動し、警察が犯人を捜査する様子が描かれていく。ここでは、前半の密室劇で権藤の様子をじっくり描いたことが活きてくる。
 戸倉たちは権藤の苦悩や人情に触れているから、「彼のために何としてでも犯人を逮捕し、金を取り戻そう」と執念を燃やす。「権藤のために」というのが、刑事たちを突き動かす原動力となるのだ。

 「権藤のために」という合言葉は、警察だけに留まらない。カップルが殺された後、戸倉は新聞記者を集め、協力を要請する。「権藤さんは常務の地位を解任され、工場担当の仕事からも締め出されたことを御存知ですか」と彼が言うと、記者たちは「この調子だと、今度の総会で権藤氏はあの会社から完全におっぽり出されるぞ」「押さえた記事の穴埋めに、ナショナル・シューズを叩かせようっていうんでしょ?」「しょうがねえ、盛大に叩くか」と言って笑い、同調している。
 単に「マスコミが警察の要求を受け入れる」ということではなく、「権藤氏のため」ということで、警察とマスコミがタッグを組むのだ。

 黒澤監督は、当時の誘拐罪に対する刑の軽さに憤懣を抱いており、それが映画を製作する動機の1つになったそうだ。そういう彼の気持ちは、戸倉を通じて表現されている。
 ただ、黒澤の怒りが強すぎたせいで、戸倉の行動がおかしな方向へ転がっている。そのままでは犯人に殺人罪を適用できないため、何としてでも犯人を死刑にしたい戸倉は、竹内を泳がせて犯行を再現させようとするのだ。

 その時点で「ちょっと歪んでるなあ」とは思うが、それでも権藤への思いや怒りの強さを考えると、まだ受け入れることは容易だ。しかし、そうやって泳がせたことによって、竹内は新たな殺人を犯すのだ。
 こうなると完全にアウトでしょ。幾ら被害者がヤク中の女とは言え、無関係な人間が殺されるというのはダメよ。戸倉の行動が、そこまでは「強いヒューマニズム精神が彼を突き動かす」ということだったのに、「怒りのせいで判断を誤った」ということになってしまう。

 もう1つ、大きな不満点がある。実は、そちらの方が不満点としては大きい。それは、「権藤はきっと払います」と夫にプレッシャーを掛ける伶子が、不愉快な奴にしか見えないことだ。
 それは権藤の言う通り、生まれた時から贅沢な暮らしをしている世間知らずの女が、甘い考えで物事を言っているとしか感じられない。権藤の苦悩を理解した上で払ってほしいと説得しているのではなくて、思いやりの無い言葉にしか聞こえない。多額の負債を抱えることになるのが、どういうことなのかという現実が分かっていないのではないかと。

 それが決定的になるのは、権藤が差し押さえを食らうシーンにおける伶子の態度だ。税務所の執行吏が室内を鑑定している際、落ち込んでいる権藤の近くにいる彼女は、暗い顔をして黙っているだけなのだ。「贅沢なんか好きじゃありません」と言っていたのに、いざ貧乏が現実的になると、やっぱり嫌なのかと思ってしまう。
 そこは権藤を励ますとか、明るく「何でもないわ」とでも言うか、とにかく「財産を失って不幸になりました」という感じを出すのは避けるべきだろうに。

 「うだっている」と竹内が言っており、暑い夏の時期という設定になっている(ただし実際に撮影されたのは冬だ)。竹内は貧しいドヤ街に住んでおり、自分の不幸を恨んで犯行に走る。
 その辺りは、1949年に黒澤監督が撮った『野良犬』を連想させる。そして『野良犬』と同じく、主人公と犯人は表裏一体の関係になっている。一見すると、権藤は地位も金もあって豪邸に住んでいる人間、竹内は貧しい暮らしをしている人間で、まるで違うようだが、実際は似ているのだ。

 権藤は今でこそ地位も金も持っているが、そもそもは職人からの叩き上げだ。彼は必死に努力し、現在の地位を築き上げた。しかし決して平穏で安定した暮らしを送っているわけではなく、権力闘争の中で苦しんでいる。
 一方の竹内は、今は貧しいインターンだが、いずれは医者になることが確定している。そうなれば、それなりの地位も金も手に入れることが出来る可能性は充分にある。

 竹内は捕まった後、権藤との面会を要求し、「幸福な人間を不幸にするってことは、不幸な人間にとってはなかなか面白いことなんですよ」と言う。だが、彼はそれほど不幸ではない。彼だって努力次第では、権藤のような地位まで上り詰めることが出来るかもしれないのだ。
 それなのに、彼は自分の貧困に関して、社会の不平等を呪った。自分は地獄のような場所に住んでおり、権藤の家は天国のようだと感じた。そして、社会の不条理に怒っていた彼は、権藤の息子を誘拐するという不条理な犯罪を決意し、短絡的な行動に出た。

 既に敗北していた竹内だが、最後のあがきとして、権藤には不幸の中に浸かったままでいてほしかった。そして、地獄へ突き落とした憎き相手として、自分を罵ってほしかった。そうすれば、皮肉な高笑いの一つも浮かべることが出来ただろう。だが、権藤は小さな工場を任され、既に前を向いて歩き始めていた。
 さらに彼は、「君はそんなに不幸だったのかね」と静かに問い掛ける。竹内は同情に値する人間ではないが、それでも権藤は憐みの目を向ける。もはや、竹内は完全に敗北である。強がっていた彼だが、耐え切れなくなって絶叫する。愚かしい犯罪者を待ち受ける死への恐怖をまざまざと見せ付け、映画は幕を閉じる。

(観賞日:2011年10月23日)

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